看板
目に映るのはただただ綺麗な空。
美しい······と表現するより、綺麗が似合っている。
ーー私は、自由に············っ!
そう。障害は無いはずだった。
たった一つを除いては。
「··················何、あれ」
あまりの存在感のなさに気にならなかったが、ナギの瞳に映るのは、違和感の塊。
ーーこんな所に、なんであるの?
ポツンと存在するそれは············看板である。
決して危険などの注意書きなどが書かれているわけではない。しかし、何やら文字は書かれている。
ナギは予想外のことに唖然し、書かれている内容に目を通した。
内容は、こうだ。
これから自殺するあなたへ
もし、貴方が今から命を絶とうとするならば、次の項目が事前に終了をしているかを確認したい。
.自分の部屋は掃除しただろうか
.携帯電話は処分しただろうか
.パソコンなどのメモリは削除しただろうか
.最後に、貴方は生きたいだけ生きたのだろうか
漣和真
「····························································」
読み終わったナギは、全身に嫌な汗をかいていた。
ーーまずい。非常にまずいぞ······。
看板に書かれていた内容は、意味深なものであった。
ーー部屋を掃除って、確か日記があるはず。あ、あれには、親にだけは見せたくない内容が······っ。
ナギは小刻みに震え始めた。
喉が異常に渇き、つばをゴクリと飲み込む。
ーー携帯とかパソコンにも私の、人には見せられない趣味が······。
その時、先程までナギの心を占めていた自殺への願望は、この時ばかりはその影すら見せなかった。
ーーそうだ。それに。
ナギは真剣に考える。
ーー生きたいだけ······。そんなはずはないっ。私はまだまだ食べたい物もあるし、やりたいことだって沢山ある。恋愛もしてないし、勉強だってまだ本気でやったこともない。友達とも馬鹿やって過ごしたい。············こんなところで、死んだら勿体無い!!
そこまで考えたナギは、ある場所へと行くため、駆け出した。
最後の名前には思い当たる節がある。あのだらしない白衣の若い男だ。
ーーだったら、行く場所は決まっている!
ナギは手に持つ金槌などを放り捨て、唇を引き締めてただ走る。
そんな彼女の眼には光が灯っていた。
立ち止まることなく走り続け、新校舎の屋上から一度、一階まで駆け下り、中庭を介して少し離れた旧校舎の二階まで移動したナギの息は相当あがっていた。
「ぜえっ、ぜえっーー」
ーーつ、着いた。
肩で息をしながら、目の前の扉を睨む。
カウンセラー室
今更だが、ナギはどうしてこの場所に来なければならない気がしたのは分かっていない。
ただ、この部屋の中に居る人物にだけは合わなければならない気がした。
好奇心や、興味といった感情ではない。もっと、こう······使命感に似た何かが、ナギをここまで突き動かした。
微かにオレンジがかった太陽が差し込む廊下で、息を整える。粘っこい汗が頬を伝う。
ナギは意を決して、ドアに手をかけた。
「あ、あのッ。失礼します!」
勢い良く、ドアを開けた瞬間だった。
パァンッ!ーー
「ッ!」
突然の破裂音。
漂う火薬の匂いで、その正体がクラッカーであると判るまで、暫し時間を有した。
キラキラと色鮮やかな紙や、リボンが宙を舞う。
ーーな、なんでクラッカーなんかが······!
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
そして、ナギは、宙に漂う別の匂いに気づく。
ーーコーヒーの、香り······?
喫茶店に入った時のような、あのほのかな香り。
どことなく落ち着く香りが、カウンセラー室には充満していた。
ナギは、ゆっくりと、顔を上げた。
「·····················ん?」
果たしてナギの双眸に映ったのは、いつかの入学式で見たあの若い白衣の先生。
漣和真がコーヒーを飲んでいた。
······何故だろう。ナギは自分がバカにされている気がしてならない。
彼はコーヒーカップを置き、静かに口を開いた。
「あー······。一応お前がこの部屋を訪ねてきた生徒、第一号なんだが············何を怒っている?」
ナギは初めて会った目の前の男に対し、やや警戒しながらも応える。
「怒っている訳じゃ、ありません······」
確にナギの肩はぷるぷると震え、傍から見れば怒っているように見えるかもしれない。
だが、この震えはナギの心奥深くから沸き上がる別の感情であり、喜怒哀楽に当てはまらない、不思議な感情だった。
「屋上の······」
小さな声で呟く。
「屋上のあの看板は何ですか?」
対して、漣は軽い調子で答える。
「ああ、あれね。俺が作ったちゃ作ったんだが、それがどうした?」
漣の軽々しい態度に腹が立ったのではない。ましてや、漣に今の感情をぶつけたい訳でもない。
彼には今初めて会ったのだ。漣からしても責められる筋合いはないはずだ。
それでもナギは、親を困らせるために駄々を捏ねる子供のように、騒がずにはいられなかった。
「どうしてッ。どうしてあんな物を作ったんですかッ?」
「はあっ?」
漣が頓狂な声を上げる。
矢継ぎ早にナギの口から、悲痛な言葉が吐き出される。
「私はもう嫌なんです! どうしようもなく日常が苦しいッ。こんなにも苦しいことに耐えられない!」
ナギは潤んだ瞳で漣を見やる。
「私はそんな柵から開放されたかったッ。それなのに、私はまだ此処にいる······」
ナギは壊れた人形のようにヘラッと笑った。
「私は、どうしたら良いんですか············?」
気がつけば、次から次へと涙が溢れている。
漣は黙ってナギの叫びを聞いていた。
全く持って理不尽な話だとは、ナギ自信重々承知している。
勝手に死のうとして、死ねなかったことを、初対面の人にぶつけるなど。
この瞬間、ナギは自分が何をしたいのかを悟った。
ーー私は、私を責めたいだけなんだ······。
だがもう止められない。
ナイフの鋭さを伴う言葉が、口から飛び出す。
彼女は慟哭した。
「私は······死にたかった!」
「じゃあ今は死にたいのか?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーえ?
はあ~。と漣は呆れ半分といったふうに溜め息をつく。
「お前は自ら死ぬことを放棄した。それは何故だ? ”生きたい”もしくは”生きなければ”と思ったからだろう?」
そんな事、考えたことは無かった。だが、確かに、漣の言う通りではないか?
ナギはあの時屋上で何を思ったか。
そこでナギの思考はフリーズした。故に沈黙でしか返せない。
漣へコーヒーのおかわりを注ぎに、コーヒーメーカーに歩み寄る。
「ま、俺は鬱になったことなんかねえから、実際はどうか分からんが、鬱。まあ、心が弱ってる時ってのは中々周りが見えないもんだ。
それは生きる目的すら見失っちまう。ここ数年の鬱は特にな。
だから俺はお前に自分を見つめるきっかけを与えたに過ぎねえんだなこれが」
漣は意地の悪い笑みを浮かばせ、告げた。
「もっとな、自分を俯瞰してみろ。案外さ、お前の近くには生きる目的なんてごろごろ転がってんぞ」
コーヒーを啜る彼はさも当然のように言う。
ナギは何一つ言葉を返せない。
初めて見た時はなんてだらしない人だろうとも思ったが、実はすごい人なのかもしれない。
「ぅ熱い!」
口に含んだコーヒーが熱過ぎたのか、漣はコーヒーカップを手放し、結果、さらなる悲劇を生み出していた。
乾いた破砕音が響く。
「あっつううううう!」
ーー····················。
············前言撤回しよう。彼はダラシナイ。
ばたばたと悶える漣を見て、何故かナギの心は和んでいた。
その途端、急激に足の指先から力が抜けていく。
ーーえっ? あれ?
たまらず膝を床につけるが、既にバランスを保つことすら困難となっている。
やがて力尽きたマリオネットのように、力なくうつ伏せに倒れ込んだ。
ーー何、が······ッ
どんどんと意識は遠のいてゆき、ナギの思考は
途切れ、深いまどろみの中へと沈んでゆく············。
♢ ♢ ♢
目を通して頂きありがとうございます! 霞アマユキです。
先日御指摘を頂きまして、自分の実力が至らない箇所、誤字脱字などを修正しました。
このような御指摘はとても勉強になるので「お前ここの表現おかしいだろ」という点がありましたら、言っていただけると助かります。
まだ、全ての話しを修正できたわけでは無いのですが······(苦笑)
また、感想、評価のほどもよろしくお願いします。
お気に入り登録してくださった方もありがとうございます。嬉しい限りです!
次の投稿も一週間後を予定しています。次回作もどうか目を通してもらえたらと思います。
では、少々長くなってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました!