第一話 あなたは今も、私の心に
「おばあちゃん、これなぁに?」
それは、はるか彼方に溶け込んでしまった記憶。どんなに思い出そうとしても、全体の半分も思い出せないほどの遠い、遠い思い出。
「これかい? これはね、おばあちゃんが、大事な人から貰った宝物だよ」
「たからもの?」
あれはそう、気温がまだ三十度を越えなかった夏の日。見渡す限りを緑に囲まれた、穏やかで少し寂しい古民家の縁側で話した、亡くなったおばあちゃんとの記憶。
「そう。その人がね、お守りだっておばあちゃんにくれたんだよ」
「ふーん。じゃあ、これはおばあちゃんがもってないと……」
掌に乗せられた宝石を割れないように乗せたまま、私は両の手を差し出す。けれどおばあちゃんは、大事な人から貰ったというその宝石をなぜか受け取ろうとはしなかった。
それどころか、優しく首を横に振り手のひらで私の腕を押し返す。
「おばあちゃん?」
「これは、ミヤちゃんにあげるよ」
「わたしに?」
「その宝石はね? これから先、必ずミヤちゃんを守ってくれる。不幸をはねのけて、幸せな未来に導いてくれる。だから大事に、持っておくんだよ」
手の上の石は、宝石というにはあまり輝いてはいない。しかし、全体の淡いピンク色といい、表面の花のような模様といい、子供心に目を引かれる魅力があった。
「でも、それじゃあおばあちゃんが」
「ふふっ。私はもう、沢山幸せをもらったさ。いろんなことから守ってもらったし、こうしてミヤちゃんに会えた。感謝してもしきれないくらいだよ」
「でも……」
ふと、シワの寄った時間を感じさせる指先が、私の持つ宝石へと伸びてくる。私の言葉をやっとわかってもらえたんだと、胸を撫で下ろしたのを覚えている。
だけどそれは、宝石が元の持ち主に戻ったわけではなかった。
おばあちゃんは拾い上げた宝石を透明なケースの中に入れると紐を通してペンダントにして私の首にかけたのだ。手の中にある宝石をまるでガラス細工のように丁寧に扱う姿を見て、少しでも安心感を与えようとしたのだろう。
「これしか残してやれない、情けないおばちゃんを許しておくれ。私が不甲斐ないばかりに、お前に辛い思いをさせてしまった」
「んーん。わたしね? おばあちゃんがいてくれて、とってもうれしい!! これからもずっと、いっしょにいてね」
そういうとおばあちゃんは、一度目を見開いたかと思うと、次の瞬間には笑顔を浮かべこう言った。
「ありがとう」
次の日、おばあちゃんは天に上った。あの時は私が宝石を取ったせいだと、凄く自分を責めたのを覚えている。あまり記憶力の良くない私が、唯一覚えているおばあちゃんとの思い出――――――
「――みや、くれみや! 紅京!!」
「――っ!!?」
耳を貫いた大きな声に、私の脳は強制的に起動した。
「はっ、はれ? ここは?」
「寝ぼけてないで準備をしろ、今は五限の授業だぞ」
目が覚めてまず視界に映ったのは、風に揺れる草木ではなく濃緑の黒板と白文字。そして、分厚い教科書を片手に丸め腕を組む教師の姿。私を叩き起こした声の正体は、次の授業の教師が出したものだった。
「あれ、私寝てた?」
「ぐっすりだったぞ、昨日はさぞ勉強していたんだろうなぁ?」
「いやー、今朝まで仲間とドラゴン狩りにいってまして」
「ふんっ!」
「アダッ!!?」
丸めた教科書で頭頂部を殴られる。酷い!! これは体罰ではないですか!!
「お前は課題二倍の刑に処す」
「酷い! 体罰のみならず課題まで!! この鬼教師!! そんなんだから彼氏ができな「なにか言ったか?」イエナニモ」
クスクスとクラスメイトの笑い声が響く。黒髪を靡かせる国語の教師と私のやり取りは、私を知る人の間では風物詩となっていたりする。
起立! 礼!
「おにゃしゃーす」
日直の号令で一連の動作を済ませ、席に座る。この行為になんの意味があるのかわからないけど、みんながやっているのならそれに合わせるだけだ。
――コツン・・・・・・
「ん?」
ふと、ちょうど私の胸前から何かが物に当たる音が響いた。ちらりとそちらを見れば、そこには宙をぶらぶらと激しく揺れるペンダントの姿。
おそらくさっきの音は、ペンダントが机の角にあたって出たものなのだろう。
「(おばあちゃん……)」
透明なプラスチックの奥に見える、桜の花びらの模様が着いた宝石。俗にいう桜石。小さな頃はこの石がなんなのか見当もつかなかったけれど、ふとした時に調べてこれが桜石と呼ばれていることを知った。
「(そういえばこの学校、おばあちゃんも通ってたんだっけ。今の今まで忘れてたのになぁ)」
眼前に持ち上げた宝石を数秒眺め、教師にバレないよういそいそと胸元に隠す。これを身に着けることはちゃんと学校側に許可をもらっている。とはいえ、それは表に出さない場合に限っての話。万が一にも没収されるわけにはいかないのでこうしてすぐに隠すのだ。
「では、昨日の続きから授業を始める。教科書二十三ページを開け」
「(二十三ページ。あー、興味ないと集中続かないよぉ)ふぁ~……」
「なんだ紅京、もっと課題を増やしたいのならそういえばいいだろう」
「うぇ!? ち、ちょっと待ってください真面目に受けます授業!!」
「初めからそうしていればいいんだ」
などと適度に戯れを交えながら、いたずらに時間は過ぎていく。
起立! 礼!
「あっしたー」
課題が二倍になった以外には何ら変わらぬ一日。ホームルームでの報告事項も特になく、部活にも所属していないため後は格安の我が家に帰るだけとなった。
「あ″ー。さて、今日は何を狩ろうかねぇ」
最近ハマっているゲームのことを思い浮かべつつ、荷物を纏めて校門へと歩き始める。一人暮らし故、真っ直ぐではなく途中スーパーに寄らなければならないものの、それさえ済んでしまえばあとは自由。今日も姿の見えない電子上の友達と遊ぶため、パパっと献立を決めて家路を急ぐ。
―― なぜ今日、私は死んだおばちゃんの夢を見たのか。今思えばこの時、もっと真面目に考えるべきだった ――
夕日を中央に置く開かれた校門が、外に出る私を嬉々として歓迎している。さっさと家に帰ろうとゆっくり歩いていたはずの足が駆け足に代わり、小走りになってグングンと校門との距離を縮める。やがて目の前に目的の場所は見え、そして……
「よっしゃー! 出口――」
ドンッッ!!!!
「イタッ!! ――は?」
見えない何かに、私の体がぶち当たった。人の気配も、車のような障害物の気配もない。確かに先の開かれた校門から、外に出ようとしたはずなんだ。
だが体は、起こした行動とは真逆。校門の内側にあった。
「な、なに今の?」
なにかにぶつかった? いや、きっと気のせいだ。もう一度、しっかりと前を見て外に繋がる道を……
「くっ!! と、透明な、板!?」
ペタリ、ペタリ。門の隙間、何もないはずの場所に触れている。透明な壁、ガラス、そのどれとも違うナニカ。眼前に広がる学校の敷地の外に、出れなくなっているのだ。
けれど私の心は、まだほんの少しの余裕を残していた。これがただの悪戯の類ならば、教師に伝えるなりなんなりで対処できるからだ。
きっと大丈夫、困っているのは私だけではないんだ。はやく先生に知らせて、この異常事態を解決してもらおう。そう気丈に構えていた。
「あぁもう、誰かの悪戯? とりあえず誰か先生に――」
「今日、帰りパフェいかない?」
「いいね、今日チートデイだし!」
「――え」
私の目の前で、何食わぬ顔で通り抜けるクラスメイトの姿を見るまでは――