千夜一夜物語の千夜目と一夜目とプロローグとエピローグ
「昔々、あるところにアランジという名前の若者が」
「あの」
「おりました。あるとき、彼の元に怪しい男がやってきて」
「ちょっといいかい?」
「いい仕事を紹介してやるからついてこいと言いました」
「ねえ、イザベラ。大事な話が」
「うるさいですわ!!! 続きを忘れたらどうするんですの!!!」
「ひぃっ」
「わ、私はちゃんと起きています!」
何度も話しかけてくるアラン王をひたすら無視していたイザベラでしたが、ついに物語を中断して大声で怒鳴りました。その剣幕に王は小さな悲鳴を漏らし、いつのまにかいびきをかいて熟睡していたイザベラの妹、ルイズはバレバレの嘘を叫びました。
すべての始まりは1000日以上前に遡ります。
国王であるアランは大変聡明でしたが、小さな頃から人付き合いがとても苦手でした。優れた観察眼を持ち、相手の気持ちが手に取るように分かるからこそ、ちょっとした悪意や隠しごとも敏感に察知して、人間不信をこじらせてしまったのです。
政務に関しては大臣たちの補佐で何とかなったものの、妃がいつまでたっても決まらないことが深刻な問題でした。王は縁談相手の女性に無理難題をふっかけて、全て断ってしまうのです。挙句の果てに密かに雇った便利屋に頼んで「冷酷で残忍な王は、気に入らない妃候補の首をはねてしまう」などといった恐ろしい噂を街に広めてしまいました。
ぱったり見合い話も途絶え、国の未来を憂いて頭を抱える大臣たちでしたが、そんな中、妃候補として挙げられたのがイザベラとルイズの姉妹でした。二人はある大臣の娘でしたが、イザベラは花嫁修業を放り出して暇があれば空想の物語を書き綴り、ルイズは隙があればいつでもどこでも惰眠を貪る訳アリ令嬢姉妹、つまりヤケになった大臣たちの苦肉の策だったのです。
そして、ちょうど千日前に三人は出会いました。アランがすぐに帰ってもらうための脅し文句を口にする前に、イザベラのマシンガントークが炸裂しました。
「私は今から自分がこれまで考えてきた物語をアラン様にお話しします。生まれてこの方、妃になるための勉強も修業も何一つしたことが無い私には、それしかできることはありません。もし退屈だと感じられたのなら、妹と一緒に煮るなり焼くなり好きになさってください……ルイズ! 何寝てんの! あんたは隣で合いの手を入れるなり踊るなり歌うなりして、命がけで場の空気を盛り上げなさいよ! 次に寝たら私が先に永眠させてやるわ! いいですねアラン様?」
「は、はい……」
イザベラの確認が世にも珍しいお伽話による妃選びのことなのか、それとも妹の生殺与奪の権を握ることについてなのかは分かりませんでしたが、彼女の剣幕に圧倒されてアランはつい返事をしてしまいました。
どんな話をするにしろ、退屈だったと答えて追い払ってしまえばいい。そんな考えは気づけば王の脳内から吹き飛んでいました。イザベラの語る物語は、自分の知っているどんなお伽話よりも突飛で鮮烈で、どこかバカバカしくそれでいてハッとさせられるような、非常に魅力的なものだったのです。
それに加えて、イザベラの声にはまるでその世界を実際に旅してきたかのように真剣な熱がこもり、瞳は目の前に幻想的な光景が映っているかのごとく鮮やかに輝いていました。そんな彼女に王はすっかり心を奪われてしまったのです。ちなみにルイズはその晩だけで14回居眠りをして、危うくそのまま永遠の眠りにつくところでした。
これはあくまでも千夜目と一夜目とそれからの物語なので、その間に長年凝り固まったアランの人間不信が数多くの素晴らしいお伽話とその語り手によってどのように解きほぐされていったのか、あるいは生まれて初めて出会った自分の作品の熱心なファンにイザベラがどうやって惹かれていったのか、もしくはルイズがいったい何度強烈なビンタを姉からお見舞いされる羽目になったのかはご想像にお任せします。
ここで語ることができるのは、アランが2年と9ヶ月かけてやっと内に秘めてきた想いを告白できたということ、それを聞いたイザベラは今までの饒舌さが嘘のようにしどろもどろになって赤面したこと、そして運が良いのか悪いのか、世にも珍しい姉の姿を爆睡して見逃したルイズは今回だけお咎めを受けずに済んだということです。
こうしてめでたく夫婦となったアランとイザベラの風変わりな恋物語は、元の噂をかき消すように国中で長く語り継がれることになりました。余談ですが、幸せそうなルイズの寝顔に一目惚れした物好きな家臣のおかげで、彼女は生涯思う存分居眠りを楽しむことができましたとさ。めでたし、めでたし。