第五十話 身から出た錆 sideネル
「シンシャ! シンシャ!! しっかりして!」
「慌てすぎだよ、ネル。私は大丈夫」
目の前で起きた信じられない光景。いや、どちらかと言えば私自身が信じきれないだけだ。他者を傷つけることを良しとした私の友人。いつかは手ひどいしっぺ返しを食らうと分かってはいても、いざその予想が現実のものとなった時、とても冷静になることなどできなかった。
だけど、当の本人は何処か他人事で……
「で、でも貴女。右腕……」
「うん。かなり痛いけど、なんとかなるから」
そういって彼女は、残された左腕でもって足元に溜まりに溜まった水銀の湖をなぞる。その近くには、私もよく知る人物であるクガネさんの亡骸がある。
……辛い。あの猫の能力者はともかく、紅京さんとクガネさんは付き合いは短くとも顔見知り程度の関りは持っていたんだ。自分の意思でシンシャと纏に味方することを決めたとしても、こればかりは。
――水銀が一筋の線となり、宙を舞って左腕に吸着していく。
「……よし、できた」
「――え?」
左腕に集まった水銀が人の腕のような形に成形された、次の瞬間。表面が蒸発するかの如く白靄に包まれ、白銀色の下に黄金の姿を覗かせる。
「それは、一体?」
「こいつの溶けた金の体を代わりに貰ったの。自分のと比べて多少ぎこちないけど、問題なく動かせる」
私は……何を、見ているの? クガネさんの体を溶かして、それを自分のものにした?
――ザクッ
「!!」
「ッ!?」
私が驚愕と疑心に混乱していると、ふと、背後から地面を踏みしめ近づいてくる気配がする。その音から最も近い私に続き、右腕の黄金に気分を高揚させたシンシャも首を動かさざるおえない。
「おやおや、あなた方も月見ですか? 覚悟を決めた人とは、皆すべからく月を見上げる物なのでしょうか」
光沢をもつ黒のロングコートを身に着けた、高身長の女。顔はマスクで完全に覆われているが、ここまで特徴的な人物は素顔を見なくても判断できる。
「クロロア! どうしてここに!?」
「普段通り校内を徘徊していたところ、外から甲高い音が連続して聞こえてきましてね。気になって様子を見に来たのですが、何をしていたのかお聞きしても?」
「っ!」
「私達がこの世界でやることは、たった一つでしょ?」
言葉にはできないクロロアの雰囲気に言葉を詰まらせた私に変わり、シンシャが一歩前に進み代わりに応対を行う。せめてもの威嚇にと前に出ようとしたところを制する彼女だが目の前に出されたのは本人の物ではない黄金の腕。水銀とは正反対の色。
「そうですね、そうかもしれませんね。――おや、これは」
何かに気づいたらしいクロロアが、その重圧なコートを折り曲げながら地面の銀世界に手を伸ばす。
「クガネ……」
それは、一面銀に覆われたクガネさんの死体。時間経過とともにさらに原型を無くしつつあり、クロロアの指が僅かに触れた箇所がグズグズと凹み溶けだしていく。
「……そうですか。先に、行ってしまわれたのですね。いずれと言わず、あの時にでも決着をつけておくべきでした。まさかこんなにも早く、自らの行動に後悔することになるとは」
指に付いた水銀をしばし眺め、曲げた足を正す。そして、あたり一帯に舞い散った水銀の池に目をやると、ついでこちらに視線を向けるのだ。その目に確かな負の感情を纏わせて。
「水銀……確か貴女の能力でしたねぇシンシャ。彼女たちにも一応の警告をしておいたのですがね」
「あなたも彼女と面識があるの? そう、それは残念だったね。そこで大人しくしていればすぐにでも会わせてあげられるけど、どうする?」
「その腕、黄金の輝きをみるにクガネの腕でしょう。なぜ他者の腕を貼り付け、正常に稼働しているのかはわかりかねますが――」
――コートの袖から、二振りの剣が生成される。何処までも鋭く、月光を反射する死神の刃。
「人の死を踏みにじった貴女の存在は、非常に不愉快です」
「私に。いや、私達に勝てると思っているの? 貴女は一人、私達は三人なのよ?」
「三人? もしや屋上の彼女を当てにしていますか? 残念ですが彼女は今、別の能力者の対応に追われています。こちらを気にする余裕などありません」
「もう、一人? あ」
彼女の言葉に一人離れた纏のいる位置に目をやる。本人は角度の問題で確認できなかったが、屋上からさらに上空へ、砲弾らしきものが速射されている光景が見えた。
言われてみれば、本来の想定では私とシンシャの二人で敵を分断。隙を見て砲撃を送り込む手はずだった。なのに纏の攻撃を確認したのは始まる直後の一発だけ。あの時すでに、もう一人の異能者と戦っていたのか。
「それで勝ったつもり? 例え纏の援護が期待できなくても、数ではこちらが勝っている! ネル、二人であいつを殺すんだ!」
「ッ……ええ」
言葉では彼女に同意しつつも、私の中にはシンシャに対する不信感が募っていく。他者を蹴落としてでも現実に戻りたいという彼女の意思。方法や感情の強さは別にして、共感できる部分があったからこそ私は彼女の行動に同調している。
けど、クガネさんを残酷な方法で葬ったうえ、死体をもてあそぶような行動だけは目に余る。
「二人、というのは引っかかりますね。“人”とは人間を数える場合にのみ使うのですよ? このグラウンドに立つ人間は私とネル、貴方だけです」
「なにを」
「ッ! ネル! そいつの言葉に耳を貸すな!」
意味深な発言の真意を探ろうとする私を、シンシャは攻撃に転じることで有耶無耶にしようとする。クロロアの言葉といいシンシャの取り乱しようといい、何かが心に引っかかる。
「おや、貴女はまだ彼女にそれを伝えていないのですか? あちらは貴女のことを大変信頼しているというのに」
「それ以上喋るな! これ以上、私の計画に誤差を入れるわけにはいかない!」
「計……画?」
両手の熱が、どんどんと放出される錯覚に陥る。背中には冷たい風が流れ、今まで感じなかった肩への重みが一気に実感となってのしかかる。
その先を聞いてはいけない。はやくクロロアの口を封じ込めないと。そう思うのもつかの間、クロロアはその刃で固体化水銀を受け止めると、仮面越しに私の方を見て――
「貴女は騙されていたのですよネル。シンシャは、もうすでにこの世の存在ではありません。過去同じ殺し合いのゲームに参加し志半ばで脱落した、いわば地縛霊という奴です」
そう、告げるのであった。




