第七話 巣立ちの時はすぐそこで
「――もう、いないかな?」
カラカラと鳴る物音はこの際気にしないとして、引き戸の隙間から廊下の様子を眺めつつ安全かどうかを確かめる。
「よし、今ならいける。ネルさん、いろいろとお世話になりました」
「本当におひとりで大丈夫ですか?」
「はい! 物資の問題もありますし、いつまでもお世話になりっぱなしではいけませんから。いろいろと、ありがとうございました」
心配そうにこちらを見るネルさんに向かい、私は極めて冷静にそう答えた。
極限の状況下の中、ネルさんに頂いたコーヒーがいい方向に作用している。体が温まってリラックスできたし、砂糖の甘さが緊張を和らげてくれた。おまけに、液体とはいえお腹に入ったことで空腹も緩和した。
とはいえ、食料と水分は早急に調達しないといけない。
「そうですか。紅京さんがそう決められたのでしたら、私からお止めはいたしません。困ったときは、いつでもここに来てくださいね。“一階”の“第二空き教室”です。くれぐれもお忘れなきよう」
「了解です。次にこちらによる時は、脱出の手掛かりになりそうなものを持ってきます。では、ネルさんもお気をつけて!」
私は大きく手を振り、控えめに返すネルさんの姿を見納めしてから別館に続く渡り廊下へと出る。
仕切りなどなく外気に晒される渡り廊下。遠くには正門が見え、来客が車を止めるスペースと倉庫が隣にはある。これを渡り切った先に、別館生徒用の下駄箱と恐ろしき科学準備室へと繋がる階段があるのだ。
「今日は三日月かー」
姿を隠していた薄雲が風で流され、今ははっきりと月の全貌を見ることができる。そのおかげで月の光が光源となり、暗い校舎内でもある程度の視界が確保できた。そこに携帯のライトがあることで、ビビりの私でも暗闇を進むことができる。
「さて、と。あの化け物のお仲間が出る前に、最優先で確保すべきものとある程度のめぼしはつけないとな。ちょうど来賓用に校内の見取り図もあることだし」
よくショッピングモールで見るタイプの、部屋ごとに色分けされた見取り図をみつつ、私は目標の決定と場所の把握を急ぐ。学校からの脱出を目指すとは言っても、ネルさんのように年単位での学校生活を考えると生活必需品の確保は最優先。名は体を表すの通り、翌朝学校で骸で発見なんてことはごめんだ。
第一に、水と食料の確保。
「水は水道で補給できるし、購買か家庭科室に行けば食べれるものは残ってるはず。欲を言えば持ち運びできるペットボトルなんかも欲しいけど、これは後で構わない」
第二に、清潔感を保つための水浴びと洗濯場所の確保。私だってこれでも乙女、汗をかいたまま何日も同じ服を着たくない。
「見たことはないけど、確か運動部の部室に洗濯機と乾燥機があるってマネージャーやってる子が言ってたな。水浴びはプール前のシャワーを使って、布は家庭科室から借りよう。よし、クリア」
第三に、化け物から身を守るための場所。模型に追いかけられた時は間一髪助かったが、速度は私の全速力と大差ないか少し早いくらいだった。あれに何度も追いかけられては、すぐに体力が尽きてしまう。
「ゲームでいうセーブポイント的な? でもネルさんをはじめ、他の方々もそういった場所は確保しているはず。空き教室だって多くないし……どうしよっかなぁ」
最低限内側から鍵が掛けられる部屋で、確保した備蓄を隠せる場所が望ましい。考えて思ったがこれが一番の難題だ。数少ない学校の教室のなかで、さらに他の人と被らない場所。やばい、お先真っ暗だ。
まぁ、これは捜索の中でおいおい見つけるとして……
第四、身を守る武器の確保。先に学校生活に順応した方々は、全員すでに自分の異能石を確保しているらしい。聞いただけでも黄金、琥珀、黒曜石とバリエーションは豊かだ。
「異能石か。私も早いとこ探して、能力を使えるようにした方がいいか」
さっき試しにネルさんの小石を一つ借りて、指示通りに石に向かって念じてみたものの砂の生成は起きなかった。少し期待しただけに違うと分かった時は悲しかったが、異能石かどうかの選別方法はすでにわかっている。あとはその選別方法を試すために、沢山の宝石や鉱石のある場所に向かうだけ。
「この学校の中で、そういった貴重な石が沢山置いてありそうな場所と言えば――――あ”!?」
授業に使う教材の中で、石の話題が出てくるのは歴史と科学。歴史は地質やらなんやらで、科学は石そのものの性質や特性を知るため。我が校は結構そういった歴史・科学には積極的で、生徒の学習意欲向上のためと色々な石を保管している。
まそれはいい。私も一度教師に頼まれてサンプルを取りに行ったこともあるから場所はわかっている。問題はその場所が……
「科学準備、室」
人体模型や骨格標本、その他ヤバい奴らが居そうな科学準備室だということだ。
「嘘でしょ、なるべく理科室周辺には近づきたくなかったのに」
だが、そこ以外で貴重な宝石などが保管されている場所など存在しない。まさかグラウンドの土に天然物が混ざっているわけもなく。身を守るために必要なものを命がけで取りに行くとは、なんたる矛盾。
「となると異能石を取りに行くのはかなり後かな。先にするべきことを終えて、化け物を見ても冷静でいられるくらいには環境に慣れておかないと」
結局、明確な目標が定まったのは食料と衣服の問題だけ。初日にしてはこの二つが解決できるだけでもいいことなのだろうが、なんともやるせない。
「とりあえず当面使っていく武器を探そう。刺股か何か……お?」
適当に距離を置きつつ殴れる武器はないかと、周辺を見回してみたところ。倉庫の扉のすぐそばにブルーシートで包まれた何かが転がっているのが見えた。上から小突いてみたが、コンコンと固くて丈夫そうなものであることが分かった。
慎重にシートを固定するテープを外し、そろりそろりとはがすと中から現れたのは。
「パイプ? なんでこんなものがここに……ってあ、そうか。体育祭で使うテントの骨組みか」
鉄パイプ、とはいかないがステンレス製で年季の入ったパイプが数本包まれていた。しかもこれは、一度組み上げた後に上下を入れ替えるように立たせるタイプのテント。都合よく一本一本が独立して置いてあるのでこれならば武器にしても問題なさそうだ。少々でかいが、軽くて敵と距離も取れる。
特に錆や汚れがひどく、でこぼこで多少の傷を誤魔化せる一本を、武器として拝借する。
「テントの設営前には、返しに来ます。それか、これに代わる武器が手に入るまで」
ここに置いてくれたどなたかの先生に向けて一礼をし、私は第一の目的地である家庭科室へと向かう。武器になるものを持てたおかげで、進む足も前より軽やかになった。