第五十五話 その先には
クロロアさんに付き従い、グラウンドから校内へ、本館から屋上に続く階段のある場所へと向かう。なんとも懐かしい、私が初めて人体模型の化け物と出会い、そして鏡の中に入った場所だ。
「上に行くんですか?」
「いいえ、こっちです」
彼女は私の言葉と真逆の階段の裏、非常口と書かれた扉しかない場所にやってきた。面積は二階以降の踊り場と同程度しかなく、ぱっと見は何もなさそうな場所に立ち止まる。
「? クロロアさん?」
「ここ、タイルに擬態しててわかりづらいですが、一つだけ色が薄いものがあるのです。ほら」
「……あ!!」
指先を目で追い、先に見える床板を注視する。日差しが差し込み明るくなった場所にあって、かなり注目しなければわからないほどの微妙な違い。けれど確かに、深緑色の床の中に、一枚だけピンポイントで薄くなった場所があった。
「ありますね、色が違う場所」
「この先に、貴女に見せたい場所があります」
指先に鉄の引っ掛けを作り、隙間からテコの原理で引き剥がす。微かな砂埃が空を舞い多少鼻を燻るものの、それ以上に目線の先にあるものに対する驚きが勝った。
剥がした床板の先にあったのは、薄暗い地下へと続く“梯子”。人一人が通れる程度の、簡易的な梯子である。
「学校にこんな場所があったなんて……」
「よし。ではいきましょう、私が先行します」
「えっ、あ、はい」
一度来たことがある強みか、クロロアさんは臆することなく真っ暗闇に向かって梯子を下りていく。一度は死を覚悟した身だ、今更危険が何だと、自身を奮い立たせて私も中へ。
「ゆっくり行きましょう。大丈夫、私が下にいますから」
「は、はい」
カンカンと梯子を蹴る音が狭い空洞の中では良く響く。高原は一つもなく、時折足場を踏み外しながらもなんとか一番下に到達する。
「ふぅ……あれ、クロロアさん?」
「少々お待ちを。確かこの辺に……」
一番下に到達しても、光源らしきものはまったくない。日の光の届かない地下においては、もはや一寸先すら見えない闇の中。黒いロングコートに鉄仮面をつけたクロロアさんの姿など、闇に溶け込み影すら見えない
声の遠さから察するに、そこそこの広さのある場所のようだが
「うっ!!?」
暗闇を照らす電気の光。天井に吊り下げられたいくつかの電灯が灯り、私とクロロアさん、そして部屋の姿をはっきりと映し出す。
「どうですか、この“本”の数々。見事でしょう」
「こんなにたくさん……これ、すべて貴女が?」
「いいえ。この部屋も本も調度品も、私のものではありません。専門の技術もなしにこれだけの設備を用意することなど不可能。つまりここは、今回殺し合いに参加した者たちの私物ではないということです――もう、おわかりですよね?」
「ッ!! ここは、まさか!!」
彼女がなぜ、私をここに連れてきたのかがはっきりと分かった。クロロアさんの言う通り、これだけの設備を人も機械もない人間が作ることなど不可能。その時点でこの部屋が一学生である殺し合い参加者のものではないことは一目瞭然で、学校側がわざわざこんな場所に部屋を作る理由などない。
……つまりこの部屋は、私達の知らない何者かが、目的を持ってつくったものということ。
「ッ!」
身近にあった本棚に張り付き、適当に一冊の本を抜き取り開く。
―― 第二十九回 仮面舞踏会 参加者名簿
「これ、は」
そこに書かれている、私達と同じ殺し合いに参加した者たちの名前、異能石の能力、ゲーム開始から脱落までの道筋。たった一枚の薄っぺらい紙の中に、一人の人間の一生が綴られていた。
「私が知る限り、その名簿の最も新しい記録は第五十五回ものも。それまでもいくつかの事例はあったようですが、そのすべてに十人前後の記録がありました。つまり、最低でも六百人近い人間がこのゲームに参加し命を落としています」
「……」
ぺらぺらと紙を捲り、二十九回と書かれた本の参加者たちの名前を確認していく。そのすべてのページの最後には、『脱落』というなんとも簡潔な言葉が書かれており、この本に書かれた人々が死んだことを嫌でも認識させられる。
――それでも、私の感じた衝撃は多少マシだったと言わざる負えない。なぜならここに書かれた本の内容。それに類似する書物を一冊、私はすでに見た後だったから。
名簿を元の位置に戻し、昨夜から肌身離さず持ち歩いていた本を取り出す。そう、いつかの桜石の能力者が残した日記帳を。
「? その本は」
「いつ書かれたものかはわかりませんが、かつて私と同じ桜石の能力者が残してくれた日記帳です。ここにもあの本と同じ、殺し合いに参加した人間の数と能力が詳細に書かれていました。桜石の使い方も」
名簿を見た時、すぐにこの本のことが頭に浮かんだ。書かれている内容が似ているのもそうだが、この部屋の秘密を探るためのヒントになりそうな気がしたのだ。
これを残した人も、この部屋を訪れていたかもしれないのだから。
「――――あれ?」
「何か気になることでも?」
「この本棚、ここだけ不自然に空けられてます。クロロアさん、私と来る前本を抜き取ったりしました?」
「いえ。なるべく元の形を崩さないよう注意してましたから。空きがあるのは元からでしょう」
彼女がそういうのだから、きっとそうなのだろう。敷き詰めれば百と入りそうな大きな本棚。それを、わざわざ一か所だけ不自然に空ける特殊な趣味でもない限りは。
「確かに、ここにあった本が抜き取られてますね。私より先にこの部屋を見つけたものがいたということでしょうか」
「……! ひょっとして」
その時、私の頼りない直感が珍しく仕事を果たす。本棚に空いた不自然な隙間、となりには何事もなく並ぶ無数のファイル。先ほど手にしたときに感じたほんの手触りから察するに、並べられた本はすべて同じ素材からできたもの。
元々ここにはないもののなかに、この手触りを持つものはもう一つあった。
それがこの、“過去の能力者の日記帳”!
ぺらぺらと持ち主の日記を捲り、記録されている限り最も古いページに行きつく。
「やっぱり……」
「?」
背後からクロロアが覗き込むことには目もくれず、私はそこに書かれた内容に目を通す。
赤い、赤い血の跡を滴らせながら書いたであろうそのページは、いくつもの体液に染められた形跡を残し、たった三行に纏められた文章。
“ バレた。奴に、本を奪ったことが。あいつはこれを死に物狂いに狙ってきている。しかし、これを奴に渡すわけにはいかない。過去の記録では、私と同じ桜石の異能者がいたという。いや、この際なんでもいい。この本を守るためには、こうするしか―― ”
「この日記帳、初めはただの日記だと思っていましたが。過去の能力者の情報が乗っていることといい、元はここにあったものを強奪した物のようです」
「それでは、この隙間にあったのがその本だと?」
「おそらくは……そして、私の予想が正しければ」
光源のおかげで明るくなった部屋。本棚の隙間を覗いてみてもそこには真っ黒な世界が続くばかり。壁の色は白であることを考えると、先に見えるものは白くなければならない。
ここだけ黒いならば、きっとその理由は……
――ガコンッ
何かがはまる音と共に、目の前の本棚は動き出した。さながらアクション映画のワンシーンのように、床ごと部屋の配置を変え新たな空間への入り口が顔を出す。
「隠し扉……」
隣で呟く声が聞こえ、私は静かに息をのむ。この先に、私達がこうなるきっかけをつくった存在がいる。




