第二十五話 間一髪
ひときわ大きな衝撃が、私たちがしがみつく足場を襲う。再び動き出したドクロの腕が傾いた床をさらに砕き、私のいる場所と、明音さんレイダさんのいる場所がちょうど真っ二つに分裂させる。この傾いた足場のなかで初めから手渡しできるとも思っていなかったが、これでさらに明音さんに渡す難易度が上がってしまった。
「使って、くださいっ!!」
だから私は、右手に握った琥珀を思いっきり空中に投げた。どう頑張っても私がそちらに移ることはできない。ならせめてこれだけは、この琥珀だけは明音さんに渡さないと。
そんな一抹の願いをこめて放った琥珀は、放物線を描きながら明音さん達の頭上に届く。
――ガゴン、と。私がしがみついていた足場が外側へ傾いていく。
「う、あっ!?」
「クーちゃん!?」
「紅京さん!!!!」
おそらく、割れた床の比率が悪かったのだ。本館に寄り掛かる形でなんとか保っていた床のバランスが、二つに分離し、かつ比率が外側に偏ったせいでこちらの足場が下に落下を始めてしまった。
手すりを梯子代わりに登ろうか。いや、もう遅い。すでに一番上は本館から離れる寸前だし、動いたら余計にバランスを崩す。
反対側に移る? 無理だ。手すりを離した瞬間、私は真っ逆さまに下に落ちてしまう。
――受け入れるしかない、現実を。
「(せっかく、友達ができたのに……)」
コンクリートに亀裂が入り、自重に負けて崩壊を始める。手すりの根元が崩壊と同時に外れ、それに頼っていた私の体は勢いよく外に放り出される。
悔いはある。やり残したこともある。だけど最後の使命だけはやり遂げることができた。ゆっくりと流れる視覚情報の片隅で、私の投げた琥珀を明音さんは確かに握っている。
「(……よかった。アレを渡すことができただけでも、私が来た意味はあった)」
そう思いながら、ゆっくりと瞼を下ろす。
走馬燈ならついさっきも見た。まったく、碌な思い出のない最悪の人生だった。あんなものをもう一度振り返るくらいなら、これから私の向かうあの世というものがどんなところか、想像する方がよっぽどマシだ。
「クーーーーーー!!」
「……?」
肌に感じる柔らかな感触。三階から一階に落ちたにしてはあまりにも非現実的な感触に閉じていた目を開いてみれば、視界に映るのは灰色ではなく金色の髪。空に放り投げられた私の体を抱えているのは、最後に見た明音さんその人であった。
「あかね……さん?」
「よかった間に合った! もー! 無茶しすぎだよ」
「あ、れ? どうしてここに」
突如として響き渡る足元からの轟音、倒れた足場が地面と激突したのだ。じゃあ、巻き込まれた私も落ちていなければおかしい。だというのに、一向に衝撃が来る気配がない。逆に、妙な浮遊感があるくらいだ。
「意識はしっかりしてる? 自分が誰かわかる?」
「……はい、大丈夫です。あの、明音さ―― っ!」
浮遊感もそうだが、なぜ離れた場所にいた彼女がここにいるのか。理由を尋ねようと口を開いたところで、私は言葉を失う。
なぜなら、私を抱えた明音さんの背中。そこにはひらひらと素早く動く、羽のようなものが見えたから。
「驚いたでしょ。あたしの奥の手はね、琥珀に取り込まれた動植物の特性を反映することなの。クーちゃんに貰った蜂入り琥珀のおかげで、私は羽で空を飛べるようになった」
先ほどから感じる浮遊感の正体が、まさか本当に飛んでいるからだったとは。今も忙しなく動き続けている彼女の羽は、よくよく観察してみればそれも琥珀で作られている。
華麗に空を舞う姿はまさに妖精。人一人抱えてもなおバランスを崩さない飛行能力で、彼女は私を、レイダさんの待つ本館屋上まで届けてくれた。
「よっ……と」
「ありがとうござ――あっ」
彼女に下ろしてもらい、お礼を伝えようとした矢先の出来事。さっきの崩落に巻き込まれたとき、気づかないうちに腰を抜かしてしまったようだ。
私は当然のように立とうとしたが、床に立った瞬間、まるで生まれたての小鹿のように足が震え、勢いよく腰を打ち付けてしまう。
「だ、大丈夫?」
「は、はい。あ、足が震えてうまく立てなくて。えへへ」
「クーちゃんはそこで休んでて。ここまで頑張ってくれたんだから、今度はあたしが頑張る番だよ」
再び羽を動かし、素早く敵の元に帰っていく明音さん。あれだけ激しかった振動も、この距離なら多少マシに思える。
さて、この抜けた腰をどうしようか。
「紅京さーーーー!!」
「レイダさん、ご無事でぶっ!?」
てっきり私は、直前で止まるものと予想していた。だがまさか、ノンストップで走り寄ってきたうえにそのまま飛び込んでくるとは思ってもみなかった。
「よがっだ、よがっだよーー! 紅京さんが吹き飛ばされて、もう助からないって思って、それでっ! 無事でよがっだーー!!」
上半身に彼女の全体重を一気に感じつつ、覆い隠された状態なために呼吸を確保しようと必死になる。彼女の発する言葉は一言一句聞き逃さずに。
「す、少し離れてもらっても、いいですか? こ、呼吸が」
「あ″、ご、ごべん」
こんなに顔を真っ赤にして。出会ってまだ二日の私を、ここまで心配してくれるレイダさん。誰かを思って泣ける優しさは、本当に素敵だと私は思う。
私の両親は、ここまで真剣に向き合ってくれたことなど一度もないというのに。
「ぐずっ……それで、他に怪我とかない?」
「はい、腰が抜けた以外には特に。酷いけがになる前に明音さんが助けてくれましたから」
「そっか……よかった!」
今はただ、レイダさんの一点の曇りもない笑顔が、ただ眩しい。




