1-5鍛錬先は集魔炉?
日の光が赤から薄紫に変化する頃、アーシャが再び呼びにきた。
「お待たせ致しました。 それでは首相の元へご案内致します。」
そういってアーシャの後をついていくと、先ほど「首相室」と説明を受けた部屋の前で立ち止まる。
「こちらが首相室です。首相と、ワーギャン様がお待ちしております。私はこちらで待たせて頂きますので、アルト様お一人でお入りください」
そっか、誰でも簡単に会える相手ではないのだな、と改めて思うとなんだか緊張してきた。おれは面接前の受験生のような気分でその扉をコンコンと二度叩く。
「入れ」
扉の向こうから聞こえたのは、あのワーギャンとか呼ばれていたミュージシャン風騎士の声だった。
「失礼します」
おれは両開きの重い扉をゆっくりと押し開けると、応接セットの奥にある、書類の積まれたデスクに腰掛けた白髪の小柄な紳士と、そのすぐ脇に立つワーギャンがいた。
部屋に入ると、壁にぎっしりと並ぶ書籍の多さに目を奪われる。この部屋は独特な香りがすると思ったら、この紙とインクの香りだな。昔から本屋さんにいくとついついトイレに行きたくなるからちょっと心配になってきた。
「そこに座れ」
そんな心配はどこ吹く風で、ワーギャンはおれに応接のソファに座るよう促す。相変わらずなんか感じ悪いやつだな、こいつは。
そんなことを思いながらも、ソファに腰掛けると、白髪の紳士がおれの正面に座り、話を始める。
「はじめまして、アルト君。 アデロン共和国の首相、イーガル=セントミハイだ。」
おれはなんて返したらよいのかわからず、とりあえずその場で小さく頭を下げる。短く切りそろえた白髪と丸眼鏡から、人あたり良さそうな雰囲気を最初部屋に入ったときは感じたが、実際こうやって相対すると話し方も穏やかなのになんとなく凄みを感じる。
「アルト君はこちらの話す言葉は理解できるしこの国の説明はある程度受けていると聞いているが、間違いないかね?」
「はい、間違いありません」
おれの答えに満足そうに頷きながら話を続ける。
「ワーギャンから聞いていた通り、今回は本当に成功のようだな。 まずは突然召喚されて驚いているだろうが、来てくれて感謝している。 ありがとう。 話に聞いていると思うが、アデロン共和国は歴史が浅く、元々所属していたバルト帝国がいつ奪還にやってくるかわからない。 是非君の力で、共和国国家の安全を切り拓いていって欲しい」
(少なくともこのイーガルさんは、共和国が国を統治する最善の手段だと思っているのだな)
おれは話ぶりからなんとなくそう感じた。
「どこまでお力になれるかわかりませんが、お呼びいただいたからには最善をつくすように致します」
「あぁ、今は君も自身の力がわかっていないだろうからそれでかまわない。 ワーギャン、訓練の計画は既に立てているのだろう?」
話を振られたワーギャンは小さく頷く。
「はい、イーガル様。 まずは集魔炉で働かせます」
集魔炉と聞いたイーガルの眉がぴくりと動く。
「集魔炉、大丈夫なのか……?」
「はい、安定するまでのしばらくは私が付きます」
なんだかとっても良くない雰囲気の会話の流れだ。あまり口を挟むべき存在ではないかもしれないが、ちょっと聞いておこう。
「集魔炉って、なんでしょうか? 危ないところなのですか?」
おれの質問に、ワーギャンがギロっとこちらを睨む。ほら、やっぱりよくない。やめておけばよかったかな。
「細かいことは私が後から説明するが、簡単に言えば人から魔力を集める場所だ」
そんなことはある程度想像できるのだが、何が懸念なのかを知りたいのだよ、ワーギャン君。しかし、おれも子供ではない。この聞いてくれるなという雰囲気の中で聞くほど野暮ではない。おれがワーギャンの答えに黙っていると、イーガルさんは助け船を出してくれるつもりのようだ。
「ワーギャンは私が最も信頼を寄せる人間の一人だ。 多少ぶっきらぼうなところもあるが、こいつがなんとかなるといっているのだから、なんとかなるのだろう。 基本的には、君はワーギャンが面倒をみることになっているからよろしく頼む」
うーん、なんとかなるだろう、って言葉だけで信用するほどお人好しではないのだが、これ以上何をいっても始まらないし、大人しくしておこう。
「わかりました。 ワーギャンさん、よろしくお願いします」
おれは改めてワーギャンに頭を下げると、ふんっと鼻で返事をする。なぜおれはこいつにこんなに嫌われているのだろうか……
その後、しばらくは戦争への動員も予定していないからしっかりと鍛錬を積むように、と嬉しいのか悲しいのか現時点ではよくわからないお声がけをイーロンさんから受け取ると、おれはその場を後にしようとする。
すると、扉を出るときに、ワーギャンがおれに声をかける。
「今日はゆっくり休め。 明日から早速集魔炉に入るから朝部屋に迎えに行く。 あと、アーシャはおまえの指示であれば何でも従う。 好きに使え」
ちょ、ちょっと。ワーギャンさん真顔でいきなり何を言い出すのだろうか。おれはドギマギしながら失礼します、とだけ声をかけ扉を出ると、待っていたアーシャがおれに声をかける。
「お疲れ様でございました。 本日はこれで全て終わりと聞いておりますが、お食事にしますか? それとも湯浴みされますか?」
おれは先程の話を聞いたばかりの、とんでもないタイミングのアーシャからの提案に、思わず顔を赤らめる。この子を、自分の好きにできる……ムクムクと妄想が膨らみ、なぜかおれの中ではアーシャがうさ耳をつけたバニーガールの格好で食事の準備をしていた。しかし、頭をブンブンと振り、雑念を振り払い、なんとか意識を呼び寄せると、息も絶え絶えでアーシャに返事をする。
「えっと、今日は疲れたからそのまま部屋に戻って休むことにします」
すると、ちょっと残念そうな顔をするアーシャ。
「わかりました。 そうですよね、今日は本当にいろんな事がありましたものね。 お部屋でゆっくりしてくださいね!」
もう、そんな顔するのはやめてくださいよ、アーシャさん。それではまるで僕をさそっているようではないですか……
そんな後ろ髪を引かれる思いでなんとかおれは部屋に戻り、アーシャと別れると、おれはそのままベッドになだれ込み、眠りについてしまった。
□□
翌朝、鳥のさえずりで目が覚める。本日も快晴のようだ。窓の外から降り注ぐ日の光が部屋の中を優しく照らす。おれはベッドに腰掛けながら大きく腕をあげ、全身を伸ばすと、改めて現実を直視する。
(あぁ、目が覚めたら全てが夢だった、なんてことはないみたいだな)
昨日の夜と変わらない石畳の部屋と見慣れない赤い絨毯がそこにはあった。
(ま、くよくよしても仕方がないからな。 やれることをやろう)
おれは簡単に身支度を整えると、朝食のために昨日アーシャから教えられていた食堂に足を運ぶ。陽の光が降り注ぐ大きな窓のある部屋には、いくつかテーブルと椅子がならぶ。すると、エプロン姿のアーシャがそこにはいた。おれのことを見つけるとすぐにアーシャはこちらに駆けつける。いちいち仕草が可愛らしい。
「おはようございます、アルト様」
満面の笑みで挨拶をしてくれるアーシャにおれもできるだけの笑顔で応える。
「アーシャさん、おはようございます」
「お食事ですよね、すぐお持ちするのでこちらにかけてお待ちください」
アーシャは近くの4人掛けのテーブルの椅子を引き、おれを座らせると、足早に別の部屋に行ってしまった。時間がわからないが、こんな朝から働いて、アーシャも大変だな、と改めて感心しながら待つことしばし。
「お待たせしました」
アーシャが持ってきたのはパンとスクランブルエッグのような卵料理だった。昨日の昼食もそうだったが、こちらの世界の食事は洋風な食事で、味付けなどもそこまで変わらずその点ではかなり救いだった。一通り食事が終わると、紅茶のようなお茶まで出してくれる。
紅茶をすすっていると、アーシャがやってきた。
「本日は集魔炉に行かれるのですよね? お気をつけて、行ってきてくださいね」
「集魔炉って、危ないところなのですか?」
そうだ、アーシャに聞けばよかったのだ、と思いつき、このチャンスは逃すまい、といろいろ聞くことにした。
「危ないところか、と聞かれると、答えが難しいのですが……」
と、周りの様子を伺って少し答えに困っている様子だった。
「あ、答えにくい質問だったらすみません」
おれの謝罪に、むしろ自分が申し訳ないことをしたかの如く、アーシャはブンブンと手を振り、その代わりに、といった具合でとんでもない提案を持ちかけてくる。
「とんでもございません。 あの……アルト様、もしよければお部屋にお伺いしてもよいでしょうか?」
おれは突然のアーシャの提案に、カップから紅茶をこぼしそうになりながら、ただただ首を縦に振ることしかできなかった。
突然の提案には何か深い理由が……?