第三十四話 意思に準じた者
「こいつはいい。貴様から向かってくるのなら後腐れなくやれるなァ!!」
「キサマァァァァァ!!!」
白骨の鎧とユーさんの拳とが接触し、その衝撃で今までにないほどの爆発を引き起こす。その規模、被害は尋常ではなく、この場に集まるすべての人間にとって脅威足り得た。
「グッ!?」
それは、私にとっても例外ではない。未だ結晶になった遺体の前に座っていた私を、爆風はいともたやすく壁際に追いやった。背中を打ち付け、肺の中の酸素が一気に放出される。
床は燃え上がり、怒り狂ったユーさんは次々と火の海を拡大させていく。火事被害者の死因は、大体が煙を吸ったことによる二酸化炭素中毒だというが、私も早く密室から抜け出さなくては。
「クーちゃん! こっち!!」
「あ、かねさん!? うっ、けほっけほっ!」
蔓延する煙の中、腕を引く明音さんに従い窓ガラスを突き破って外に出る。外に出て、燃え盛る建物を眺めた。
「大丈夫? って、そんなわけないか」
「あかね、さん……九条さんは……?」
「わからない、煙に巻かれてどっかに行っちゃった。戦ってた三人以外は、全員姿をくらませてる。流石にあんなことがあったんじゃ……ね」
瞳を不安に揺らす明音さん。誰だって目の前で親しい人が亡くなり、火事に巻き込まれそうになったらそうなる。それに彼女の場合、さらに二人も危険な場所に取り残されているのだから。
新鮮な空気を取り込み、ようやく呼吸が落ち着いてきたころ。
――ガシッ
不意に、両肩を強くつかまれる。
「え?」
「クーちゃん、アナタだけでも逃げて。そして、自分の異能石が見つかるまでは絶対に無理はしないこと。いい?」
「ど、どういう……? あ、明音さんも、一緒に」
これが最後の別れだと言わんばかりに、彼女は私と目線を合わせ真剣に話す。
分からない、どうして一緒に逃げてくれないのか。九条さんやユーさんのことなら、私だって心配なんだ。なのに!!
「あたしは――――あの中に戻る」
「ッ!?」
どうして? どうして? どうして? どうして??
未だ爆発と火災が広がり続ける体育館に戻って、何があるというの? ただでさえ危険な火の上で自らの命を懸けて殺し合いをすることに、何の意味があるの!!?
絶対に行かせてなるものか、そう思い力の限り明音さんの服の裾を掴む。
「だ、駄目です! だって、あそこで起きているのは殺し合いなんですよ!? 中は火と煙でまともに動けません! きっと九条さん達も隙を見て外に出てきます! だから!!」
「……ごめん、クーちゃん。きっと今の私は、冷静じゃないんだと思う」
両目から静かに零れる悲しみの涙。美しい顔は色味を失い、正気を失っていることは一目で理解できた。
何が貴女をそこまで……口に出そうとした時、他ならぬ彼女自身の口から理由は語られた。
「でももう、私の目の前で死なれるのは嫌なんだ……嫌なんだよぉっ!」
涙の雫は流れ集まって滝となり、とめどなく感情も溢れ出してくる。人を気遣うことのできる優しい明音さんの、嘘偽りない本音である。
「レイちゃんが死んで……ユーさんが危険になって……今度はあいつまで死にそうになってる。もうこれ以上、私の目の前で親しい人が死ぬ姿なんて、見たくないっ!! だから私はあそこに戻るの。もしかしたらいないかもしれない。無駄死にになるかもしれない。……それでも、ここで見捨てたことを一生後悔するよりはいい」
「そんな、そんなのただの自殺じゃないですか!! 明音さんが死んじゃったら、私は! 明音さんの友達である私はどうなるんですか!!」
裾を掴む力を限界まで引き絞り、この手を離すまいと必死になる。なおも意思を曲げようとしない明音さんと諦めさせたい私との攻防は、互いの気持ちの重さに反比例し、ほんの一瞬のうちに決着を見る。
――チュッ
「――!?」
腕を抑える必要もなく、フリーだった明音さんの腕が私の頬を掴み――接吻をする。
唇と唇がふれるだけの優しいものではない。舌と舌を絡ませて、互いの唾液を交換する深いものだ。
「ん……れろっ……はむっ」
「ん……んん……」
どちらかと言えば、彼女が私を攻めるような激しいキス。状況の急激な変化もさることながら、悪しからず思っていた相手からの情熱的なキス。数々の命の危険に晒され、生物としての本能が刺激されていたのもあるのだろう。
いつの間にか、私からも餌をねだる雛のようにもっとを求めてつま先を伸ばす。
「はぁっ、はぁ、はぁ」
「あかね……ひゃん……」
「……初めて会った時から、クーちゃんのことが気になっていたの。好きな人に初めてをあげられて良かった」
甘く、脳の隅々まで犯しつくすほどの背徳の蜜。思考は明瞭さを失い、ぽわぽわと曖昧な世界が映し出される。
「見捨てるようなことになって、本当にごめんなさい。みんなの間に優劣をつけるつもりはないの……ただ、もう誰の死も見たくないだけ」
「……あかね」
「もしもナーちゃんが生きていたら、その時はクーちゃんが、あたしの代わりに支えてあげて」
「あ」
――強く、裾を掴む腕が振り払われる。甘いキスで脳を麻痺させた隙に起こった、一瞬の出来事。
「……あ、ぁぁぁぁ!!」
「――ごめんね」
「明音さああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
彼女は謝罪を言い残し、地獄へと続くような業火の中へと消えていった。これで私は、二人の友人を失ってしまったのか。これは現実なのか。夢ではないのか。幻か、白昼夢かの可能性も……。
どんなにそれを願っても、背中に走る痛みは本物で、チリチリと舞う火柱は熱い。
「ぁ……ぁぁ……ぁぁ」
近くの柱に肉体を預け、枯れつくした涙が乾燥するのを待つ。けれど、私は立つことを止めなかった。地べたに座り込むことを止め、柱を掴んででも立ったままの姿を維持した。
それは、私に残されたたった一つのエゴ。レイダさんに紡がれ、明音さんに託された使命を果たすまで、心折れることは許されないんだ。
「――――」
「……ぁ……れは」
体育館真上、遥か上空に佇む白い髪を持つ人間。確か名前は、漁火さん、だったか。
「!!」
どうやらあちらも、こちらを捕捉したらしい。体の周囲を青く光らせ、空を泳ぐようにして一直線に向かってくる。
仲良くしようなどという意思はこれっぽっちも感じない様子の漁火。腕の先から青色の息吹が放出された瞬間、私がいる付近一帯が氷のような結晶に覆われる。
「……イサナ。異能石は『氷晶』、能力は水の状態操作。紅京躯、貴女の命をもらう」
「……紅京、異能石は『桜石』。悪いけど、貴女にあげられるほど私の命は安くないの」
どんなに情けない姿になっても、生きるためなら意地汚く逃げる。氷結し続ける背後を振り返ることなく、脱兎のごとく走り出す。
火の中に飛び込む明音さんと、氷にすら背を向ける私。二度と私たちの道が交わらないことを、これでもかと指し示している。




