The hopeless world ?
漣とナギの距離は、僅か一メートルほど。
その距離で、二人はやり取りを行っている。
そして、ナギはついに極論を晒した。
今、最も不安なことを。
「······私は、結局どうしたら、いいんですか? 漣さん············」
一度死のうとした身。
そう簡単に木乃香たちがいるような光射す、明るい日常に戻れるのだろうか。もしかしたら、ナギは他の人と違うのではないか。
また、底の知れない闇に堕ちてしまうかもしれない。
ナギは、押しつぶされそうだ。
漣は、ベットの上で落ち込んでいる彼女に対して、呆気からんと言った。
「どうもこうも、何もしなくていい」
ーーーー!?
言葉を、失う。
すぐさま、ナギは反論の言葉を並べた。
何故反論する必要があったのか、本人すら分かっていないのだが。
「なんでですか? もう私はまともじゃないんですよっ?」
「んー。だったら俺もまともじゃねえわな」
ーーっ。この、人は······。
「私は一度死のうとした。それほどまで ”狂っていた” 私が、まともな生活を送れるっていう根拠はどこにあるって言うんですかッ?」
ベットを思い切り叩き、ナギは強く言い放った。
······本心としては日常に戻りたい。
しかし、そんなこと、許されない。異常な自分が普通に戻るなんて出来るはずがない。
もはや、自虐とも言えるナギの言葉に対し、漣はあっさりと言い切った。
「根拠もクソもない。お前が、普通に生きる。それが至極当たり前のことじゃないのか?」
しん······。と静まり返る。
「あ············っ。··················う」
当たり前のこと。
そう言われただけで、ナギの頭に機関銃のごとく用意されていた言葉は、一瞬にして忘却した。
漣の眼は真っ直ぐにナギを見て、離さない。
「ちょっとは考えてみろって。自殺なんか馬鹿げてるってすぐに解るぞ」
漣は立ち上がり、大きく腕を開いた。
「俺は鬱を越える症状を”狂っている”と考える。自殺とかもそうだ。だがな、狂ったとしても治せるし、乗り越えられる」
ーー何を、言っているんだ。
「もっと世界を見てみろよ。お前が思っている以上に世界は広い。それこそ、狂っている自分がどれほど小さい存在か思い知り、その虚脱感に打ちひしがれるぞ」
漣は白衣を翻し、軽やかに笑う。
「まだまだ自分ですら知らない多くの楽しみや、驚き、不思議な事はあるんだ。そんな興味の尽きない世界を手放すなんて勿体ねえだろうが」
ナギは目を見開く。
目の前の男はなんて楽しそうなのだろう。
一度目を閉じ、ゆっくりと開く。
ーー············ッ。
両手を広げればそれまでだと思っていた世界は、いつしか果てなんてあろうはずもないほどに広く、広く存在していた。
ナギがどれほど悩み、苦しみ、”狂って”いようと意に返さない。
砂漠のたった一つの砂粒が自分であるかのように、世界は、どこまでも広い。
ーー嗚呼······私の悩みなんて、なんとちっぽけなものなのだろう············!
ナギは広い世界に打ちのめされた。
と同時に、ふつふつとした熱い何かが沸き上がってきた。
「桜河ナギ。お前のこれからってのは、お前が思っている以上に残酷で、ドロドロしている。だが、それ以上に希望は差すに違いねえよ。お前が気づきさえすればな。これ大事」
体の奥底から湧き上がるもの。それは、希望だ。
我に返ると、今までにないほど晴れやかな気持ちになっている。数時間前までとは、真逆の感情が彼女の中に満々と広がる。
ーーこの人は、案外すごい人なのかもしれない。······いや、すごい人なのだろう。
ナギは漣の台詞に対し、はっきりと、大きな声で言った。
「はいっ!」
それでいい。と漣は呟いた。
ナギの心の闇は払われた。
自分の力なのか、はたまた漣や木乃香たちによる力なのか。まさに神のみぞ知るだ。
「うし。診断はこれで終わりだ。もう外も暗いからな、もう帰れっづあああッ」
椅子から立ち上がるとき、漣は机に膝をぶつけて、悲鳴を上げる。
オーバーリアクションな。と思いつつ、形だけは心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか? まったく、何をやってるんだか」
膝が痺れて立ち上がれないのか、まるで芋虫のように地面に丸まり、膝を抑えている。
ナギはさっきまでのコ良さはどこにいった。とツッコミたくなるのをぐっと堪えた。
「そ、そうだ桜河」
足元から声がする。
「面倒臭いかもしれないが、週二回、ここに来い」
「えええ。明後日から夏休みですよ? どうして来なきゃいけないんですか?」
相変わらず地面に丸まっている漣はそのままの姿勢で、質問に答えた。
「鬱は再発率が高いんだよ。あと、治ったと思っても、その後次第で慢性的にもなりやすくなるしな」
「ほう。まあ、それなら仕方ないですよね。分かりました」
「物分かりが良くて助かるよ」
ナギは蹲る漣を見て思う。
ーー私は今日、この人に救われたのだろう。この人のおかげで、木乃香ともちゃんと和解できたんだよね。
そう考えると、ナギは自分がどれほどラッキーなのかと実感した。
ラッキーとは漣のような人と出会えたことであり、木乃香達がナギのために動いてくれたことであり、こうして、救われたことである。
一体、どれほどの人がナギのような幸運であるのか。もちろん、彼女のようなラッキーではない人の方が大勢いることだろう。
鬱によって、”狂い”、自ら命を絶ってしまう人も少なくはない。ここ最近は特にだ。
他人事だと思っていた。鬱になるなんて、心の弱い人がなるものだと決めつけていた。
······そんなことはなかった。
ナギは鬱を経験したからこそ、そう考えれる。
心が脆弱であろうが、屈強であろうが関係ない。
どんな人も等しく鬱になる可能性はある。
決定的な違いは、きっかけがあるかどうか。
ちょっとした事でも鬱になるきっかけはある。そして、狂ってしまうこともある。
その先、乗り越えられるかどうかが最重要なのだ。
乗り越えるまでの道のりは厳しく、決して容易ではない。
ナギは、ある信念を抱きつつある。
ーー私は······。
おそらく、この選択は楽な道ではないだろう。
ーーそんなこと。覚悟の上だ。
「漣さん」
床に這いつくばっている漣は顔だけをナギの方へ向けた。
彼の瞳は痛みのせいか、潤んでいる。その顔を見て、思わず笑ってしまった。
ナギの信念。······それは。
ーー私も、人が鬱を乗り越えるきっかけになりたいッ。
拳を握り締め、決意を固める。
ナギは、満開の笑顔で、言った。
「私を、助手にしてくれませんか?」
♢ ♢ ♢
時刻は夜の八時前。
どの部活もすでに終了し、生徒の姿などあるはずもない。
不気味なほど静まり返った校門で、ナギは予想外の人物を見つけた。
「··················千夏」
中学校以来の親友は制服のままで、そこに居た。
「待っててくれたんだ」
思わず笑みが溢れる。
「当たり前だろ」
中性的で、凛々しい顔つきの彼女は、夜の風景によく映える。
千夏はナギについて、あれこれ詮索することなく、一言だけ言った。
「まあ、その。······なんだ」
何故か吃る千夏。
「お帰り。ナギ」
万感の思いが込み上げて来た。
ナギは何から言えばいいのか悩んだが、シンプルな返事をする。
「ただいま!」
二人はニカっと笑い合う。
ナギは、日常に帰ってこれた。
何故だか、何十日も前の星座占いと、漣が頭に浮かぶ。
『今日の星座占い。牡羊座のあなた。今日はラッキーデイ! 運命の人と会えるかも!』
漣は盛大なくしゃみをしていた。
目を通していただき、ありがとうございます!
今回の話で一章完結です。
一章で何が言いたかったかというと、ズバリ鬱を考えて欲しかったのです。
自殺大国の日本では、自ら命を絶ってしまう人の背後に多かれ少なかれ、鬱という存在があります。それを少しでも考えてもらえたらと思い、この話を書かせていただきました。
鬱を軽いものだと受け止めず、鬱を知る者として身近な人へ接すると、救われる人はどれほどいるのでしょうか。
なにはともあれ、やはりこの様な話は少なからず偏見が存在してしまいます。僕の場合、ほぼ百パーセント偏見ですので、ご了承ください。
また、何か質問などあれば遠慮などせず気軽に尋ねてくれたらと思います。
さてっ。次回から二章です。次からもいつもと同じ日に更新いたしますので、よろしくお願いします。
毎度のことながらまだまだ拙い部分が多いので、誤字脱字などありましたら御指摘のほどお願いします。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回も目を通してもらえることを祈りつつ。
霞アマユキ