第二十二話 積もった灰の姿
科学準備室を抜けて、理科室を通り本館と別館を繋ぐ通路を私たちは走る。
「い、一体何があったのですか!? うおっ!?」
定期的に来る余震。いや、もはや隙間すらないほどに揺れは続いている。大きくて重いものを思いっきり地面に叩きつけているかのようなその揺れは、走り続けるうちにさらに強く感じてしまう。
「とにかく走って! 説明だけじゃ納得できないと思うから!」
「明音、いつもの階段で屋上にいくぞ! そこからなら見えるはずだ!」
お二人の慌てよう。ただの地震にしてはいささか反応が過剰な気がする。……それだけの事態であるということか。
元々が三階にいただけあって、本館へと渡る通路以外は特に時間を掛けることもなく屋上にたどり着く。微妙に現実の世界とは肌触りの違う空気と空模様を見つめ、未だ続く余震に体を揺さぶられる。
「それで、屋上に来た目的は――」
「見えた、あそこ!!」
「「ッ!?」」
先頭を走っていた明音さんの一際大きな声に誘導され、私と九条さんはほぼ同時に彼女の指さす方向を見た。
「な……に……」
私はそこで、初めて自らの置かれた危機的状況を理解する。準備室を崩壊させた地震の原因も、明音さん達が焦っていた理由も、間を開けることなく続く余震の正体も、それですべてが繋がったのだ。
「まずい、な」
「うわぁ……」
三者とも、一様に言葉を失っていた。それもそうだろう。自分たちが通ってきたものとは正反対の通路。修繕されてまだ五年も経っていないはずのその天井が、見るも無残に破壊されていたのだ。表面のコンクリートがはがされ、一部には骨組みがむき出しになっているのがここからでもわかる。
それになにより、平面であり飾りなど一切ないはずの天井からは、“白い指のようなもの”が建物奥から生えているのが見えていた。
―― その存在は、建物を崩壊させながらゆっくりと五本の指を通路の奥から現し、自らの全てを遥か上空に映し出す。土煙が晴れ、現れたものは ――
「で、でかい骨格標本!?」
「違う。奴の骨の色味や質感は、間違いなく本物の人骨だ。……言語化するなら『がしゃどくろ』というところか」
がしゃどくろ。
昭和期から知名度を上げてきた、巨大な人骨の妖怪。ホラーなどで名前くらいは聞いたことがあるけれど、まさか実物を見ることになんて。がしゃどくろは今も、その骨太の指で通路を握りつぶし粉砕しながら自らの両脚で立とうとしている。
「う、あ!? や、やばくないですかこの状況!? あいつ、今にも本館に手を乗せますよ!?」
「あぁ。今は立つことに集中しているおかげで直接的な被害はないが、逆に言えば、奴はただ動くだけでこれだけの状況を作り出せるということ。もし他の怪物のようにオレたちを狙うようなことがあれば……」
「!?」
思い出す、自分が下敷きになってしまった時の状況を。この世の終わりにも思えたあの巨大な地震は、がしゃどくろが少し立とうとしただけで起きたもの。
足で立つ前の今ですら、奴の顔は三階建ての校舎からはみ出ていて大きい。座高だけで十四~十五メートルはあるだろう。その巨体に似合う剛腕が振り下ろされたときの衝撃は……想像もしたくない。
「はやく逃げましょう!? ここが鏡の世界なら、鏡で現実に戻れば!」
「いやー、それは無理でしょ」
「な、なぜ!?」
私の必死の提案は、明音さんに容易く却下される。その理由を問いただそうと思ったその時には、すでに二人は片手に異能石を握りしめていた。
「こっちの世界は、学校から出られないあたしたちにとって生命線だからね。衣食住の確保はもちろん、脱出の手掛かりが残ってるかもしれないし。中に入れなくなるのは困るのよ」
「悪い、紅京。ここからはお前を守ってやることはできん。可能な限りはやく、鏡で現実の世界に戻れ! いいな!!」
「あっ」
最後に私を案じる言葉をかけてから、九条さんは屋根を伝い、明音さんは壁に貼り付けた琥珀を振り子のように使って、それぞれの方法でがしゃどくろの元へ向かっていく。
未だ異能石を持たない私には、彼女らについていく方法がない。
「(……このまま、二人を見送るだけでいいのか)」
私に、あの場で有効に働くほどの力はない。無理をしてついていったところで、足手まといにしかならないことはわかっている。
……だからって、何もしないのは違うんじゃないか。あの場で戦うことだけが、彼女たちの役に立つことじゃないんじゃないか?
「あるはずだ。何か、私にだってできることが)」
必死にない頭を回転させる。戦う以外の選択肢で、非力な私にできること。私は役に立たない、でも二人のことを助けたい。
ならどうする。こういう時、私はまず何をするべきだ――
「!! これだ。私がこの状況でとれる、最良の選択肢」
屋上から階段に続く扉を蹴破り、段差を数段飛ばしに下へ下へと駆け出す。目的地は三階の家庭科室。私自身何もできないのなら、何かできる人に応援を頼めばいい。
すでに向かった九条さんと明音さんを除けば、私が面識のある異能石を持つ人物は三人いる。うち二人は、そこにいる。
「ユーさん! レイダさん! いますか!!」
「ドゥワ!!? び、びっくりした。あれ? 紅京さん?」
「……どうやら、何かあったようだな」
扉付近にいたレイダさんと、奥で酒石の詰まった小瓶を持ち佇んでいるユーさんの姿にホッと胸をなでおろす。しかし、そう落ち着いてもいられない。
「た、助けてください!! 九条さんと明音さんが、大きな怪物と戦ってて!!」
「なんだと!? あいつら、勝手に先走ったのか!!」
「巨大な怪物ーー!!? ――なんてね? ちゃーんとわかってるよ僕ちゃんは」
声を荒げるユーさんとは正反対に、なぜか誇らしげに腰に手をあて胸を張るレイダさん。一体この状況のどこに、そんなに誇らしくできることが……知ってる?
「知って、るんですか?」
「うん! なんなら、昨日のうちに手は打ってあるよ~。ほら、僕の能力を思い出して?」
「能力? それは水晶の……『占い』!!」
「せいか~い♪」
思い出した。レイダさんの能力は水晶を用いた占い。彼女はその能力を使って、この状況を事前に察知していたというのだ。
「昨日一緒に校内を回っている間、いろんなところに置手紙を置いておいたんだ。注意喚起もかねて、全員に伝わるようかなりの数をね。中にはヤバいのに宛てたものもあるんだけど、果たして協力してくれるかどうか……」
「それで、倒すのに必要な戦力が集まるまでここに待機していたというわけなんだが……あいつらが来ないのをおかしいと思っていたんだ」
「多分集まる戦力はこれだけだと思うよ~? 僕とユーちゃん、九条に蜂頼に紅京さんの五人。まぁそれ以外で来てくれる可能性があるとすれば、狗金さんと猫爪さんくらいかなぁ」
「とにかく、二人が先に会敵したというならのんびりもできまい。急ぐぞ!」
「ほいほーい! じゃあ紅京さんも、一緒に行こうか」
「わ、私ですか!? ……その、私は特にお役に立てないと思いますが」
「大丈夫大丈夫。むしろ君はいた方がいいって思うよ、なんとなくだけど」
「!! わかりました」
ただ一人奴の居場所を知る私が先導して、お二人を九条さんと明音さんの元に連れていく。これで戦える人間は倍の四人にまで増えた。備えすぎて困ることもないと思い、できればレイダさんの狙い通りに、現地で協力してくれる人がいることを願うばかりだ。




