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第五十二話 目覚めればそこは地獄で



 ん……ここは……?


「――目は覚めたか」


 この声……


「九条、さん……――!? 九条さッ! あ、イタタ」


「おいおい、急に動くと体に悪いぞ。安静にしておけよ」


 薄らぼんやりとした目をゆっくりと開き、こちらを覗き込むぼやけたシルエットの中で最も印象的な肌の黒さから声の主を断定する。

 明音との約束ももちろんあるが、今はそれよりも数時間ぶりに出会った知り合いの顔に安心する。


「なんだか、久しぶりのような気がしますね。怪我は、ありませんか?」


「怪我人はオレじゃなくてお前だろうに」


 はは、言われちゃった。確かに今の自分の状態を見れば、腕には包帯が巻かれて全身いたるところから消毒と保護テープの独特の香りがしていた。そんなにひどい状態だったのかなと何処か他人事のように思いつつ、ふと、なぜ私はここまでの重傷を負っていたのかが気になった。


「(えっと確か、レーゼさんとクガネさんと一緒に大輪桜のところに行くことになって、無事に桜石を見つけた後に本を……)」


 ひとつひとつ確かめるように記憶をさかのぼり、手元に復元した本が現存していることでこの記憶が正しいものだと確信する。


「(その後、本の中にあった紙を見て気持ち悪くなって……やっと落ち着いたと思ったら、誰かがこっちに近づい……て……?)」


 紙に書かれた内容やその時のクガネさんとレーゼさんの行動など、所々に穴抜けはありつつも順調に思い出していたものの。私の近くに誰かが近づいてきた瞬間から先が、なにも思い出せないことに気づく。


「(……あれ、その後どうしたんだっけ。近づいてきたのは九条さんで、私はそのままここに運び込まれた? いや、それにしては傷が酷すぎるし……)」


「何一人で怖い顔をしてるんだ?」


「うわっ! く、九条さん!? 驚かさないでくださいよ~……ん? この匂いは」


 ベッドを隔離する天幕が開かれ、白い布の奥から九条さんは現れた。両手には何やら湯気を放つマグカップを持って。


「目覚めの一発にカフェイン接種だ。これで目もバッチリ覚めるだろ」


「あ、ありがとうございます」


 手渡されたカップの中をのぞき、なみなみと注がれた真っ黒のコーヒーを見る。彼女の好みらしきややとろみの付いたこのコーヒーは、見るからに濃いめに入れられているのがわかる。

 とはいえ、貴重な温かい飲み物。元々濃ゆいのが駄目というわけでもなく、ありがたくいただくとしよう。


 ――ズズッ


「美味しいです、九条さん。でもこの味、前に一度飲んだことがあるような」


「そうか。まぁこれはオレのじゃなくて借りものだしな、誰かに作ってもらったんだろうさ」


「んー、誰に作ってもらったんでしょうか。人から食べ物を恵んでもらったのは、ユーさんの他には……――あれ」


 なぜだろう。それを思い出そうとした瞬間から、手を中心に全身の震えが止まらなくなった。マグカップの中身は高く波打ち白く清潔に保たれた掛け布団の上に零れ落ちる。


「……紅京?」


 心臓は鼓動を早め、呼吸は荒れて息苦しくなる。炎天下に長距離マラソンを走ったような汗の噴出はなおも止まらず、明瞭さを取り戻しつつあった視界は別の液体で再びぼやけていく。


「ハァッハァッハァッ」


「紅京!? どうした、しっかりしろ! 何があった!」


「ハァッハァッハァッハァッ!!」


 

『紅京さんは、お砂糖とミルクはお入れしますか?』


『あ、はい! お願いします』



『ネルさん、この砂は一体?』


『ただの熱い砂です。この砂で淹れたコーヒーが、いわゆるトルココーヒーになります。触るとやけどするくらい高温ですのでお気を付けを』



『あの時あなたを助けたのは、ただの気まぐれ。不必要に敵に居場所を知られるわけにもいきませんし、利用価値がなければ殺すつもりだった』





『あなたは何も知らず、ただひっそりと化け物どもに殺されていればよかったんです』




「あぁ、ああっ! アアアアアア!!!!!!」


「紅京!!」


 とうとうマグカップを取りこぼし、せっかく注いでもらったコーヒーを全て自らの足を覆う掛け布団の上にぶちまけてしまう。私には、こぼしたことを気にする余裕も、熱を感じる感覚もなくなっていたが。

 喉を限界にまで開き、全員を引き裂かんばかりに叫びをあげる。


 全部を思い出したのだ。このコーヒーを初めて入れてくれたのが誰かということも、その人の本当の目的も、桜の木の下からここに来るまでの出来事も。


「紅京、オレの声が聞こえるか! 紅京!」


「アアアアアアアアアアッ!!!!」


「くそっ、恐慌状態になっちまったか。仕方ねぇ!」


 九条さんはそういうと、水びだしになった布団を払いのけベッドの上によじ登る。そして、暴れ狂う私の両脚に腰を乗せると、次の瞬間両腕を大きく広げて――


「落ち着け。オレの声が届かねぇなら、せめて鼓動だけでも感じろ。お前は一人じゃないんだ!!」


「アアアア! グゥ! アアアアアア!!」


 必死に払いのけようと暴れる私を、自らが傷つくこともいとわずに抱き留める九条さん。本に書かれた内容、ネルさんの裏切り、そしてクガネさんの無残な姿。それらを一気に味わってしまった私はある種の極限状態に陥ってしまっており、一足先に落ちつき始めた精神に逆らって肉体は勝手に暴れるのだ。


「ウウッ! ウウウウッッ!! ウウッ……ウウっ……」


 一方的に暴走し始めた肉体が落ち着くのは、それから十分ほど暴れ回った後だった。九条さんのおかげで手当たり次第に物を投げ飛ばすような真似はせずに済んだものの、激しく掴みかかった際にお互いの衣服はボロボロになってしまう。


「落ち着いたか、紅京」


「……はい」


 和太鼓の演奏に近い音を出し続ける私の心臓とは打って変わり、トクン、トクンと規則正しいリズムを刻む九条さんの鼓動。それを耳と肌の両方で感じることができたおかげで、私はこうして戻ってくることができた。


 呼吸が安定し、流れ出した汗が肉体を冷却し始めるころ、私達は距離を離す。とはいっても、未だ九条さんの体は私の両脚の上にあるが。


「……ごめんなさい、取り乱してしまって。でも、気絶する前の記憶は全部、思い出せました」


「っ! ……そうか」


「……あの、九条さん。レーゼさんを見ませんでしたか? 私と一緒に行動していた人で、薄金色の髪に猫耳を生やした人なんですが」


「……」


 私の純粋な疑問に対して、九条さんは何も答えない。クガネさんは死に、気絶直前にはシンシャとネルさんの姿もあった。あの二人から逃れ、今こうして保健室で休むことができているということは、多分ここまで運んでくれたのはレーゼさんだろうという予測からの質問。


 備え付けられた水道の蛇口から雫がこぼれる。それだけ長い間を取った後に、彼女は覚悟を決めた表情を作り


「ッ紅京、大事な話がある。それも、オレ達にとって最重要な話が」


 何かを言いかけ、別の言葉に直してそういった。






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