千夏への不安
「城本。お前、最近眠れてるか? もしくは、何か我慢しているようなことがあるんじゃないか?」
「ッ!」
脊髄に電流が迸ったかのような、不自然な反応。
ーー千夏······?
漣は真っ直ぐに千夏の瞳を見ている。
偽りを射抜くようなそれはいつものようなへらへらとしたもものではなく、いつかナギが見たような相手の心に触れる鋭い眼。
一瞬の変化ですら見逃さない眼光に、千夏はただ固まっている。
漣は、何を診ている?
「どうなんだ? 城本?」
何故か千夏は答えるのを躊躇っている。
黙秘を続けるのだろうか。そう思った矢先だった。
次第に、彼女の額に冷や汗が浮かび、呼吸も荒くなり始めた。
「······ッ、く·······」
立っているのもままならないのか、らふらとさ左右に揺れる千夏。
彼女の瞳は焦点が合っていないのか、虚ろだ。
「おい、大丈夫か?」
ナギはもう見ていられなかった。
「大丈夫なわけないでしょ。漣さん、もう終わりにしましょう。まずは千夏を休ませるのが先決ですっ」
「そ、そうだな」
漣も千夏の症状が危険だと分かったのだろう。これ以上言及することなく、あっさりと引き下がる。
とその時、ナギの肩にとんっ。と軽い衝撃が。
「千夏っ?」
「っはあ。はぁ······っ」
ーーす、すごい汗。えっ、え? どうしたらいいの!?
ナギがパニックになるのも無理はなかった。それほどまでに、千夏からは危険な状態だと分かるのだから。
「どっ、どうしよう! 漣さんどうしたらいいんですかっ? 救急車、いや、その前に寝かして様子を見た方がいいの?」
ひとまず焦る心を無理に押さえ付け、千夏を床に座らせる。
ここでパニックになっても逆効果だと、ナギは冷静に考えたのだ。
しかし、何も知らない素人がまともな行動が取れるもなく、あたふたと動き回るナギ。
効率性が皆無である行動に漣は溜め息をつく。
「バカか。こういう時はまずベットとかに寝かせてから救急車なんかで頭を冷やして、それでもひどかったら病院にゲットホームだ」
「おかしいっ。漣さん、日本語がおかしいです」
ここにも何もできない役たたずが一人。
バカ二人が慌てふためく中、千夏はよろよろと、立ち上がった。
「············心配、しなくても大丈夫だから·····。寝たらすぐに治るさ。だけど······今日はもう帰らせてもらおうかな。流石に、体が無理っぽいから············」
「本当に大丈夫なの? 駅まで送っていこうか?」
千夏は背を向けたまま答える。
「いいよいいよ············。家までは帰れるって」
ナギはチクリ。と胸が痛むのを感じずにはいられない。
どう見たって、千夏が無理をしているのは明白だ。我慢という仮面を被ってまで、本当の気持ちを見せたくないのか······。
ーーいったい、どこが大丈夫のよ······。
千夏の一方的な態度が拒絶のように感じられ、ナギはこれ以上声をかけることをはばかられた。
駅に続く大通りまでは二人だったが「もういいよ。心配かけたね」と千夏が遠慮したので、ここまでとなった。
人ごみの中へと千夏を確認し、いざ事務所に戻ろうと踵を返した瞬間。
ーーゾワリ。
「ーーーーーーーーッ!」
背中を氷で撫でられる感覚に近い悪寒が、背筋に伝った。
ーー何······がっ。
真夏だというのに、何故こんなにも”寒い”のだ。
ブルっと震える二の腕を摩る。
嫌な予感しかしない。
ーーーーーー喪失?
そう。大切なものを失う恐怖。そんな感覚がナギを包み込む。
とっさに後ろを振り返るが。
ーーあれ?
千夏の姿は陽炎に揺れる街の風景に消え去っていた。
あの状態では早く歩くことすら厳しいだろう。だというのに、どれほど目を凝らしても千夏はいなかった。
同時に先程までの悪寒も感じない。
なんだか、訳が分らない。
ーー私の、勘違い············?
心にもやもやとした不愉快さはあるが、ナギはあえて気に止めないようにした。
しかしどうしようもなくナギの心に存在する、城本千夏が拍車を掛けるように希薄なものになっていくのを感じずにはいられない。
ーー心配無い。
ナギは自分に言い聞かせた。
ーー千夏のことだし、またいつものようにへらへら笑って会えるに決まってる。
心中ではそう言っているが、ナギは無意識のうちに拳を強く握り締めていることに気づいていない。
道路で一人立ち止まって、ナギはあらゆる不安を払拭するように首を左右に振る。
道行く人はナギに目もくれない。
彼らにとっては平凡な一日に過ぎないからだ。
どこかの誰かが、友人の心配をしようが、他人である以上彼らの日常に何ら変化もない。
あくまで身内に何もない限り、どこかの誰かが死のうが、狂おうが、一日は回り続けるのだ。
ナギは改めて事務所へと歩き始める。
心の隅に少しの不安を置きっぱなしにして。
これこそ、ナギが”狂った”時に友人たちが感じていた感情と全く同じであるとはナギには知る由もなかったのだが。
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霞アマユキ