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第五話 彼女の嗜むその味は



 瓶底にスプーンの先がぶつかる音が部屋中に小さく響きわたる。夜の静寂に包まれた部屋には、そんな小さな音でも良く響く。窪みを満たす程度の茶色の粉末を容器に入れるネルさんと、学習机を挟んで反対側に座る私。


「~♪♪」


 瓶の音を楽器に見立てとても楽しそうに鼻歌を奏でる彼女の様子に、私はほんわかとした気持ちになりつつ、同時に居心地の悪さも覚えていた。

 何を隠そう、その理由はほんの数刻前のこと。私は命の恩人であり心優しい彼女に対して、失礼にもお化けとして扱ってしまったのだ。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。


「紅京さんは」


「ひゃ、ひゃい!!?」


「? 紅京さんは、お砂糖とミルクはお入れしますか?」


「あ、はい! お願いします」


「かしこまりました」


 もうお気づきの人もいるだろう。今私は、そんな失礼を働いた彼女からコーヒーを頂こうとしているのである。なんたる恥知らず。罪悪感がどんどんと心の底に溜まっている。


 そんな私の気持ちなどどこ吹く風。ネルさんは鮮やかな手さばきで準備を終えると、粉末を入れたイブリック(コーヒーを作るのに使う小鍋)にちょっぴりのシナモンと適量の水を加え、学習机の上に置かれた多量の砂の入ったプレートの上に置く。


「ネルさん、この砂は一体?」


「ただの熱い砂です。この砂で淹れたコーヒーが、いわゆるトルココーヒーになります。触るとやけどするくらい高温ですのでお気を付けを」


 手をかざせばチリチリと熱を感じるほどの砂を、彼女は小鍋を中心にお山を作るようにかき集めじっくりじっくり過熱していく。普段はポッドのお湯とインスタントコーヒーしか飲まない私だが、此処まで本格的なコーヒーが飲めるなんて思ってもみなかった。


「砂で少しづつ水を温めて、風味を逃がさないように作るコーヒー。少し時間がかかります」


「はい、わかりました」


 なるほど。確かに砂で温めるならば火で沸騰させるよりも時間はかかるだろう。しかし、貴重な体験をさせてもらえることに比べればなんのそのだ。少しづつ強くなっていく香りに期待を膨らませながら、私たちは談笑の時間に移る。


「えっと、ネルさん。改めてさっきはありがとうございました。それと、お化け扱いしてしまってすみません……」


「先ほども申しましたが気にする必要はありませんよ、あの状況では誰だって誤解します。ふふっ♪ 紅京さんは優しい人、なんですね」


「そう、ですかね? ははは。……あ! そ、そうだネルさん。ひとつ奇妙な質問をしてもいいですか?」


「はい、構いません」


 本題の前の軽い挨拶を済ませ、いよいよ私はネルさんに本題を切り出す。というよりもはや、藁にもすがる思いだ。この問いかけに彼女が“はい”と答えるか、それとも“いいえ”と答えるか。それによって今後の私の未来が変わっていく。


「“はい”か“いいえ”で答えていただきたいのです。ネルさんは、この学校から出ることができますか?」


 そう問いかけを口にした瞬間、ネルさんの表情が真剣なものに変わる。深刻、とも違う。私の話を聞いて、真剣に考えてくれている顔だ。


 私が今抱えている、学校から出られない問題。もしもネルさんが私と同じ状況なら、脱出を目指して協力できることがあるかもしれない。万が一違ったとしても、その時は事情を説明して協力をお願いできればと思う。


「いいえ、出られません」


 ――帰ってきた答えは、否。 


 つまり彼女も私と同じく、この学校から出られなくなっているらしい。


「ほ、本当ですか!?」


「あれから、もう一年になります。この学校に閉じ込められて、毎日備品を少しづつ拝借しながら生きてきました。紅京さんも、どうやら私たちと同じ状況にあるようですね」


「は、はい! そうなんです!! よかった、同じ悩みを抱える人がいてくださって」


「ふふ。実は、貴女が学校に閉じ込められていたことはなんとなく察していました。確信したのは、貴女が“学校から出られるか”その一言を口にしたときですね」


「え? ――あ!!」


 ネルさんの言葉を聞き、間を置いて彼女の言葉の意図を理解した。


『先生! た――』


『た?』


『た、たっ! あ、ッあ…!?』


 思い浮かぶのは、私が先生に助けを求めた時。あの時は訳も分からず呼吸困難に陥りかけたが、今にして思えば何か自分以外の何かに無理やり口を動かされたような違和感があったのだ。今回ネルさんに質問をしたときは、それがなかった。


「そういえば私、ネルさんに閉じ込められたことを伝えられてます!」


「不思議なことに秘密を共有する者以外に情報を話そうとすると、無理やり口を抑え込まれるようなのです。私も初めは誰かに助けを求めようと苦労しました」


「これ、一体何なんでしょうね。何か幽霊的なものに付かれたとか」


「特定の言葉を話せなくなる妖怪、あまり聞き覚えはありませんね」


「ですねー」


 一年先輩のネルさんでもわからないとすると、私が今すぐどうこうできる問題ではなさそうだ。門を閉じたナニカやさきほどの人体模型、あれらについても考察を進めていきたいところだが……

 と。緊迫感を持ち始めた空気が、沸騰し始めたコーヒーのおかげで緩和する。スプーンで全体を混ぜ、落ち着いた沸騰をもう一度起こすために放置する。


「紅京さんは、今日が閉じ込められて初日なのですか?」


「はい。いつも通り家に帰ろうと門に向かったら、ガラスみたいな透明なものに阻まれて。誰かの悪戯かと思ってたんですけどね……」


「そうですか。では、まだ異能石ジェムも見つけられてはいないようですね」


「ジェ、ム?」


 普段聞きなれない単語が飛び出してきて、当然の疑問を彼女に投げかける。ジェム、宝石のことだろうか。


「異能石。そのまま“いのうせき”と呼ぶこともあれば、簡略化してジェムと呼ぶこともあります。掻い摘んで説明すると、『この学校に閉じ込められた人間が、どういうわけか発現させる特殊能力及び元となる石』のことです」


「特殊、能力? 見たものを忘れない完全記憶とか、絶対音感のようなものですか?」


「半分正解です。記憶力などに作用する力もあるのでしょうが、この力はもっと色んな、自分以外の物にも作用させることができるのです」


「作用? いまいちこう、想像ができないといいますか」


「では、こちらをご覧ください」


「こちらって、ネルさんの手のひら――え!!??」


 瞬間、瞳に飛び込んできた光景は、あまりにも衝撃的過ぎた。勝手に動く門だとか、人を襲う模型だとか。そんなものですらちっぽけに思えてしまうほどの衝撃が広がっていたのだ


「す、砂が!? 砂が吹き荒れてます!?」


 彼女の手のひら、皮膚の表面から、明らかに茶色い砂が生成され放出されているのが確認できる。

 目の前に現れたその砂は、何かに操られているように不思議な軌道を描いていた。竜巻のように一か所で回転を始めたかと思えば、お次はリンゴの絵を空中に描く。

 これを見てただの自然現象で片づけることなど、私にはできなかった。


「驚きましたか? これが、私の発現した特殊能力『砂吸』。熱や水分などを吸収する砂を、体から生成することができます。異能石は、何処にでも落ちている普通の小石です」


 今日この日、確かに私の未来は変わった。良い悪いはどうあれ、普通に過ごしていては絶対に関わらないであろう、異常な未来に。

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