第四十九話 一人静か sideレーゼ
「いっ……――」
「いやああああああああああああ!!」
「!?」
胸に走る鋭い痛みに叫びそうになるが、今はそれよりもすでに空気を振動させている紅京くんの悲鳴だ。こんなに絶望に染まった声を彼女から聞くのは、明音くんと別れた時ですらなかったことだぞ!
「あっちで何があったというんだ? ネルくん、ここは一時休戦――」
「シンシャッ!!?」
と、あっちはあっちで余裕はないか。確かに僕の見る範囲では、三人全員が重傷を負っている。それに、あのクガネくんの姿は……!!
「(嘘……だろう……?)」
僕は、今見た景色を信じられなかった。全身にどろどろとした銀色の液体を纏い地面に仰向けに倒れているクガネくんの姿。そこに、腕や足といった人体に必要な器官が存在しないことに。
「そこまで……そこまでするのかっ! この極限状態の中、生き残るために人を殺す。億万歩譲ってそれは良しとしよう! だが!! 人間から四肢を奪いなぶり殺す必要があったのか!?」
やはり、僕とネルくんはどこまでも交わらない人間のようだ。数少ない縋る存在といえど、あそこまで他者に対し思いやりに欠けた行為を平然と行う人間。僕は絶対に認めたくなどないっ!
「……くっ、だけど今は彼女の方が優先だね」
いつの間にか僕たちとは距離を大きく開き、球技用ネットの側にいる紅京くんを見る。
人から出たとは到底思えない悲鳴を絞り出し、再び気を失ったのだろう、力なくネットに体を預けピクリとも動かずにいる。
無理もない。彼女は体育館でレイダなる人物を目の前で殺され、明音くんと死に別れをし、そして今三人目の最後を見届けたのだから。人間が短期間に耐えられる許容量をはるかに超えている。
「ッ!!」
あのまま寝かせてもしもう一度クガネくんの死体を見ようものなら、今度こそ精神崩壊を引き起こしてしまう。そうなる前に、何としても安全な場所に彼女を移動させなければ。
僕は普段とは違う人間サイズの大きな猫に変化し、彼女の服の端を咥えその場を離れる。幸いシンシャとやらも相当に酷い手傷を負っているようで、ネルくんは彼女に寄り添い攻撃する意思を見せてこない。
「紅京くん、気を強く持つんだよ! 君は、こんなところで死ぬような人じゃないはずだ!!」
安全な場所とは言うけれど、この場合は安全な人の元に送り届けることを意味する。校舎内は何処も化け物の山だ、きっと安全な場所なんて存在しない。それこそ、守ってもらえる人間が近くにいない限りは。
「(くそっ、最悪だ。こんなことなら、あの時もっとしっかり顔と名前を記憶しておくんだった!)」
ゲームが始まった時、彼女の周りにいた人間を思いだす。すでに死亡を確認したレイダくんと明音くんを除くとしても、黒髪の人と大柄な人はまだ可能性はあるはずだ。
本当は僕がつきっきりで守ってあげたいところだが、今の僕の姿を彼女に見せるわけにはいかない。
――紅京くんに、四人目を見せることになってしまう。
「ッ!!」
全力疾走を始めてからあまり時間はかからなかった。入り口から本校舎に入り廊下を駆け抜けていたその時、目の前に黒髪の人影を発見した。
あの場にいた人間の中で黒髪を持つ人間は三人。ネルくんはグラウンドにいるし、クロロアくんは黒いロングコートを羽織っている。
目の前の人影は、短く切りそろえられた黒髪にごく普通の学生服を身に纏っていた。あれはそう、確か紅京くんの近くにいた人物の一人で……
「そこの君! 九条くんで間違いないか!!」
「っ!」
僕の声に反応し、振り返り日に焼けた肌を見せる彼女は、予想通り九条くんだった。彼女はこちらを振り返ると、巨大な猫が迫ってきていると思ったのか異能石と武器を生成し構えを取る。
「ちょちょっと待ってほしい! ホラ口元! この子が目に入らないというのかい!?」
「猫が喋った? それに口元、だと……――!!」
ふぃ~。どうにか殺猫事件は回避できたようだね。少しづつ走る速度を落とし、九条君の前に紅京くんの体を降ろす。
「紅京、おい! しっかりしろ!」
「あまり体を揺らさないでやってくれ。大丈夫、外傷は酷くない。彼女は今、精神的な理由から気絶しているんだ」
「精神? 一体それは何だ!? 説明しろ!」
勢いあまってか、それとも別の理由か。僕は彼女に胸元を強く掴まれた。体を下ろしたと同時に猫化は解除していたが、代わりに爪でつけられた裂傷も表に出てきてしまう。
友人を心配する彼女の目には、映っていないようだが。
「紅京くんは、ついさっき友人の死に立ち会った。黄金の異能者、東雲 狗金くんのね」
「 クガネ……だと……? 」
おっと。人を絞殺さんばかりに入った力が今度は赤子以下の握力になってしまった。それどころか足にすら力が入ってないみたいにスルスルと腰を落としてしまうではないか。
どうやら九条くんは、クガネくんのことも知っていたようだね。
「大丈夫かい? もしや君も彼女とは知り合いだったのかな」
「……あぁ。オレと明音が出られなくなった時、色々世話になったことがあるんだ……本当に、あいつは死んだのか?」
「うん。紅京くんと僕の二人で、彼女の最後を見届けたよ」
「……そう、か」
放心状態、か。紅京くんを預ける相手として最良の選択ができたと思っていたのだけど、少し一人の時間が必要のようだ。ここはもう一人の方、確かユークと名乗る人物の居場所を聞き出そう。その方が彼女のためだ。
ん?
「君の後ろにあるそれは、もしや」
「死体だ。それも、完全に変異が終わってる、な」
「……心当たりは、あるのかい?」
なんとなく予想はつくが、一途の望みにかけて九条君に問う。だが、返ってきたのは
「間違いない、ユーだ。網縫 勇駆。紫の異能石は、あいつだけだからな」
……どうして嫌な予想は、こうも当たってしまうのかな。レイダくん、明音くんに続き、ユークくんまでもが死んでしまった。善人は不幸になるとネルくんに語った僕だけど、こんな形で返ってくるとは思わないじゃないか。
仕方がない。少々酷だが、僕にとって最優先は紅京くんの身の安全だ。多少無理を通してでも、九条くんに身柄を預かってもらおう。
「九条くん。一つ、僕からお願いがあるんだ」
「……無理だ。オレにできることは、もう何もない」
「目を覚ますまででいい、紅京くんを守ってやってくれないか」
「?」
困惑顔を浮かべる九条くんを横目に、僕は廊下の窓を開く。
「頼むよ。もう君にしか頼めないことなんだ」
「なぜ、お前がそんなことを。紅京とお前は知り合いなのか?」
「さぁ、どうだろうね?」
今度は小さい方の猫に変化し、窓枠にぴょいっとひとっ飛び。これで紅京くんの顔も見納めになる。
悲しいけど、僕が彼女のためにしてあげられるのはここまでみたいだ。
「ところで九条くん、君は今の戦況をどこまで把握しているんだい?」
「……レイダとユー、そして明音が死んだことは確認している。あいつはオレを庇って死んだんだ、いやでも記憶するさ」
「そうかい。じゃあ新しく情報を更新するといいよ。現時点での脱落者は五人だ。いいかい? 五人だよ」
「五人? オレが言った三人にクガネを入れても四人だろ。後の一人は――!!」
どうやら合点がいったようだね。さっき胸倉をつかんだときに付着した手のひらの血にもようやく気付いたか。
「まさかお前!」
「猫は飼い主に知られないように死ぬ。まさか僕自身がそんな体験をするなんてね」
「……なにか、手はないのか?」
「今は殺し合いの真っ最中だよ。むしろ君がするべきことは、今すぐ僕を殺しに来ることじゃないのかな」
「できるか! ……そんなこと」
「君も、紅京くんと負けず劣らず優しい人だね。――彼女のこと、頼んだよ」
僕は返答も聞かず、窓の外に飛び出した。返答を聞かなかったのは、きっと僕のわがままなんだ。だって、大事な友人を守ることのできない、不甲斐ない自分を自覚するのが嫌だったから。
―― 夜刀神 冷泉 出血多量により死亡 ――




