2-7 戸惑い
「アルト様にそう思っていただけて嬉しいです……」
アーシャが少し顔を赤らめているのは、きっとお酒を飲み過ぎたからではないだろう。
「最初は、召喚された方の相手をしろと指示を受けたときに、『とんでもない人だったらどうしよう』と不安でいっぱいだったのです。 でも、そんな心配は全く不要だったことがお会いしてすぐにわかりました」
アーシャは結露したジョッキを手で拭いながら、グラスの中身をぐいっと口に運び飲み込む。ちょ、ちょっと大丈夫かいな、アーシャさん。
「アルト様は本当に真面目で、規則正しい生活をして、何に対しても一生懸命で、ひたむきで。 こんなに一緒にいて楽しくお話できる方が世の中にいるのだなって」
「いやいや、それは僕の方がもっとお世話になっていますよ! アーシャさんが僕のそばにいてくれるから、朝も夜も食堂で待っていてくれると思えるから、だからこそいろんなところで頑張れたし、今の僕があるのだと思います」
もうここまでくれば恥ずかしさなんてどこ吹く風である。あぁだめだ、いろんな理性のタガが外れそうだ。おれはごまかすためにジョッキのエールを飲み干すと、思わずアーシャと目線が真正面からぶつかり、沈黙が訪れる。そしておれは机を見渡すと料理もお酒もちょうどなくなっていたため、次のステップに向かう言葉をアーシャに投げかける。
「……そろそろ、行きますか?」
「……そう、ですね」
こちらの世界の恋愛事情はよくわからないが、これはいける流れなのか……?
お会計はアーシャが出すと言って聞かなかったが、次に食事にいくときにお願いします、と伝えると「絶対ですよ!」と腰に手を当て、人差し指をビシッと立てて許してくれた。あぁもう、いちいち可愛いなぁ。
店を出て城への帰り道。前回食事に行ったときに別れた十字路までくると自然と二人の足が立ち止まる。
「今日はありがとうございました。 とても……、とても楽しい時間を過ごすことができました」
おれはアーシャに向かって微笑むと、アーシャはうつむいたまま返事をしない。
「アーシャさん……?」
おれの呼びかけに、アーシャはかすかに声を絞り出す。
「……かないでください…」
「…え?」
「行かないでください!」
アーシャはおれの方を向いたと思うと、その華奢な手でおれの手首を握り、必死な顔で「行くな」と主張する。
「戦争に行くくらいなら、私も一緒に連れて行ってください!」
(あ、そういうことか……)
アーシャの言いたいことはわかった。わかったのだが、まばらながら人通りがある通りの真ん中でこの状態は、まるでおれがアーシャをいじめているようではないか……
「アーシャさん、そのお言葉、嬉しいです、本当に。 でも、ちょっと落ち着きましょうか」
おれの言葉にアーシャはすみません、とだけ謝ると、つかんでいたおれの手を離す。
(さて、どうしたものか……)
「とりあえず、もう少しどこかに座ってお話しませんか?」
おれの呼びかけにアーシャは頷き、そして思いもがけない提案をしてくる。
「あの…… もしよかったら私の家に来ませんか?」
(なんだこれ、最強の殺し文句ではないか……)
もちろん酔っ払いで、欲求不満のおれに断る意思の強さなんかあるはずもなく、アーシャの家に向かうことで完全合意した。
日が落ちて時間が経つと流石に冷えてくる。来るときよりも近くなったおれとアーシャの距離のせいで、ふと手と手が触れて、そのままその手は自然と絡み合う。予想はしていなかったわけではない。むしろ、期待しているところはあった。だが、ここまで期待通りの展開になるなんて思いもしなかった。
「ようやく着きました」
アーシャはそう言って、いたずらっぽく笑みをみせると、いくつかの家が連なってできた、いわゆるアパートのような建物の前で立ち止まり、どうぞ、と扉をあけて二人で中へ入った。
部屋に入ると同時に、おれは我慢しきれずアーシャを抱き締め、そしてただ唇を重ねる。そして、徐々に深く繋がった。その後のこと(・・)は、あまり覚えていない。ただ、どこかのタイミングでアーシャの目元に光る何かが見えた記憶が、ワーギャンの部屋でほのかに香ったアーシャの香りとともにうっすらと残っていた。
□□
翌朝、おれはアーシャのベッドで、お互い生まれたままの姿で寝ていたことに気がつくとどこかやってしまった感が気持ちの中で充満していた。その理由は、おそらく後ろめたさであろうか。おれがごそごそと動き始めるとアーシャも目を覚ます。
「あ、おはようございます、アルト様」
おれはどこかに感じていた後ろめたさを再び失い、アーシャの唇を自分の唇で塞ぎたくなったがぐっと堪え、アーシャに返事をする。
「おはようございます、アーシャさん。 そして、昨日の夜はちゃんと話ができなくて……なんか……その……ごめんなさい」
おれの謝罪の言葉にアーシャはニコッと笑い、おれの首に手を回し、おれが先ほどまでしたいと思っていたことをしてくる。そして、お互いの唇が離れると静かに呟く。
「大丈夫ですよ、お話はいつでもできます。 それに……嬉しかったです」
アーシャのその言葉に、なんだか少し救われた気がした。少し冷静になって、昨夜言っていた、「アーシャを一緒に戦争に連れて行く」ということについて話をしてみると、実は前回の魔力枯渇の経験から、ワーギャンからアーシャを連れて行く話が一度は持ち上がったそうだ。結局その後おれがある程度安定してS層での魔力抽出ができるようになったため、この話は特に動いていないらしいが、おれから一度ワーギャンに話をしてみることにした。おれは軽く身支度を整え、アーシャの家を出る。なんといったって、今日も魔力抽出があるのである。
「では、後ほど」
そういって出入り口で見送ってくれるアーシャは、きっと食堂ではいつものように振る舞ってくれるのだろうなと、一人でその様子を妄想して薄ら笑いを浮かべながら、城への道を急いだ。
□□
その日の日中、ワーギャンの部屋にて。
「無事昨晩目標を達成しました。」
アーシャはワーギャンに目的を達成したことを報告しにきていた。
「そうか、よくやった」
そう言ってワーギャンはアーシャを手招きする。
「ではそのおれ以外の男で汚れた体を綺麗にしてやらないといけないな」
アーシャは言われるがままその身をワーギャンに差し出す。
(あれ、何かが違う……)
その心境の変化にアーシャ自身も驚いていたが、その重大さに気がつくのはもう少し後だった。
□□
ちょうどアーシャとワーギャンが会っている頃、そんなことが起きているとは知らずおれは普段通りに日課の魔力抽出を終えると、少し早いがワーギャンの部屋に結果を届けに向かうところだった。しかしその道中である人物がこちらを呼び止める。
「アルト!」
廊下の遠くからこちらを呼び止める少し腰の折れ曲がった小さな人影は、シスかベスのどちらかだろう。ちゃんと名前を間違えずに呼んでくれるあたり、シスに違いない。おれは影の方に歩みを進めるとやっぱりシスだった。
「ちょうどよいところで会えたのじゃ。 実はお主にいろいろと話があってな。 今ちょっとよいか?」
「はい、もちろんです!」
別にワーギャンのところに今すぐ行く必要はないからシスに呼ばれるまま二人の研究室に赴くとベスがいた。
「おう、会いたかったのじゃ、ア…」
そこまで言いかけるベスに向かっておれはたまには先手を打つ。
「アルトです」
「わかっておるわい、アルトや」
「ほんとかいな」とシスがベスに対して小声でツッコんでいるから、どうやら日常的にまだ間違えているらしい。さて、気を取り直して話を聞こう。
「それで、何かご用でしたか?」
「おぉ、それなんじゃがな、ついにお主の魔導銃につけるバレルが完成したのじゃ! あと、その計算上の出力に対応可能な魔導板も部分的ではあるがつくることができたからそれも一緒に演習場で試して欲しいのじゃ!」
ベスはまるで自分の孫を早くお披露目したいおばあちゃんのように、意気揚々と話をする。本当にこの人はものづくりが好きなんだなぁと改めて実感する。しかし、少し神妙な面持ちでシスが口を開く。
「じゃがな、その前に一つだけ話をしておきたいのじゃ。 これからお主が戦地で様々な兵士と接することになるその前に……」
シスは目線を少し落とし、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
動く始めるアーシャの気持ちと、そして明らかになる重要な話。2章の大詰めに向けて話が動き始めます。




