第五十一話 果たすべき責任 sideネル
「お前、どこでそれを!」
「貴女は知らないようですが、この学校には地下室があったのですよ。鍵も開かず強引に破壊して侵入しましたが、どれもこれも大変有益な情報ばかりでした」
「っ! そんな場所があったなんて……!」
二人が何か話している声が聞こえるが、内容までは耳に入ってこない。
シンシャが……すでに死んでいる? それはつまり……もう、生きていない、ということ?
「そんな……嘘ですよね? だってシンシャは、ちゃんとそこに――」
「ふむ。真実は時として残酷なものですが、いつまでも騙されたままというのもかわいそうですね。では――」
「アアッ!!?」
空を自由に動き回る水銀を相手に一進一退の攻防を繰り広げていたクロロアは、手に持った剣の刃先を斜めに構え、水銀の勢いを利用して後方に受け流す。そうして無防備な本体を晒したシンシャに、素早く接近し胴体に一撃。胸部に一本の線を引く。
その線から噴き出したのは、赤い血液ではなく銀色の液体。水銀だった。
「……っ」
「貴女の化けの皮、剥いでやりましたよ。さぁ、そろそろ本当の姿を見せる時ではありませんか?」
「ぐっ! お、お”前”ェェ!!」
傷口に突き立てた剣を、ぐりぐりと奥深くへ沈みこませる。シンシャの苦しむ声が脳を揺さぶるが、私はあまりの事態に動けずにいる。
その間にもクロロアの剣はより深いところへと差し込まれ、ついには背中側に切っ先が露出する。同時、みるみる内に彼女の体が変化していく。
その見た目は、さながら銀色のスライム。変異前の口調と声を発し、模様として目や鼻などの器官は確認できるが、動物のようにそれらが機能を維持しているとは思えない。
「本当に……人じゃ、なかったんですね」
「貴女の正体については半信半疑だったのですが、まさか異能石を依り代に顕現するとは。……でも、これで納得がいきました。貴女のことも、校内に現れる怪物の正体にも」
「ケフッ! ……くそ、こんなところでバレるとは」
――わからない。彼女が人でなく、すでに死んでいる人間だったなら。最後の一人として鏡の世界から出られるようになったとしても、学校から離れられないことに変わりはない。
「じゃあ……私が、今までしてきたことは」
「仮にこの方が生き残ったとして、せいぜい現実の世界に戻れるぐらいしかメリットはありませんよ。地縛霊はその土地に縛られるから地縛霊。今を生きる私達とは違い、貴女は学校から出ることはできません。残念でしたね」
「ふざけるな! 私がこの六十年間、どんな思いでこの場所に留まり続けたかお前は知らないだろう!! 突然こんな場所に閉じ込められて強制的に殺し合いをさせられた挙句、死んで開放を望んでも永遠にこの場所に縛られ続けるんだぞ!」
「シンシャ……」
悲痛な彼女の叫びが、反射するもののない夜空の深い闇に吸い込まれていく。死んでなおこの学校に縛られ、永久に開放されることのない地獄を味わい続ける。
それがどれほどの恐怖かは想像もつかない。しかし、幸福とは正反対であることはわかる。
「貴女の想いは、他の人々よりも深く重いものだった。だからこそ異能石そのものが姿を作り自立して行動ができるのでしょう。他の怪物の体内にある異能石の過去の所持者は、皆自我を失い僅かに残った恨みのまま、生者を襲い続けるのですから」
「私は諦めない! 絶対に生き返って、ここから脱出してやる!!」
四肢を失ってなおも、水銀を操作することはできる。シンシャはゲル状の体を大きく跳ね飛び掛かった。
それを阻む壁が二人の間に生まれるとも知らずに。
「これは」
「ど、どうして? ――ネル!!」
クロロアの元に集う水銀を一網打尽にし、すべからく吸い尽くす砂の壁。この場に砂の異能者は私だけであり、当然これも私が出したもの。
「……」
眉の位置の模様が斜めになりいかにもな怒りの表情を作るシンシャを、私は複雑な気持ちで見つめる。
「どうして私の邪魔をするの!? 私の味方をしてくれるんじゃなかったの!!」
「……はい、私はあなたの味方です。あなたを開放し、成仏を願うものです」
「な!?」
たった一人、六十年を狭い箱庭の中で過ごしたシンシャ。脱出を目指す私たちの中にあって、唯一生き返りを願ったもの。クロロアの言葉が正しいのなら、もう彼女はどうやったって生き返ることはできない。
「私を、殺すというの!?」
「殺します。貴女が最後の一人になった時、次の殺し合いが行われるまで同じ時間を過ごすことのないように」
最後に生き残り永遠の苦しみにとらわれ続けるくらいなら、今ここで、彼女の幸福を願うものとして一思いに殺してやるべき。
きっとこんな発想に至る時点で、私もこの世界に捕らわれた人間の一人なのだろう。一人ぼっちは嫌だと彼女に縋り、未来ある人達の未来を奪い、最後は縋った人間すら殺すのだ。
死後は地獄確定の所業。だがもう、自己弁護には嫌気がさした。
「そんな! くっ、私の天敵足り得る能力だからここまで目をかけてやったというのに! この、裏切り者がッ」
「おやおや、その言いぐさは酷いのではないですか? 最初に彼女を騙していたのは貴女の方でしょうに」
「いいんです、クロロア。事実ですから」
異能を発動し、天にかざした手のひらに砂の嵐を巻き起こす。やっぱり、彼女も打算があった。私の能力が、液体を吸収する水銀とは相性の良いものであったから。
「シンシャ。例え目的があったとしても、貴女と出会い仲良くしていただいた記憶は忘れません。どうかこれが、貴女の最後の苦しみでありますように」
「ま、待てネル! ネルーー!!」
「さようならっ……!!」
振りかざした砂嵐に巻き込まれ、シンシャだった水銀の塊は空高く舞い上がり完全に姿を消す。水銀に侵されたクガネですら溶けていない異能石の仮面が消滅した所を見るに、参加者を偽装するために作り出していたのだろう。
「……ぁぁ」
キラキラと空を彩る水銀を見つめ、少しばかり思い出に浸る。背後に控えるクロロアも、空気を読んで静かにしてくれていた。
十分ほど、そうしていただろうか。思い出をめぐり、クガネさんへの追悼を済ませ、最後にある覚悟を決めて向き直る。
「もういいのですか?」
「ええ、すべては私が招いた自業自得ですので。……それと、貴女に一つお願いがあります」
「なんですか?」
「どうか私と、殺し合いをしてください」
仮面に覆われて表情をうかがい知ることはできないが、どんな気持ちだろうと私には関係ない。私は罪を重ねすぎた。一人残していく纏には申し訳なく思うが、私はあまりにも罪を抱えすぎた。
「本当にいいのですか? 君の異能は、私とはあまり相性がよろしくないようですが」
「構いません。正々堂々と戦って殺されるのであれば、きっと後悔はないはずです」
「……わかりました」
「っ!」
私はかき集めた砂を、一点集中でクロロアに叩きつけた。
ザシュ
「……貴女のその損な性格は、嫌いではありませんでしたよ」
――かき集めた砂から飛び出し、ネルの体を串刺しにしたのは無数の鉄の刃。クロロアは砂の中に含まれる鉄分を磁力で固定し沢山の剣を作り出したのだ。無数の剣を体に突き刺すネルの姿は、まるで地獄にて剣山に刺される罪人そのもの――
「刑はこちらで終わらせましたよ閻魔様。どうか彼女の旅路には、試練よりも多くの幸福がありますように」
―― 辰砂 莉緒 肉体消失により脱落 ――
―― 芦花 猫爪 剣山の串刺しにより死亡――




