第四十一話 この酔いが醒めませんように sideユー
一階の、廊下をおぼつかない足取りで歩く人影が一つ。
「ン……ン……ぷはァッ」
片手には調理用のアルコールをぶら下げて、時折中身をあおっては瞬間的な高揚感に浸る。
「あァァ……ヒック! おっとぉ、へへっ」
彼女の名前は、網縫 勇駆。知り合いからはユーという愛称で呼ばれる、『酒石』の異能者。恵まれた体躯と誰にでも親切に接する心優しさを持つはずの彼女は、その面影を跡形もなく消失させている。
バランスを崩し、柱に背中をぶつけながら倒れ、それでもなお変な笑いを止めることはない。
「へへへ……ンッ! ンッ!! あは、アハハハハハハッ!!」
彼女がこんな状態になってしまったのは、つい数時間前に起きた出来事が原因だった。学校に閉じ込められるという緊急事態を共に生き延びてきた無二の親友――
天傘 零雫を、目の前で殺害されたのだ。
「アハハハハ!! ハハハ……ハ、ハハハ」
半年という長い時間。家に帰ることもできず学校に軟禁され、疲弊していく心を癒してくれたレイダ。彼女は自分の将来に少しも悲観することなく、むしろお泊り会などと言って状況を好意的に受け入れることのできた人物だ。
人を襲う化け物の位置を見破り、未来の動きを占う『水晶』の異能。ユーもまた、幾度となく助けられた過去があった。
「……クソ」
依存、していたのだろう。どんなに力があっても、変わらない毎日に病んでいく精神はどうしようもない。誰かと状況を同じくし、互いに助け合える存在のなんとありがたいことか。
殺し合いが始まり、互いに疑心暗鬼に陥った中では特にそのありがたみを実感する。
「アイツを見殺しにして、その上仇討すら満足にできなかったなんてな……情けねぇ」
深夜徘徊を繰り返し、狙うのはレイダを殺した纏ただ一人。体育館を燃やす尽くしてなお取り逃してしまった奴を、今度こそ仕留めるために。
「ヒヒ……はぁ、いくか」
重たい腰を上げるユーは、柱から背中を離し立ち上がる。おぼつかない足取りで、壁に寄り掛かることもなく瓶を持って歩き始める。
そうして、十分ほど歩いただろうか。
「あん?」
コツコツと足音を響かせながら、こちらに近づいてくる何者かに気づく。規則正しい歩行音といい小さい呼吸の音といい、化け物ではないことだけは確かだ。やがてその人物は、光の差し込む窓の下に立つ。
髪色は、白かった。
「誰だ、アンタ」
「……『氷晶』イサナ。あなたの命をもらい受けるもの」
「!! ……へぇ?」
漁火 勇魚。水の状態を自在に操作できる氷晶の能力者。彼女は先ほど紅京との追いかけっこを終えて、標的を切り替えたところをユーと遭遇した。
「このアタシと殺し合いしようってのか? ……ハッ、残念だったな。はなからアンタなんか眼中にねぇ」
「……知ってる。でも、私には関係ないこと」
「あぁ?」
普段なら、彼女がここまで喧嘩腰に会話することなどない。しかし、アルコールが入り正常な動きをしなくなった彼女の脳は、傷口を逆なでするようなイサナの言葉を冷静に処理できない。
故に、思うままの言葉を口にしてしまうのだ。
「……ゲームでもそう。互いを蹴落とし合うバトルロワイヤルにおいて、孤立・混乱したものから狙うのは定石。今のあなたは、絶好の獲物」
「言ってくれるじゃねぇか。酒に酔っぱらって、酩酊したアタシなら容易く倒せると? ……なめんじゃねえよ!!」
瞬間、イサナの周囲は激しい炎に包まれる。酒に酔い冷静ではないと思わせておいて、周囲にはいつでも攻撃できるようにアルコールを漂わせていたのだ。
勝負はついた。そう思い、迂回のために来た道を戻るため振り返る。人を殺したという罪悪感が、さらに彼女の飲酒を加速させる。
――だが、
「……まだ、終わってないよ」
業火に包まれ、後は焼け死ぬのみだったはずのイサナは、炎をかき消し無傷で生還を果たす。
これには、流石のユーも表情を変えた。
「アンタ、一体どうやって」
「……私の能力は水の状態操作。あなたの能力とは、相性がいい」
見れば彼女の周囲には、水面に煌めくような波紋が浮かび上がっている。
彼女は自身の周囲に球体状に気体をかき集め、炎が発火するタイミングで水を固体に変換。熱を遮断する壁を作り、落ち着いた頃に液体に変え鎮火したのだ。
「なるほど、アタシの火炎を無力化できるってわけか。……いいだろう受けて立つ、『酒石』の異能者ユー。死ぬ前に覚えておくんだな、アンタを殺す人間の名前を」
パリンッ!!
酒瓶を叩き割り、口の端や体の後方から火を噴き上げ接近していくユー。イサナはそれを待ち構え、自身の周囲に水を集め始めた。
「チッ、硬いな。氷、とも違うみたいだ」
「……明鏡止水。私はそう名付けた」
「へぇ、お洒落だねェッ!!」
何度も何度も炎をぶつけ、その度に水の壁に阻まれる。そして少しでも距離が開けば、今度は槍上に形成した水の槍を無数に放ってくる。
隙のない攻撃。じわじわと追い詰めるようないやらしい戦術を取るイサナに対し、沸点の低くなったユーは少しづつ怒りを溜め込んでいく。
「チッ! 自分は安全なところから攻撃するなんて、卑怯な真似をするね」
「……できるからするの。文句は言わせない」
「まぁ、いいさ。ところでイサナとかいったっけ? アンタ」
「……なに?」
「何か、違和感は感じないか?」
「……違和感? ――っ!?」
突然、イサナの視界がぐにゃりと歪む。目の前のユーが三人に分裂したように見え、足に力が入らなくなっていく。片膝を付きなんとか倒れることは防いだものの、とても立ち上がれる状態にはない。
「……私に……なにを」
にやり。彼女のそんな様子を見て、ユーは人の悪い表情を浮かべた、何故ならその症状が出た段階で、自身の考えた作戦が上手くいっていることを確認できたから。
「意外に強いな、お前。成人を迎えたら、きっと酒に強かったろうさ」
「……答えて! 私に、何をしたの!!」
「簡単な話さ。酒ってのはさ、水とアルコールが混ざってできてるんだよ。だから、アンタの水壁にアルコールを浸透させたのさ。火がつかねぇから爆発はしないが、吸い込んで泥酔くらいするだろ」
初めての酔いを体験し、対処法もわからない様子のイサナ。元から繊細な操作を必要とする状態操作。かき集めた水の壁を維持することも難しくなり、無防備な姿をさらす。
そこに、彼女は一歩一歩近づいていった。
「残念だったな、アタシの力は火をつけるだけじゃねぇんだよ。……さて、人を殺そうとしたんだ。当然死ぬ覚悟はできているよな?」
「……ッ」
額に汗を流し、ミイラ取りがミイラになる様子を不鮮明な視界に映すイサナ。それを諦めと取ったのだろうユーは勝利を確信し、距離をつめてトドメに入る。
「……悪く思うな。アタシだって、本当はこんなことしたくないんだよ」
手の先からアルコールを散布し、後は火をつけるのみ。もはやここまで近づいてしまえば、壁も機能しないだろう。覚悟を決めて、目を合わせ、指の摩擦で火をつける。
――その時だ
「――!!」
「なっ!?」
イサナが構えるユーへと腕を伸ばし、体に触れたのは。
「――ガハッッッッ!!!???」
――瞬間、ユーの全身から飛び出した赤い剣。
イサナの持つ能力は、水の状態を操作する能力。そして、人間の体は八十パーセント以上が水で構成されている。
純粋な水ではないため距離が離れては使えないが、彼女は直接触れた場合のみ、不純物の多い液体も能力の支配下に置くことができる。
「そ……んな……」
激痛を感じる暇もなく、ユーは訪れる己の死を悟った。愛する相棒を失い、その仇討も満足に行えないまま、最後は無様に死んでいく最後を。血に伏し、視界から光が消えていく直前。
「ご……め……――」
誰に対し、何のための謝罪なのかはわからない。誰にもその真意を語ることなく、ユーは此処に没した。




