第八話 鏡よ鏡よ鏡さん
学校に入り初めに探索した区画から、中庭を中心にぐるりと一周するように別館を探索する。こちらは特に特出するようなものはなく、一年生の利用する教室があるだけ。日頃使用されているだけあって危険物や貴重品は何一つおいておらず、収穫としてはいまいちなものだ。
本来であれば、お次は本館二階へと上る。だが私はここで少し寄り道、というより最優先に調べたい場所があるのでそちらへ。
「あった、購買部」
そう、生命線である食料のある場所。ここに来ておきたかったのだ。あんぱんクロワッサン焼きそばパン。コーヒー牛乳に普通の牛乳などなど。あまり多くはないが種類もある。非常事態に付き、最低限のものを頂かせてもらおう。
と、思っていたのだが。
「予想はしてたけど、ちゃんと戸締りされてるか」
購買部は他の教室などとは違って、学外の人を雇っている。校内にありながらここの管理は専門の業者に一任されているので、しっかりとシャッターまで降ろされ外からは開閉できなくなっていた。
「はぁ、家庭科室までいかないとダメかぁ。ちょっぴり! 本当にちょっぴりだけ期待してたのに」
となると、残る希望は家庭科室だけ。こちらは本館二階、第二空き教室の真上にあったはずなので次はそこを目指そうと思う。しかしまぁ、正直購買部と同様あまり期待はできそうにない。
なにせ家庭科の先生は良くも悪くも真面目な人だ、課題の締め切りを一秒でも過ぎれば受け取ってもらえないタイプの。何より最悪なのが、この性格は自分自身に対しても適応される。仕事や授業はきっちりとこなし、やるべきことは隙なく終わらせる。
ちょっとしたおふざけも許さない、正直に言うと私も苦手だった。
「開いて……ないよなぁ」
教室の扉はともかくとしても、保管庫はかけ忘れないだろうあの先生は。その鍵がダイヤル式だし。
「時間を掛ければ解けなくはないけど、さて、どうしたものか。……なーんでちゃんと在籍してるただの一学生が、泥棒のまねごとをしなきゃならないんですかねぇ」
本館二階へと上る階段を一段一段上りながら、私は密かに溜まった不満を口にする。パイプを簡単に持ってきているように見えて、内心はこれでも怯えている方だ。先生に対する悪ふざけだって始まってすぐの一、二回しかしないし、自分以外が怒られている声でも体がすくんでしまうくらいには気弱で臆病。自分から何かをすることがとても苦手だ。
「あぁ……家に帰りたい。あったかい布団で寝たいーー!!」
各階を示す番号と踊り場に掛けられた鏡を見つめ、次に二階の物音や人影の有無を確認する。
「そういえばあれっきり、怪物やらお化けの姿を見てないな。うん、別館の一階には何もなかったし」
本当、それが正解というか本来の姿なはずなのに。いざ覚悟して敵が居なかったらそれはそれで肩透かし感があるのは何故だろう。
「せめて今日くらいは、これ以上何も見ることなく終わってほしいな。チュートリアルでもうお腹いっぱいだぜ~なんつって――」
――ガシッ
「グムゥッ!!!???」
その時、油断していた私の背後から、何かが首と胴体をがっちりと掴んだ。プロレスのホールド技のように、両腕でがっちりと関節ごと押さえられ、逃げるどころか首を動かすことすら叶わない。
何より最悪なのが、これを掛けている相手が、ネルさんに助けてもらった時のような柔らかさも熱も、一切感じない相手だということ。
「(ど、どうして!? さっきまで足音一つしてなかった! 上はもちろん下も、ちゃんと確認してたのに!?)ングッ! ンーーーー!!!!!!」
そのホールドを維持したまま、腕の持ち主はずるずると私を引きずっていく。二階に引っ張り上げるでもなく、かといって下に引きずり下ろすでもない。踊り場から高さはそのまま、あり得ない距離をずるずると引きずられてしまう。
掴まれた衝撃でケータイを取り落とし、ついで唯一自由に動かせる下半身で地面に踏ん張りを付けていた時にバッグを落とす。だけどパイプは、自分の持つ唯一の武器だけは、絶対に落とさないよう必死に握りしめていた。
そして、
「あぐッ!!?」
どこまで引きずったかわからないそいつは、今度は私を階段の手すりに勢いよく投げつける。鉄にぶつかった時の重低音を廊下に響かせ、ようやく解放された気道で空気を取り込む。
「はぁー! はぁー!!(ち、窒息だけはどうにか回避できた)くっ、一体、誰がこんな真似を」
ニコッ
「……はぁ。なんとなく、手触りでそんな気はしてたよ。よー、さっきぶりだな。“人体模型”さんよー!!」
忘れもしない。こいつは、私と命がけの鬼ごっこをつい数分前まで行っていた憎き敵だ。姿を見かけないと思って油断していたが、まさかこんなところに待ち伏せしていたとは。だが、こいつのガタイは私の一.五倍という巨体を誇る。どうやって私に気づかれず隠れていたのか。
「ここは、同じ踊り場でいい、のかな? いや、私が置いてきたバッグがない。それにお前、私を引きづっていた時一度も方向を変えたりしなかった。なのにこうして、手すりに背中を打ち付けられて痛みに悶えているわけだけど」
わざわざ腰を曲げてまで顔を覗き込むこいつの表情はどうでもいいとして、他にわかる視覚情報は、踊り場にある巨大な姿身鏡と階層を示す二の数字のみ。これ以外にわかることと言えば――
「ん? あれは」
奴の背後にある巨大な姿身鏡。映っているのは確かにここの踊り場だが、学生用カバンと携帯がひとつづつ落ちている。鏡とは通常そこにあるものしか写さないはずだが、こちらにそのカバンと携帯らしきものは転がっていない。
それにあの数字。向きが逆になってて案内としての役目を果たしていない。
「向きが逆さまになった数字、鏡の向こうにあってこっちにはない私のバッグと携帯。……なるほど、鏡の中というわけか」
こいつに人間的反応を期待したわけではないが、それにしたって少しくらい動揺を見せてくれてもいいだろうに。
鏡の中。そういえば学校の七不思議にこんな話が合った。『夜の学校の姿身鏡には近づくな。もしも鏡を見たら、その人は中に引きずりこまれてしまう』と。つまりこいつは、鏡の中で私を待ち伏せて、のこのこと現れた私を背後から強引に中に引きずり込んだという訳だ。
鏡の中など存在しない? 非科学的? いやいや、人体模型がひとりでに動いてる時点で十分非科学的だっての。
「はぁ~、鏡に入ったのは初めての経験だけど、こんな感じなんだな(不思議だ。最初に出会った時はあんなに怯えて逃げ出したというのに、今はこんなにも冷静になっている)」
ゆっくりと立ち上がり物珍しそうに周囲を見回す私を、模型は膝を正し真上からまっすぐに見つめてくる。そんなに、逃げ出さない私が奇妙に見えるのか?
私を見下しやがって
ゴキンッッッ!!!!!!!!
私が背中を打ち付けられた時と同じ音が、再び廊下を経由して校舎全体に響き渡る。ただし今回は、その後に続いたのは静寂ではなく風切り音であるが。
「確かに私は臆病で気弱だよ。誰かに話しかけるときは本当にこの内容で大丈夫かって不安になるし、誰かが怒っていると自分のせいではないかと疑ってしまう」
コロコロ。いつぞやのように模型の頭部は床に転がり、ぶっとれた頭の勢いに押された体はその辺に横たわっている。今回の金属音、それは、目の前の人体模型の首をパイプで殴り飛ばした音。つづく風切り音は、パイプを振り回し威嚇する音だ。
当然どちらも私が起こしたものだ。
「けどさ、それはあくまでも優しさをもつ相手に限るわけ。不躾に人様の肌に触って、無駄に怖がらせて人を襲うようなお前みたいなやつらに、遠慮なんか必要ないだろ」
胴に入る、かどうかはこの際どうでもいい。事実パイプを振り回した経験なんて一度もないが、見よう見まねで槍を構えるように先を模型の頭部に向ける。
「私だって、やるときはやるんだッ!!」
こいつとはここで、決着をつけてやる。