「ここ良いでしょ。私のお気に入りなんだ」
生まれて初めて、家族以外の人から名前で呼ばれた。高校デビューは、失敗ではなかったのではないか。そう思い始め、まだこれから、挽回できると開き直ることができた。
その日の終業チャイムは11時に鳴り、私は帰ることにした。もちろん一人ではなく、美佳とだ。
下駄箱までの道のりでは、私のポニーテールについて、似合っているね、いや、正確には、似合っとるな、と言われた。すかさず私も、黒髪ロング綺麗だね、黒のセーラー服と合っているよなどと言い、互いに良いところを見つけ合ったりした。
美佳も同じ電車通学らしく、駅までの帰り道は、神戸のことについて訊いていた。海と山、両方の良いところが詰まった素晴らしい町であることを知り、私も行ってみたい、そう感じさせる話だった。
学校の最寄り駅から10分の渋谷駅までも一緒で、私が原宿方面なのに対し、美佳は、代官山方面であった。電車内で美佳は、これが東京の満員電車か、と悪戦苦闘し、行きしなは座れたのに、と嘆いていた。
渋谷に着き、美佳が原宿へ行きたいと言い、近すぎてあまり行っておらず詳しくないが、案内すると言った手前、嫌だとは言えなかった。
原宿では、クレープ片手に食べ歩き、コスプレしている人を凝視する美佳を止めるのに必死だった。
歩き疲れ、休みたいと美佳が言うので、私のいつも行っている図書館へ向かった。
渋谷区立図書館の原宿館。私の通っていた神宮中学校のそばにあり、山手線原宿駅からも近い好立地だ。その1階にあるのが、この図書館で唯一飲食のできる場所である、喫茶店だ。
「ここ良いでしょ。私のお気に入りなんだ。静かだし、ここの紅茶美味しいし、おばちゃん優しいし」
慣れたのかだいぶ饒舌になっていた。
「うん、美味しいなぁ」
その屈託のない笑顔を見て、私も笑みがこぼれた。
私の思い描いていた高校生活のスタートではなかったけれど、私の思い出に残る高校生活のスタートになったと思う。人生そう思い通りにはいかないものだし、これで良かったかな、そんな風に思えた初日であった。