拾ってきた猫を溺愛していたら、やきもちを焼いた嫁が異常なまでに甘えてきた
とある大雨の日、嫁の美海が猫を拾ってきた。
「ねぇ、俊哉。この子を飼いたいんだけど、ダメかな?」
なんでもこの子猫は、大雨の中『拾って下さい』と書かれた段ボールに入って、ずぶ濡れになっていたらしい。
「雨に打たれながら、体を震わせていたんだよ? 可哀想だと思わない?」
「そりゃあ可哀想だとは思うけど……猫は生きているんだぞ? 生き物を飼うっていうのは、洋服や家具を買うのとは違うんだ」
「え? 何その子供を諭す時によく使われる常套句。もしかして、俊哉は私を子供だと思ってる?」
だって美海って、たまに精神年齢が20歳近く下がる時があるし。この前ファミレスに行った時だって、お子様ランチ頼もうとしていたよな?
「俊哉の言う通り、生き物を飼うのには責任が伴うことくらい、わかってるよ。だけどやろうともしないで出来ないって決め付けて、困っている子猫を見捨てるなんて、それは間違っていると思う」
「責任を持てるか持てないかじゃなくて、持つか持たないかが大切ってわけか?」
「うん、そういうこと。だから……この子を飼わせて下さい」
期待のこもった眼差しを向ける、嫁と子猫。純粋無垢な一人と一匹の澄んだ瞳に、俺は「うっ」と声を上げながらたじろぐ。
俺の稼ぎは決して良いわけじゃないし、そのくせ仕事は忙しいので時間的余裕もない。
それは美海も似たようなものであり、正直猫を飼うというのは現実的じゃない気がするのだが……こんな目を向けられては、どうして拒絶することが出来ようか?
……ったく。つくづく俺は嫁に甘いな。
そういえば結婚も、こうやって美海に押し切られたんだっけ。
俺は結構優柔不断なところがあるから、こうやって牽引してくれる美海の性格にはとても救われている。
それに今まで美海の言う通りにして、後悔したことなんて一度もなかった筈だ。
「……しっかり面倒を見るんだぞ?」
「勿論! ありがとう、俊哉!」
こうして我が家に子猫という新しい家族が増えたのだった。
◇
我が家に子猫が来て数日が経過した。
ぶっちゃけた話、俺はあまり動物が得意じゃない。
というのも、小学生の頃通学する度に近所の猛犬に吠えられたというトラウマがあるからだ。
猛犬とは違って子猫は吠えたり噛もうとしたりしないけど、それでも動物というだけで、どうしても苦手意識を抱いてしまう。
だからこの子猫の世話は、基本的に美海に任せるとしよう。
美海のことだからうざったくなるくらい子猫を愛でるだろうし、敢えて俺が可愛がったりする必要もない筈だ。
すり寄ってきたら、軽く撫でてあげる。そのくらいで良いだろう。
近すぎず遠すぎず、きっとそれくらいの距離が丁度良いのだ。そう、適度な距離感が――
「ん〜、どうちたんでちゅか〜? もしかして、お腹が空いたんでちゅか〜?」
現在俺は、有言不実行と言わんばかりに、子猫を構いまくっていた。
だって、しょうがないじゃないか。
俺がソファーに座ってテレビを見ていると、待ってましたと言わんばかりに膝の上にチョコンと座ってきたり。朝ほんの少しでも寝坊すると、「もう朝だよ」と教えるように小さな肉球を顔に押し付けてきたり。
あー、もう! うちの猫、可愛すぎるだろ!!
すっかり子猫に魅了されてしまった俺は、今日も仕事帰りにちょっと高めのおやつを買ってきていた。
「どうでちゅか〜? 美味しいでちゅか〜?」
俺が尋ねると、子猫は嬉しそうに「にゃー」と答える。
そうかそうか、美味しいのか。それじゃあ明日も何か買ってくるとしよう。
俺は過剰なまでに子猫を可愛がる。そんな俺を、ここ最近の美海はジーッと凝視し続けていた。
「おい、美海。その目は何だよ?」
「べっつにー」
いや、その目は絶対に何か言いたいことのある時のやつだろう? その内容は、間違いなく俺への不満だ。
言わなくてもわかる。さしずめ子猫を独占していることを、ずるいと思っているのだろう。
だけど俺だって、子猫と遊びたいのだ。この時間を譲るつもりは毛頭ない。
飽きもせず子猫に構い続ける俺に、美海は依然として不満そうな視線を向けてきていた。
◇
我が家に子猫が来て一週間が経過した頃、とうとう美海の不満が爆発した。
「ただいまー」
いつも通り子猫のお土産を買って帰宅した俺を待っていたのは、驚くべき嫁の姿だった。
新妻らしく裸エプロン? いいや、そんなレベルのものじゃない。ある意味裸エプロンよりヤバい姿というか。
猫耳を付けた嫁が……『かまって下さい』と書かれた段ボールに入って、玄関で待機していたのだ。
「おかえりだにゃん!」
猫の手をしながら、ウィンクする嫁。あざとすぎる。そして年齢を考えろ。
「……何してんの?」
「何って、子猫の真似をしてるの。……してるんだにゃん」
わざわざ言い直してまで、語尾ににゃん付けなくて良いから。
「猫の真似をしているのは見ればわかる。だったら、何で猫の真似なんかしているんだ?」
「それは……本当にわからないの?」
俺が子猫を独占するあまり、子猫成分が不足してしまって、自身が子猫になるという発想に至ってしまったのだろうか?
そんな突拍子もない予想を立てている俺のそばに、子猫が寄ってくる。
「にゃー」と鳴く子猫。きっと「おかえり」と言ってくれているんだろうな。
「よーしよし。ただいま帰りましたよ〜。良い子に留守番していましたか〜?」
俺は子猫を抱きかかえ、頬擦りをする。
一瞬にして蚊帳の外になった美海は……頬を膨らませて、拗ね始めた。
「そういうところだよ! 俊哉がそうやって子猫ばかり構うから、私も子猫になったんだよ!」
「えーと……それはつまり、俺に構って欲しくて猫耳を付けた段ボールの中に入っていたってこと?」
「だからそうだって言ってるじゃん!」
この女、バカなんじゃないか?
そう思ったが、俺は口には出さなかった。だって嫁に寂しい思いをさせていた俺の方が、それ以上の大バカ者なのだから。
最近向けられていた嫁の視線は、不満を訴えていたのではなく、もっと構えというアピールだったのだ。
俺は子猫を床に置く。
ちょっと待っていてくれ。次は美海の番だ。
「美海、こっちにおいで」
「……うん」
俺が手招きをすると、美海は勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
「これで満足か?」
「ううん。まだ足りない。子猫にしたみたいに、私にも頬擦りをして」
「頬擦りはちょっと……恥ずかしいなぁ」
「じゃあ、代わりに頭を撫でて」
「それくらいなら、喜んで」
要望通り優しく頭を撫でると、美海は気持ち良さそうにうっとりした表情をしてみせた。
「今度私を蔑ろにしたら、許さないんだからね」
「その時は、三行半でも突きつけられるのか?」
「離婚はしない。その代わり、今度は大雨の中子猫みたいに段ボールに入ってる」
「そんなことしたら、風邪引くぞ?」
「引いて欲しくなかったら、もっと私に構うこと」
わかったよ。これからは、きちんと美海との時間を確保する。
だからといって、子猫を愛でる時間を減らすわけじゃない。
これまで通り1時間たっぷり子猫を構ったのならば、それと同じ時間だけ、嫁のことも構ってあげるとしよう。