導入:主人公の話
――夢を見た。
此処ではない、どこか遠い世界。思い描いた夢を見た。
あるときは、世界を救う英雄となった。
勇者と呼ばれる血筋。戦う才能が他人より秀でていた。魔王と呼ばれる存在を倒した。史上最強の座に辿り着いた。その全てが正しいような気がして、そのどれとも異なるような気がした。詳しいことは忘れてしまったが、とにかく、あのとき世界を救った。その感触は覚えている。
あるときは、世界を統べる王となった。
民に慕われる優れた統治者。暗躍する者たちの策謀を跳ね除けた。長く続く善政の礎を築き上げた。その裏で、己に従わない愚か者は歴史から消し去った。あれは良い思い出のような気がするが、あれは苦い記憶だったような気もした。どのようにして世の頂に立ち続けたのかは思い出せないが、とにかく、あのとき世界を支配していた。その瞬間は覚えている。
あるときは、才能あふれる若者だった。
あるときは、気力を失くした老人だった。
あるときは、ヒトではない何かとして、ヒトの世界を眺めていた。
あるときは、生物ですらないナニカとして、ヒトの在り様を見守っていた。
そうして多くの経験を積んだ。否、多くの夢を見た、と言った方が正しい。本来ならば一度で終わる生涯を、幾度となく、数多の世界で味わった。喜びに跳ね回り、怒りに打ち震え、哀しみに涙して、ときには心を失うこともあった。
物語たちは列を成し、枝分かれして、いくつかの結末を迎えた。一方で、多くの物語は未だ完結に至らず、その終わりは見える気配すらなかった。それらがどんな終幕を迎えるのかは大いに興味があったが、ここまで思考を繋げた時、それ以上に重要なことに気付いた。
――ああ。私は『主人公ではなかった』のか。
物語の主人公の視点ではある。が、決して物語の主人公ではない。星の数ほど、いや星の数以上の物語に接してきたけれど、私が主人公を務める物語はひとつもなかった。それはそうだろう。私にとって、彼らの物語は夢でしかない。私ではない誰かの、私以外の誰かの人生を書き連ね、読み上げたモノ。そういうモノを書き連ねるのが、或いは読み上げるのが、どうやら私に与えられた役割のようだ。
考え様によっては、悲劇的な事態だと言える。あらゆる物語の登場人物は、主人公足り得るものだ。とある登場人物が脇役だったとしても、同時並行で存在する『別の視点』の物語においては主人公になれる。後ろ向きな言い直し方をするなら、脇役視点のサイドストーリーというヤツだ。だが、残念ながら私が主役となるサイドストーリーは存在しない。『私という存在を主人公として定義する』のは、かなり難しいことらしい。何度か言った通り、それについては既に『星の数ほど』試しているから、ほぼ間違いないと思う。
さて、いつまでも悲観的に考えているわけにもいかないから、そろそろ前向きな話をしよう。つまり、これからの話。もっと簡単に言うなら――
そう、私とキミの話だ。
キミが此処を訪れたのは、きっと単なる偶然に過ぎない。もちろん、それを運命と仮定することもできるだろうが、そのあたりの話はまたの機会に。運命論は嫌いじゃないけど、奥が深すぎるというか、ハマると抜け出せなくなるというか……まあ、とにかくだ。今から語るべきことじゃない。それとは別に、もっと大事な話がある。
遠回しな言い方をするのは私の癖なんだけど、そろそろこの長い駄文にも飽きてきたかもしれないから、ここは端的に言わせてもらうことにしよう。せっかく来てくれたんだ、頼み事のひとつくらい聞いていってくれたまえ。で、私からの頼みというのは、実に簡単なことだ。……改めて口にしようとすると、些か恥ずかしいけれど、そうも言っていられないからね。よく聞いてほしい。
――どうか、キミのチカラで、私を主人公にしてくれないか?
『キミのチカラ』と言ったって、別段難しいことをさせようってわけじゃない。キミには、私のことを見ていてほしい。それだけでいい。
私が何をしたいのか理解できないかもしれないが、つまりは逆転の発想さ。『私の視点で物語を描くことは難しい』。だから『私ではない誰かの視点で、私だけを眺めていてほしい』。これで、間接的ではあるけれど、ほぼ私視点の物語ができるという寸法だ。長年考えて、信頼できる友人に相談までして、ようやく思いついた作戦だよ。私一人では決して実行できない、試すことすらできない、というのが一番の問題だったんだ。
けれど、キミがいてくれれば、きっと描くことができる。
ようやく夢が叶うんだ。文字通り、夢にまで見た夢が、ね。
私の物語をつくること。
私が生きた痕跡を残すこと。
私が存在した証明を遺すこと。
……ここまで言っておいてなんだけど、この役割をキミに強制するチカラは、私にはない。もしキミに、他にやらなくちゃいけないことがあるとか、忙しくて時間がないとか、そもそも私の物語に興味なんて湧かないとか、そういう事情があるなら、それは仕方ない。私にとっては千載一遇ってヤツだけど、キミの物語の邪魔になるのは、私としても不本意だからね。もしキミの都合が悪いなら、私のことは遠慮なく忘れてくれたまえ。少しでも気になるようなら、キミの心と時間に余裕があるときに、またここへ来てくれればいい。
キミが私のワガママに付き合ってくれるというのなら、私と同じ酔狂な輩として歓迎しよう。――ああいや、今のは冗談だよ。もちろん冗談だとも。私自身はさておき、キミが酔狂かどうかは、これから分かることだ。現時点で断言するのは早すぎる。だから、どうかヘソを曲げないでいてほしいな。
私に協力するとなれば、まずは状況の説明が必要かな。私が何者で、どこに住んでいて、どういう生活をしているのか。あとは、仕事とか趣味とか交友関係の話もしておきたい。そうそう、キミが今後どういう状況におかれるのかも言っておかないと――と思ったんだけど、残念。どうやら刻限が近いみたいだ。
私が『主人公』として語れるのは、三千文字程度が限界らしくてね。これ以上となると、どうにも負荷が大き過ぎる。今は全然伝わっていないだろうけど、なかなかしんどい状態なんだよ。簡単に言うと死にそうってこと。
ま、あとは実際に見て……というか、読んでもらった方が早いかな。大丈夫、今のキミの状態は、私の方でバッチリ把握しているとも。今後のキミの扱いは追々説明するとして、キミへのお願いはたったひとつ。想像力を働かせてほしい、ってことだけさ。
如何せん、キミは直接『こちら』に来れないからね。五感で感じる情報を文章というカタチに加工して、尚且つ受け取り手であるキミの想像力で欠けたところを補う。多少面倒な手順に思えるかもしれないけど、私が考える最善の手段がコレなんだ。キミにとっては負担かもしれないが、そこはまあ、発想を変えて楽しんでもらいたい。せっかく『私の視点』を体験できるんだ、楽しまなきゃ損だと思うよ。
そんな感じで、そろそろ本当に限界が近いから、私は黙ってもいいかな?
続きはキミが『こちら』に来てから、ということで。もう勘付いているだろうけど、私は喋るからね。かなり喋る。だから、詳しい話は向こうでしよう。
――さて。キミがこれから私に付き合ってくれるか否かは些細な問題だ。
ここまで聞いてくれてありがとう。この場で最後に贈る言葉は、とうの昔に決めている。
キミとの出会いに、心からの感謝を。
どうかこの先の旅路が、祝福に満ちたものでありますように。