1-2異世界・そして役割を知る
(あれ、ここ、どこだ?)
目の前には心配そうにこちらを驚きながら見つめる2人の老婦人の顔があった。ずんぐりむっくりした背格好で、鷲のようにしっかりとした鼻と、顔に刻まれた深いしわは、絵に描いたような老婦人だった。二人は双子なのだろう。よく似ているが、唯一の違いは、一人の口元には大きなほくろがあることだった。そしてその老婦人の少し後ろには歴史の授業で見たことがありそうな、西洋風の石壁。
(あれ、おれ、海を見に行こうと思っていたのに)
会社の理不尽を突きつけられ、気分を落ち着けるために早退させてもらって、駅のホームを歩いているところまでは覚えているが、そこからここまでの記憶が全くない。そして、改めて自分の見えている状況を整理すると、何やら着ている服がさっきまでと違う気がする。いつのまにか着替えたのだろうか?完全に困惑し、おれがキョロキョロし始めると、おれの目の前にいた老婦人たちがようやく驚きから立ち直ったようで、声を上げる。
「成功ですじゃ、ワーギャン様」
すると、おれの後ろから声が聞こえる。
「あぁ、そのようだな。 能力検査をしておいてくれ。 ベス、シス、後は頼んだ」
声のする方へ振り返ると、そこには黒髪で細かなパーマがかかった、ミュージシャン風の髪型をしながら、全身を西洋風の甲冑に身を包んだ細身の男が立っていた。何より、腰から伸びる、見慣れない長い代物がおれの目に焼き付いていた。そう、剣である。コスプレにしては、いろいろと整いすぎている。
ベス、シスと呼ばれた老婦人は深々と部屋から出ていくワーギャンと呼ばれたコスプレミュージシャン風剣士に頭を下げ、おれに声をかける。
「さぁ、こっちへくるのじゃ」
すると、突然おれの手をつかみ、立っているところから誘導される。いやいや、口で言ってもらえばわかりますからね。残念ながらそこまでおれのストライクゾーンは広くない。それにしても、少し気になったのはおれが元々立っていた足下に描かれた模様。何かの儀式に使うような複雑な模様が描かれている。
そして、部屋の隅にある、何やらみたこともない怪しげな器具がつけられた椅子のような場所へ連れて行かれる。
「ここに座るのじゃ」
口ではそういうものの、今度は二人がかりでおれの腕を片方ずつ持ち、無理矢理座らせようとしてくるので、思わずおれは抗議の声を上げる。
「座ってほしいならそう言ってもらったらちゃんと座りますけど」
と、椅子に座りながらも声を出した自分自身に驚く。何気なく、意思を言葉にしたが、その言葉は少なくとも日本語には聞こえない。英語でもなさそうだ。そして、驚いていたのは老婦人も同じだった。
「お主、こちらの言っていることが理解できるのか?」
その問いにおれはこくりと頷くと、老婦人同士で何やらこそこそと話をし始める。どうやら、イレギュラーなことなのかもしれない。いや、それで言ったら、おれからしたら気がついたらこの環境にいること自体がイレギュラーなのだけど……
でも、ようやく自体が飲み込めてきた。どうやら、おれはいわゆる異世界転移をしてしまったようだ。そして、状況から考えるとこれは召喚。召喚は何か目的があってなされるものだろうから、きっと何かろくでもない役目を仰せつかるのだろう。
(仕事で異動かと思ったら、今度は世界が異動かよ……)
幸い、おれには両親もいないし、彼女がいるわけでもないから、ある意味人生をサイスタートする転機としてちょうどよかったのかもしれない、となんだか妙に前向きな気持ちになってきた。おれのモットーは悩んだら即行動、である。
椅子に座ると、老婦人が手首と足首に何やら不思議な器具を取り付ける。うん、なんだかまるで心電図の検査をされるようだ。
「ちょっと違和感があると思うが、気になされるな?」
その言葉と同時に、老婦人の一人が何かボタンを押すと、二人で計器についている画面を注視する。そして、おれの体に不思議な感覚が流れ込む。
「ん……?」
全身にストローが通っていて、その中をお湯が駆け巡っていくような、体中に、何かが流れ込む感じである。痛いとか、気持ちいいとか悪いとか、そういうのではなく、感覚的にはお風呂に入っているときのような心地よさの感覚に近いかもしれない。
「こいつは……」
「あぁ、間違いないのじゃ……」
老婦人が計器に表示される数字を見ながら驚きの声を上げている。
「どうですか? なにかわかりましたか?」
一人が計器から目を離しおれの方にむき直す。
「その前に一つ教えるのじゃ。 今体に流れているものに違和感があるか?」
おれは首を横に振る。
「いえ、 何か体に温かいものが流れている感じはするけど、痛いとか、気持ち悪いとかはないです」
「温かい、程度か。 これはいいぞ、 なぁベスよ」
どちらがベスで、どちらかシスかわからなかったが、どうやら口元に大きなほくろがある方がベスのようだ。
「あぁ、今回はとんでもない上玉を呼ぶことができたようじゃ」
二人が似たような顔を見合わせ、頷くと、ベスがこちらを改めて見返し、手足につけられた器具を外す。
「詳しい話は少し落ち着いてからするのじゃ」
そう言うと、椅子から降りるように促され、部屋の角にある簡単なテーブルに連れて行かれる。
「まずは、ようこそ、アデロン共和国へ」
ベス、シスはテーブルと同じ深い色の木材で作られた品の良い椅子に腰掛けると、深々と頭を下げる。先ほどから見ていると、この二人はおれに対して敵対心もないし、何か脅威を感じている様子はあるが、ある程度の礼儀をもって接してくれている雰囲気が諸処の動作から伝わる。
ベス、シスの礼に合わせる形で、おれも頭をさげてしまう。さすが元サラリーマン。礼には礼を尽くすのは、どこの世界にいっても同じである。
「いきなりこのような状況で、困惑も多いと思うが端的に言うと我々アデロン共和国は、お主を召喚させていただいた」
シスの説明に、ま、そうだよな、という思いがおれの頭で拡がる。おれが頷くと、ベスが説明を続ける。
「実は今、アデロン共和国はバルト帝国と戦争状態にあるのじゃ。 その戦力補強として、召喚して来たのがお主、ということじゃ」
「そして、昔から、召喚者は魔法に恵まれた者が多いと伝わっているのじゃ。 その中でも、お主はとびっきりの逸材になることができる素質があることが、さっきの計測でわかったのじゃ」
二人の説明に、おれの残念な予想が見事に的中したことに落胆する。しかし、どうやら二人にとってはそんなことはお構いないようで、説明を続ける。
「そして、そんな素質を持つお主にやってもらいたいのは、圧倒的魔法量を身につけてもらい、魔導具の動力源になってほしいのじゃ」
「魔導具の…… 動力源……?」
おれは聞き慣れない言葉にただただ唖然とするばかりであった。
少しずつ明かされる召喚目的。
ここからアルトの成長と苦悩が始まります。