漣和真
ナギ達五人がまだ話しを続けている時だった。
「よし。お前らもう時間だ。これ以上遅くなったら親御さんが心配するぞ。帰った帰った」
あえて口を出さないでいてくれたのか、ずっと黙っていた漣はよく通る声で、全員にそう促した。
室内の時計を見ると、時刻は夜の七時半。
なるほど。確かにそろそろ女子高生が出歩くには危ない時間だろう。
いや、それよりも、ずっと静かだったからこそ忘れていたが。
「「「漣先生。居たんだ」」」
五人の声が綺麗に重なった。
漣はこめかみ辺りに青筋を浮かばせ、唇の端をひくつかせる。
「てめえら······この部屋の名前を知らねえのか······。知ってたら、誰が管理しているか分かるだろ······」
「やだなあ。冗談ですよーもう」
ぺろっと舌を出し、渚はあからさまに心のこもっていない、軽い言葉を並べた。
「じゃあ、この部屋の名前、言ってみろ」
案の定、渚は答えに詰まった。
「············給仕室?」
「違うよ渚ちゃん。休憩室だよ」
「え? 事務室だろ」
「おいおい将何言ってんのよ。管理員室でしょうが」
「よし分かった。お前らとっとと帰っちまえ」
漣は呆れたようにはあ~と長いため息をつく。
ナギはその様子をベッドの上から眺めつつも、ある疑問を抱いていた。
腕に刺さっている点滴の存在を再確認し、まだ液体が入ってることに訝しげな視線を送った。
「漣先生。帰るのはいいとして、私の点滴まだ量があるんですけど。というか、この点滴の中身は何なんですか?」
漣はナギの方を見て、口を開く。
「帰れって言っても、桜河、お前は残っとけよ」
「へ?」
「事後診断ってのは聞いたことぐらいあるだろ。これはプライベートの事も混じるからな。こいつらが居たら話ができないんだよ。············ああ。あと点滴は別に変なもんじゃねえから安心しろ」
漣は木乃香達を親指で指して、そう答えた。
一番に反応したのは木乃香だ。
「あ、それならあたし達すぐに帰るよ?」
続いて一文字。
「そうだな。俺達が居たら話せないんだったら、無理に居座るわけにもいかないしな」
木乃香とて積もる話はあるはずだ。しかし彼女の中では自分よりも、友人を優先した。
本当はまだ話したい事もある。そんな事はおくびにも出さず、あっさりと引き下がる。
「それじゃ、あたし達は先帰るよ。ナギも家帰ったら連絡頂戴ね」
「ナギちゃんまたね~」
「おやすみーぃ」
「漣先生もありがとうございました。じゃあ、俺達は帰りますんで」
ぞろぞろと退場していく四人を見送り、さっきまでの喧騒が嘘のように部屋の中は静かになった。
四人を見送って、漣は小さく息を吐く。
「ふぅ。これで本題に入れる」
漣は近くのパイプ椅子に腰をおろし、欠伸をしつつ頭をポリポリと掻いている。
今更ながらに思うのだが、この人がいなければ、今頃ナギは校庭の端で肉塊になっていたかもしれないのだ。
自我を失っていたとはいえ、簡単に死のうとした事実に身震いを隠せない。
ナギはどうすればいいか分からない。とりあえず感謝の言葉でもかけようと口を開いた。
「あの、えと······色々とありがとうございました」
「別に礼を言われるほどじゃないさ。それに、俺なんかに感謝するんじゃなくて、あの三人娘と、しっかりしていそうな男子の四人に言うんだな」
漣は調査書のようなものを手に、ナギと向かい合う。
「さてと······んじゃ始めるか。気楽に答えてくれていいからな」
彼はナギの瞳を見つめ、幾つか質問をする。
「体調に変化はあるか? 頭痛とか、吐き気とか。多少目眩がするかもしれないが」
「いえ、特には············あのう。この点滴って何なんですかね? それに私急に意識が飛んだのって一体······」
流石にヤバイ薬ではないと思うのだが、いかんせん目が覚めたら腕に針が刺さっていました。では不安になったりするものだ。
「ん? ああ。それな、ただの栄養剤だ。ビタミンとか、そんなもんだな」
パイプ椅子に背中を預け、リラックス状態の漣は、本当にこの学校が雇ったカウンセラーなのか疑問に思う。
しかし、漣のだらけた仕草が、ナギに緊張感を与えていないという事実に、彼女は気づいていない。
「見た感じ、お前はろくな生活送ってなさそうだったからな」
ーー栄養······。確かに張りがなくなった肌や、髪なんかに、少しだけど、艶が戻ったような。
「それと、急に意識が飛んだのは、単にお前が眠たかったからだ」
「眠たかった。って、私は特にそうでもなかったですよ?」
「そういうものだ。お前の場合、最近流行りの鬱と症状が似ているからな。それに、鬱になると多くの人は不眠症に襲われる。食欲の低下。やる気の喪んでもって、前までは鬱になる筈がないという自信があった。どうだ? 合ってるだろ?」
ーーおおおぉぉ······。全部的中。
ナギは無言で頷いた。
そして改めて思い知られる。自分は鬱であったということに。
ナギは自分でも明るい性格だとは思っていた。それ故、鬱になる筈がないと、過信していたのかもしれない。
しかし、これほどズバズバと心の内を暴かれるのは、いささか、不気味なものさえ感じる。
「漣先生って、エスパー?」
「あほか。これでも一応カウンセラーの資格は持ってるんだぞ。何回かこんな場面も経験してるんだからな」
あとーー。と漣は一言付け加える。
「俺は先生ってほど偉くはないから、別の呼び方で読んでくれないか」
「うーん。めんどくさいですねえ。···············だったら、漣さん。これでいきましょう」
「おう。助かる」
変わったことを言うものだ。と気には留めなかったが、答えたとき、漣の瞳に影が差した気するが、ナギはその理由を言及しないことにする。
ーー大したことじゃないんだろうけど······。
それはナギの心の端に、小さな靄として残った。
「っとお、話が脱線したな」
漣は芝居がかった、大きな動作で、話題を切り替えた。
「俺の経験上、鬱症状が出始めてからの、進行が早
いほど、治るのも早いからな」
ナギはベットの上で考える。
ーー治るのが早い。なんて、簡単に言ってはいるが、それがどれだけ難しことなんだろう。
ナギは以前観た、テレビの内容を思い出した。
ーー鬱なんて、人の心に触れることができなければ、治すことは愚か、理解し合うことすらできないと、言っていたんじゃなかったけ?
ここで疑問が生じる。
人の心に触れることは、そんなにも簡単なのか?
ナギの経験上、答えはノーだ。
何年も一緒に居てもその人の心の内が分からないなんて、ありきたりの話だろう。
だが、漣はやってのけた。見ず知らずの、心が荒みきった少女の心に入り込み、その決意を簡単に砕いた。
ナギは目の前の白衣を纏った、だらしなさそうな男が、良く分からないでいた。
全てを認め、優しく包み込む。そんな聖母のような温かさを、彼は内包している。
ナギは、呟く。
「漣さんは、どうして、あんなにも簡単に私の、人の決意を捻じ曲げれるんですか?」
考えれば考えるほど、漣和真という人物が、不思議に思えてくる。
「決意············? ああ。看板のことか」
本人は既に記憶が薄れているようだが、ナギは気になる様子。
そりゃそうだろう。漣にとっては小さなことでも、ナギにとっては、生死に関わった重大な事件なのだから。
漣は答える。
「そうだな。実は決意ってのは一つのことに一途になることだ。だったら、決意しているまさにその時、一途な思いをぶらせばいいんだよ」
「······はい?」
椅子から一歩も動かない彼は、ペン回しをしながらナギの質問に答える。
「そうだな、注意を逸らすって考えろ。お前の場合は自殺したい。っー意識を、別の意識で一瞬塗り替える。今回は恥ずかしいっていう意識で塗り替えた。あとは勝手にお前の心が、自殺したい。から、恥ずかしい。にぶれたんだ」
ーーいや、それにしてもでしょ!
「か、簡単に言いますねー」
「簡単なんだよ。人の心はちょっとした事ですぐに揺らいじまう不安定さがある。俺は、そこをいじったに過ぎない」
飄々としている漣だが、ナギは彼が何か燃えるような、熱い思いを背負っていると、微かに気づいた。
「だが、同時に難しくもある。人の心の全てなんか
他人が理解出来るわけねえからな」
まるで友人にでも話しかけているかのような口調。
どうしても心の内を明かせる。
ーー侮っていた。
漣の有する、心の距離の取り方。
加えて、彼のコミュニケーション能力。
全てにおいて、一流の域を抜きん出ている。
ナギは心の内で彼の評価を改める。
ーー漣和真。この人は、存外すごい人なのかもしれない。
読んで頂き感謝です!
今回の話、また次の話では僕の偏見によって進んでいきます。違ったとらえ方をする方もそのあたりはご了承ください。
さて、次回の投稿で第一章は完結です。どうか、次回も目を通してもらえたらと思います!
毎度のことながら、誤字脱字があるかもしれません。また、ここの表現はおかしいだろう。という点がありましたら、ご指摘のほどよろしくお願いします!
霞アマユキ