2話 祖母のことば
「おい。これ、次の会議に間に合うようにまとめといてくれ。」どさっと机の上に乱雑に投げ捨てられたA4の束。
バンドを解散したあと父親に頭を下げ、コネで入れてもらったこの小さな広告代理店で働き出して丸2年が経とうとしている。依然としてこの人は俺のことを雑用係か何かだと思っているようだ。
「タケさん、そういうことは私に言ってくださいねー。タカシくんはお昼行ってきていいからね。」事務の美幸さんが優しくフォローしてくれた。この人がいなくなったらたぶんこの会社は回らなくなるだろう。
「すみません。よろしくお願いします。」そう言い、席を立った。
お昼は近くの洋食屋で食べることにした。この店はペペロンチーノが絶品だ。さすがにお昼休憩に食べるのは憚られるが。
ふー、とため息をつき腰を下ろす。注文を済ませ一服しながら携帯を見ると着信が3件あった。妹から2件、母から1件。嫌な予感がし、すぐにかけなおす。
「あ、お兄ちゃん、今大丈夫?仕事中とちゃう?」
「昼休み。どうした?」
「うん。おばあちゃんがな、またお腹が痛い言うてな。……今朝私が病院に連れて行って、さっき検査が終わったとこやねんけど、……やっぱりまた再発してるって。」
「……で?」
「んーと、……」
***
市内で一番大きな病院へと向かう。結論から言うと、どうやら今回ばかりは、ということらしかった。がんで入院するのはこれで3度目になる。主治医によると、高齢ということもあり、これ以上の手術はリターンよりもリスクの方がはるかに大きいためおすすめできない、とのことだった。
前回の手術の際に再発の可能性は低くないと聞いていたため、いつかこうなる覚悟はしていたが、いざなってみたらなってみたであまり動揺していない自分にいささか驚く。まだ事態をきちんと把握できていないのかもしれない。
エレベーターで7階の西病棟へ上がると同時に入院病棟独特の匂いに包まれた。消毒液の匂いなのだろうか、いつまで経ってもこの匂いには慣れない。明日にも緩和ケアの病棟に移されるらしい。緩和ケアとはなるほどいいネーミングだ、と変なところに感心する。受付を済ませ祖母の病室へと向かった。
ノックをして中へ入ると編み物をしていた祖母は顔を上げ、俺に気づきにっこりと微笑んだ。
「大丈夫?おばあちゃん。」
「すまないねえ、わざわざ来てもらって。仕事の方は大丈夫なのかい?」
「うん。1時間くらいで戻るつもり。」
「そうかいそうかい、わざわざ悪いねえ。」元気そうに見えるが、痛み止めの副作用だろうか、普段よりもいくらかゆっくりとしたしゃべり方はやはり、彼女が余命宣告を受けている末期のがん患者であることを意識させる。
「高橋さーん。失礼しますよー。あら、お孫さんかしら。」祖母とは対照的に元気な小太りの看護師が入ってきた。
「10分後に検査に行きますのでよろしくお願いしますねー。」それだけ言うと、来たときと同じように慌ただしく去って行った。
「ふふふ……そういうことだから孝は早く仕事に戻りなさい。本当にありがとうねえ。」
「うん。無理するなよ。」
頼まれていた入院に必要なものをベッドの脇の備え付けの机の上に下ろし、部屋を出ようとしたときだった。
「ところで、孝はもうギターは弾かないのかい?」祖母は外を見ながら感情のわからない顔でぼそっとつぶやいた。
「わたしは孝の歌好きだったよ。」―――