白魔導師、憑霊のダンジョンへ 前編
それから和泉の村巷で三日ほどお世話になり、休息と準備をしたのち、俺たちは昼頃に集落を出発した。
ダンジョンの入り口は、集落から見える山の麓。集落に流れる川の水は山から来ており、川を辿っていけば地図がなくとも迷う心配はないとのことだ。なんなら、山の姿も見えているし、余程のヘマさえしなければ迷うことはない。
ダンジョンの入り口への道のりも、集落から距離はあるが、そこまで大変ではなかった。冒険者のような職種の人間であれば、苦じゃない程度の距離。
地形も安定していて、足元が悪くないのも大きい。
途中、モンスターとの遭遇は何度かあったが、Sランク冒険者……特に、出会った頃よりずっと強く成長したユイたちの敵ではなかった。探知魔法でモンスターの気配は把握しているが、避けるより倒すほうが早いと言い、襲いかかるモンスターは主にユイが蹴散らしていく。
和泉の村巷を出て、しばらく森を歩くと山の麓に、ぽっかりと口を開ける洞穴を見つけた。
洞穴の向こう側は暗く、そして静かだ。
生き物の気配はない。
「川はこの山から流れてるのか」
高く聳え立つ山を見上げる。
とても登頂が困難……と言うほどではないが、高さは結構ある。時間はそれなりにかかるだろう。
「上に湖がある、とのことです」
シリカが山頂を眺めながら、湖の光景を想像する。山頂付近にある湖……絶景の予感はするが、今回の目的はその逆、地下である。
「こっからは油断禁物ね」
「あぁ、ユイと俺で先を歩く。シリカ、クロス、ロイドは後ろからついてきてくれ。それとロイド、引き続き探知魔法を頼む」
「分かった」
ダッガスの言葉に頷き、改めて確認するが、やはり、生き物の気配はない。
「それじゃ、行くわよ」
ユイがニヴィアが持たせてくれた魔道具のランタンを片手に洞窟をどんどん進んでいく。
洞窟の中はひんやりと涼しく、壁は湿っていた。壁面を滴る水滴がランタンの光をかすかに反射している。
五人のやや水分を含んだ地面を踏む足音だけが、洞窟内にこだまする。
モンスターの気配のない洞窟……その涼しい環境も相まって、初めこそ、心地よく感じられたが。
奥に、そして下へと進むにつれ、気温がゆっくりと下がっていく。涼しさは次第に、寒さへと変わる。
ニヴィアの助言通り、奥は相当冷えるのだろう。
収納魔法から厚めの服を取り出し、着込む。
「聞いていましたが本当に不気味なくらい、モンスターがいませんね」
「まぁ、あんまし生き物が棲みつくにはって感じだしな」
クロスが辺りをチラリと見渡す。水は豊富にあるが、洞窟内は日の光は届かず、ここに至るまで植物も見かけなかった。
事前情報通りではあるが……それでも、警戒を怠りはしない。万が一を考え、探知魔法で警戒を続ける。
時折、そんな会話も交えながら、歩き始めて数時間……ぽっかりと空いた、広い空間に辿り着く。
「綺麗……」
先頭を歩いていたユイが、眼前に広がる光景に、ポツリと呟く。
後ろに続くダッガスたちも、そして俺も、その光景の美しさと、不思議さを前に思わず足を止めてしまう。
ドーム状に開いた空間。不思議なことにそこは、足場と呼べる地面の方が少なく、六割ほどがライトブルーに輝く水が張っていた。水面は本当に青く発光しており、この空間だけ、ランタンの光がなくとも、見渡すことができる程度に明るい。
だが、何より幻想的なのは、
「水が、上昇している?」
水面からポコポコと生まれ、上昇し、空気中を漂う、小さな水玉。
水玉の向かう先は、俺たちが通ってきた道とは違う、天上の至とことにあいた人の通れないほど狭い穴だった。
穴に吸い込まれるように、水滴が消えていく。
「よく見れば、この空間だけ壁の水滴も上へと登っていっています」
重力に逆らい、壁を登る水。
「神秘的だな……」
ダッガスもが、そんな言葉を吐く中、俺はグッと警戒を強める。
「皆、気をつけてくれ。この水、魔力が宿っている」
宙を浮き、光り輝いている時点でただの水ではないだろうと思っていたが、どうやらここの水は魔力を帯びているらしい。
どうにも嫌な予感がする。
「毒、とか?」
ユイの言葉を聞き、皆の脳裏に、事前に聞いていた『精神に作用する』という言葉が浮かぶ。幸い、この空間を通り抜けるには十分な足場がある。水に触れる必要はない。
警戒しつつ、水には触れないよう足を進める。そして、全員が空間の中央付近に辿り着いた、その瞬間。
神秘的な光景は、豹変する。
突然水がうねりを上げ、形を変える。
「な、なんなの!?」
一本の蛇のように蠢く水柱が水面から飛び出し、五人の間を縫うように動く。
それを回避せんと全員が散り散りに避けた所で、五人を分裂する巨大な水の壁が出現した。重力が反転した滝のように、上へ上へと勢いよく湧き上がる水壁。
「っ! 分断された!」
所詮は水の壁だ。念の為、強化魔法で状態異常耐性を付与しながら、俺たちを個別に遮る水の壁に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。
反射的に手を引き、触れた部分を確認すると赤く腫れていた。じんわりと、今なお痛みが感じられる。
「……冷たい」
冷たさを通り越し、痛みを感じるほどに、その水壁は冷え切っていた。下手に触れ続けると壊死しかねない……それほどまでの冷たさ。
本来であれば絶対に凍るほどの冷気を孕んだ水流。
どんどんと下がる気温。吐く息は白く、体の動きは鈍くなる。
それだけじゃない。この壁が現れてから、この空間を濃い魔力が満たしているせいで、探知魔法が正しく機能していない。
だから、壁の向こう側のことが俺にはわからない。
そこにダンジョンの冷酷な追い打ちがかかる。水面が競り上がり、何かを形成し始めたのだ。
それは徐々に人型へと変わり……
そして何故か、完成間近で弾け散った。
まるで形を保てなくなったかのように。
魔杖を正面に構え、精神を尖らせ、警戒する。
しかし、何秒、何十秒と経とうと、変化が起こらない。
「……何もない?」
しんと静まり返った空間に、一人取り残される。
一瞬、『見たこともない大男』が映った気がしたが、それがなんなのか、はっきり認識するより早く、それはただの水になり、足元の水の中へと溶けていった。
見知らぬ男と二人きり……まぁ、精神的に苦痛かと言われれば、苦痛な気もするが。
まさか、これが?
これが精神に作用する何かだと言うのだろうか?
「なんなんだ……」
あまりにも唐突で、理解に苦しむ状況に十数秒ほど思考が停止してしまう。そんな停止した思考を打ち破ったのは、ユイの叫び声だった。
水壁の向こう側から聞こえた、悲鳴にも近い声。耳をすませば、水が勢いよく立てる音以外にも何か聞こえる。
どういうわけか、俺以外の面々には何かが起こっているらしい。
ならば、何故俺だけ何もないのか、という疑問が浮かぶが、それは後だ。まずは、悲鳴をあげたユイの元に駆けつけるべきだろう。
水壁は強引に押し通れそうにはない。そんなことをすれば、俺が凍え死ぬ。
「危険だが、仕方ない!」
魔杖を握り締め、転移の魔法を発動する。指定先は声の発生源……と思われる場所。
何があるのか視覚的に見ることはできず、探知魔法も正しく機能しない今、転移には不安と危険が付きまとうが……仲間の危機、手段は選んでいられまい。
俺は壁が現れる寸前の光景を思い返し、直感で転移先を指定する。
転移先では、水が何十ものモンスターを形どり、ユイに襲いかかっていた。様々なモンスターを模った水の塊が、次々と湧き出てくる。
この光景自体異様だが、何より妙なのはユイの狼狽ようだった。剣を振るうユイの顔には恐怖がびっしりとこびりついている。
「ユイ!」
叫びながら、一体の狼のようなモンスター目掛け、魔杖を振り下ろす。
この狼を形成するのは水のような液体だ。それなのに、本当の生き物のような絶妙な硬さと弾力が、杖ごしに伝わってくる。
見た目こそアレだが、まるで本物。
また、ユイは割って入る俺を見て、初めて俺がこの空間に入ってきたことに気がついたらしい。それほどまでに、眼前の光景に気を取られていた。
だが、俺にはその理由が分からない。
「なんなんだ、これは?」
答えを求めたわけでない……独り言のようなものだった。
「これは……」
ユイが目を大きく開きながら、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「子供の頃……私の住んでた村を襲い、私以外の人を皆殺しにしたモンスターたちの」
声を震わせ、必死に絞り出すユイの言葉に。その姿に、俺も強い緊張感を覚える。
「その時の光景に、似てる……いえ、これは」
刹那、モンスターの群れの中に、新たな何かが形成される。それは、悲痛な顔をした、女性の顔に見えた。
そしてそれは、まるでユイに助けを求めるように、右手を伸ばす。
それだけに止まらない。モンスターの足元には、踏み躙られる多くの人のような形の何かがあった。どれもが苦しみに満ちた顔で、その視線はユイを捉えている。助けを求めているのか、あるいは憎悪か。ただ、ユイはそれに酷く怯えているようだった。
「…………」
とは言え、所詮は水だ。ほぼ透明で、質感も水そのもの。わずかに青く輝いているような気もするが、その光景は俺の目には、繊細に象られた、美しい氷像のように映るだけだった。
最も、それが襲ってくるのだから、そこまで呑気な心情ではいられないが。
しかし、その光景を前にしたユイの狼狽ようは異様だった。同じものを見ているはずなのに、その受け取り方はまるで違う。
ユイの狼狽ようから、俺はうっすらと事情を察する。
かつて、このパーティーで支援職として活動していたクルムの言葉が想起される。
「これがユイのトラウマで……冒険者であり続ける力の源」
この光景はユイの過去を、模ったものだろう。
そう思うと、ユイの様子にも納得が行った。
同時に、天使化の魔法で中和能力を授けようと、俺が強化魔法で状態異常耐性を付与しようと意味をなさないと言う言葉の意味を、正しくし理解する。
これは……俺にはどうしようもない。
「ユイ、すまない」
なるほど……ある意味、これほど厄介なギミックもないだろう。
俺の場合、何故か上手く起動しなかったことに加え、転移で強引に突破したため、難なく脱したが……手練れの冒険者でも、攻略が難しい理由にも頷ける。
むしろ、多くを経験した熟練の冒険者ほど、苦しむギミックかもしれない。思い返したくない過去や苦悩の一つや二つあるだろう。
俺で言えば、師匠……いや、アレンの手により、ボロボロされたユイの姿か。
俺の隣で辛うじてモンスターの猛攻を防ぐユイの表情はとても苦しそうで、今のユイにとって大した脅威にさえならないはずの敵なのに、もう息が上がり始めている。
無限に湧き出る、ということはないと思う。それでも、これが後十分以上続くだけでも、かなり不味い。
「攻略方法……」
こんな時、セリオンであれば全てを凍らせて解決だったのだろうか。
ない……俺には、この状況を打開する術がない。今、皆が窮地の状況であるとわかっていてなお、サポートすることができない。
自分の無力さが悔やまれる。
ユイにはありったけの支援魔法をかけているが、次々と再生しては、沸き続けるモンスターを前に、力尽きるには時間の問題。
それ以前に、ここで時間を稼いだとしても、他三人がやられてしまう。
「くそっ……」
師匠の言葉が、頭を過ぎる。
――お前はまだまだだな。
鮮明に想起される師匠の顔と言葉。
あぁ、本当にその通りだ。
俺がもっと……もっと、もっと優れた支援職なら。きっと、こんな状態でも何かできた。
己の無力をただ、恥じるしかない。
――今回は、力を貸してやろう。
そんな、聞き覚えのない声が、聞こえた気がした。
刹那、この空間の中心に新たな水柱が現れ、俺の抱いた疑問はかき消される。
「な、なんだ!?」
勢いよく湧き出るそれは、ゆっくりと女の形に変わっていく。
探知魔法なんて不要なほど、肌で感じられるほどに、水中の魔力がその何かへと集められていく。
見覚えのある顔が、ふと意地悪に微笑んだような気がした。
同時にぞわりと悪寒が全身を駆け巡った。
次の瞬間、この開けた空間のちょうど中心あたりに、轟々と燃え上がる火柱が出現した。
火柱は、天井を突き破り、それでもなお、止まることなく、湧き上がり続ける。
「あ、熱い!? なんなの!?」
「分からない!!」
この空間を支配していた冷気が、熱気に侵食される。
魔力の籠った冷たい水は、燃え上がる火柱の熱により、徐々に蒸発させられていく。
「くそっ……逆に不味いぞ」
こんな熱気の中にいたら、俺たちも死ぬ。
熱気に侵され。水の壁が力を失い、水面へと引いていく。消えた壁の隙間から、仲間の姿を探した。
見つけた!
俺は急ぎ、シリカに強化魔法をかけ直す。魔法効果上昇と魔力消費量軽減を、ありったけの力でシリカに付与する。
「シリカ!」
「は、はい!」
おそらく、シリカもユイと似たような状況にあったのだろう。あるいは、この強大な火柱を前にしたからか。放心していたシリカは、俺の声を聞き、すぐに頭を切り替える。
シリカが風属性魔法を発動し、溢れ出る熱風を俺たちが来た洞窟へと導く。それでも結構な熱さだが、何もしないよりはマシだろう。
幸い、火柱はこの辺りの魔力を喰らい尽くすと同時に消え、熱のこもった空気は、山頂まで貫通した穴を通り、外へと排出されていった。
「……何がどうなっているんだ?」
「この空間が、侵入者の記憶から何かを再現するものだとすれば、これも誰かの記憶ということになりますが」
「私はないわ。初めてよ……こんな魔法を見たの」
ユイが天井を見上げる。
天井には熱に溶かされ、ぽっかりと空いた穴が開いている。
数時間もかけ、かなり下層まで来たはずなのに、ここから夜空が眺められる。そんな異常な現状を前に、ここがダンジョンであることさえ忘れ、立ち尽くしてしまう。
そんな俺たちを覚まさせたのは、じわりじわりと湧き上がる冷たい水だった。
「無限かよ、ここの水は」
クロスがそんな愚痴をこぼす。
またここがあの水で満たされるにはそれなりに時間がかかる。
そしてある程度の水がなければ、先ほどの現象は発生しない。
過去の記憶を再現するには、一定の水と魔力が必要と見ていいだろう。
「よく分からないけど、誰も突破したことがない階層を突破したってことでいいのよね?」
「多分、な」
こうして達成感などなく、おそらくこれまで挑んできた全ての冒険者が脱落したであろう階層を、突破するのだった。
本当に、意味もわからずに。
それから休憩も交え、どんどん奥へと進んでいく。引き返すかも考えたが、おそらく、この機を逃せば次はない。あのエリアを突破できたのは、本当に偶然で、幸運な出来事。
未だ誰の記憶を再現したのかも定かではない。
つまり、先ほどの現象には再現性がない。
だから、覚悟を決め、先へと進む。
そうしてさらに数時間。
モンスターのいないダンジョンを降り続け、俺たちは、最下層に到着する。
何故、そこはが最下層だとわかったのか。それは氷漬けにされる一つの腕輪があったからだ。氷の中にありしっかりとは見えないが、それは蒼い宝石の埋め込まれたシルバーのブレスレットのようだ。あれが、このダンジョンの秘宝。
そしてそれを死守するように、一匹の大きな獣が鎮座している。
真っ白な毛を靡かせ、うっすら開く口からは氷のような牙は見える。
ライオンのような、狼のような、そんな白い獣の口から、真っ白な冷気がこぼれ落ちている。
「あれが、ここのボスね」
「かなり強そうだ」
ユイは剣を、ダッガスは盾を構える。
ユイとダッガスが前衛をつとめ、クロスとシリカは遠距離攻撃によるサポート。俺はさらに後方で全員の強化と、必要に応じ回復に努める。
事前に決めていた陣形だ。
前衛を務めるダッガスがユイの万全を確認しようと、チラリとユイへ視線を向けた。その時、ユイの向こう側にある闇の中をさらに黒い何かが動いた気がした。
「なんだ?」
ダッガスは改めて目を凝らし見つめるが、変わった点はない。
気のせいか……そう思い、ダッガスが視線を正面に戻そうとした時……俺は必死に叫んだ。
「ユイ、横だ!!」
その直後、何かを感じ取ったユイが、剣を振るった。
ユイの剣が、真っ黒な剣と交差する。
「何者!?」
真っ黒にゆらりゆらりと蠢く外套を纏い、フードを深々と被ることで顔を隠す男は、数歩離れると同時にふらりと闇に溶けて消えた。
そのすぐ直後、さらに離れた位置……俺たちが来たの方向からから、男はふらりと姿を表す。
「完全な不意打ちのつもりだったんだが」
それから間もなく、黒衣を纏う十数の魔族が、男の背後に駆けつける。
特徴的な尖った耳……何より、この人間とも獣人とも違う魔力。
魔族だ。
「どうして、魔族がここに」
目の前にはダンジョンに棲みつく宝の番犬、背後にはいかにお強そうな魔族……あらゆる可能性を想定してはいたが、これは流石に予想外だ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次回の投稿は二日後の日曜日、そして後編になります。土曜日と日曜の間に、アニメ先行配信。そして木曜と金曜の間にTV放送があるので、この近辺で最低週二は投稿したいと考えています。




