第十一話 夜に一人は心細い
「なるほど、こいつらの仲間に引きづりこまれて鏡の中に」
「はい。私を捕らえた個体は返り討ちにしたのですが、気づいた時には周りを囲まれてて」
鏡の中に存在する空間を、九条さんに先導されながら進む。初めての場所を、詳しい人が前を歩いてくれることの心強さたるや。
「だろうな。模型の連中は力はそれほど強くないが、代わりに数を駆使して襲ってくるんだ。奴らと戦うなら、まずは囲まれない地形選びからすることだ」
「なるほど」
いつ化け物が襲い来るかわからないというのに、彼女は一切の躊躇をみせずに廊下を歩く。自己防衛の術を持っているが故の自信か、それとも経験で培われた直感か。合間の会話で彼女がこの空間や化け物に対しての知識が豊富なことはわかっている。きっとネルさんと同じで、長年学校に囚われているのだろう。
「ところで、お前の名はなんてんだ?」
「紅京 躯って言います。親しい人にはミヤと呼ばれますので、長ければそちらでお呼びください」
「躯、死体ね。自分の娘に品のない名前を付けやがる」
「あはは、よく言われます。でも気にしてませんし、どうか九条さんもお気になさらず」
返答は返ってこなかったが、隣から覗く彼女の表情は少し険しくなっている。私の名前一つにここまで怒ってくれる人は、今まで生きてきた中でも初めて見る。たったこれだけの会話でも、九条さんが心優しい人だということはすぐに分かった。
「紅京、ここに閉じ込められて何日目だ?」
「今日が初めての夜になります。だから色々と手探りの状態で、今は食料と隠れ家を探して校内を回ってました」
「初日だって!?」
「(あ、そこは驚くんだ)」
あんなに冷静に見えた九条さんが驚く姿は、少し意外だった。感情を表に出さないクールな人だと思っていたが、戦闘のイメージに反して表情は豊かなのかもしれない。
ネルさんならこういう時、言葉では驚きつつも表情の変化は少ないだろうから。
「いや、凄いなお前。初日から化け物相手にパイプ振り回すとか、実は結構やんちゃしてたのか?」
「いやいやいやしてませんからね!? ただちょっと覚悟を決めて身を守っただけで、人を傷つけることとか苦手ですから!」
「ははは! 言ってみただけだよ。お前オレより筋肉ないもんな。肌だって傷一つないし綺麗なもんだ」
それを言うなら貴女だって傷一つないじゃないか。と、ツッコミを入れたいところをグッとこらえる。
彼女が私に言いたいのはそういうことではない。毎日怪我と隣り合わせの生活を送る彼女にとって、それらとは無縁だった私の姿は複雑に感じたのだろう。手に豆もなく、特に苦も無く暮らしてきた私を見て、九条さんは何を思うのだろうか。
「でもそうか、初日なら色々と大変だな。腹だって減ってるだろうし……んじゃ、まずは腹ごしらえに行くか」
「腹ごしらえ? こちらの世界にも食べ物があるんですか?」
「まぁついてきなって。その辺も説明してやっからさ」
何か考えがあるようで、笑顔を浮かべる九条さんの後を付いていく。そして五分ほど歩いた時、彼女は少しづつ鏡の中の世界について語り始めた。
「お前もこの学校の在校生なら、一度は学校全体を歩いてみたことくらいあるよな」
「はい、さっきも現実世界で校舎の一階を見て回ってきたところです。途中妨害が入りましたが」
「じゃあ、今オレ達はどこの教室の前にいるかわかるか? プレート見ちゃだめだぞ?」
「わかりますよ。さっきまでいたのが特別学習室ですから、今は第一空き教室を越えて荷物置き場前のはずです」
「じゃ、教室のプレートを見てみろよ」
「はい――え?」
九条さんと合流して、五分以上廊下を歩き続けたのだ。まず間違いなく特別学習室は通り過ぎているし、第一空き教室を越えて倉庫の前にいるはずだ。疑う余地もなく、自信をもって扉の上に取り付けられたプレートを見る。
――そこには、五分前とかわらず特別学習室の文字が。
「な、え、どうして!?」
「驚いただろう? オレも初めて来たときは驚いたもんさ」
「ど、どういうことですか九条さん! 私たち今ちゃんと廊下を歩いてきましたよね!?」
「そうだな。間違いなくオレとお前は、この道をまっすぐ進んできた。寄り道や迂回なんぞせずまっすぐにな」
「じゃあどうして……鏡越しにあっちとこっちを行き来したわけでもないのに」
「答え合わせだ。オレたちが未だ特別教室の前にいる理由。それは、“鏡の世界が現実よりも広くできているから”だ」
「現実よりも、広い?」
それから、九条さんは私に鏡の中の世界についての詳しく説明をしてくれた。
「現実の風景を反転させ、そのまま持ってきたような鏡の中の世界。鏡映しって言葉があるように、こっちに入ってきた人間は無意識のうちにあちらとこちらを同じ世界だと認識してしまう。だが実際は、見た目は同じ作りでも違うところがあるんだ。例えばこの廊下、教室と窓との距離が長いとは思わないか?」
「距離が、長い……あっ!」
九条さんに言われて、初めて私は廊下の幅が増えていることに気が付いた。現実では生徒が三~四人ほど横並びになるだけで端から端に手を付けたはずの廊下の幅が、今は五、六人でつなぎ合ってもまだ余裕が残りそうなほどに広くなっている。
「確かに、幅が広くなってます!」
「さっき紅京が飛び降りたっていう階段も、数えたら段差が増えているはずだ。とこのように、こっちの世界はあちらと比べて広くなっており、当然廊下の距離や一クラスの部屋の大きさも増えている。だからオレたちは、まだ特別教室の前にいるってわけだな」
『はぁ、はぁ、第一空き教室通過! ――え、特別学習室・・・・・?』
「気づきませんでした。奴らから逃げている間も違和感は感じていたはずなのに」
現実とは鏡映しの世界。その先入観を捨てて冷静に考えてみれば、誰も現実と全く同じ世界とは言っていない。私個人の勝手な思い込みだったのだ。
「ところで紅京、うちの学校の七不思議って知ってるか?」
一人感心を覚えている私に、九条さんは雑談でもするかのような軽い話題を振る。
「七不思議ですか? 全部を知ってるわけではありませんが、『夜に姿身鏡を見ると鏡の中に引きづりこまれる』という話くらいは知ってます」
「OK。じゃそれを含めて、一度全部の七不思議を教えるぜ? ①数えると増えている階段 ②夜に見ると引きずり込まれる鏡 ③ひとりでに動く道具 ④0時を過ぎるとこの世から消えてしまう ⑤グラウンドの桜の下には死体が埋まっている ⑥絶対に空かない扉 だ。」
一見この世界とはかかわりないように思える話だが、九条さんが今ここで話したということは必ず意味がある内容なのだろう。かくいう私も、一度この現象を七不思議と結びつけたことのある一人なのだ。
「あれ、六個?」
「具体的に内容がわかっているのは六個だ。最後の一つ、第七の不思議は、“その内容を知ってはいけない”とかなんとか。まぁこれはいい、重要なのは前半の三つ。なぁ紅京、お前もすでに体験しただろう?」
「!! はい、確かに全部経験しました」
前半の三つ……数えると増える階段、引きずり込まれる鏡、ひとりでに動く道具。
一、九条さんの言っていた、鏡の中の広くなった世界
二、今私たちのいる鏡の世界
三、追ってきていた人体模型たち
どれも、七不思議にあった現象そのものだ。
「おそらく学校の七不思議は、過去に同じ体験をした奴の教訓が込められている。後半四つの不思議が実在するとしたらどうにもきな臭いが、記録が残っているのなら脱出する方法はあるはずだ。お前も自暴自棄にならず、脱出目指して頑張れよ」
「! ……はい」
背筋に冷たい風が吹き抜ける。異能石の力に魅了されて、現実の恐ろしさから眼を背けていたように思う。
「――まぁ今日の所はそれを知るだけでもいいだろう、ちゃっちゃと目的の場所に行って、腹いっぱい食おう!」
「……っはい!」
私はちゃんと、この学校から生きて出られるのだろうか……