密室は未完成のまま (問題編)
作品名は、好きな作家である石持浅海さんの小説をもじっています。
内容は関係ありません。
激情に任せてキツく締め付けていた両手を亮介はようやく離した。
弾力を持った肉を締め付ける感触が、生々しく手に残っている。
その気持ち悪い肌触りと感触について、考えるよりも先に目の前の現実が、襲いかかってきた。
やってしまった。
自分はもっと冷静な人間では無かったのか?
感情に任せて行動するのは、バカのやる事だといつも口にしていたのに。
問いかけは、しかし空回りをするだけだ。
確かに酒は飲んでいた。普段仕事仲間で飲む時には無いほどに、強く酔っていたのも事実だ。
酔っていたのは、今日が泊まりだからという安心感があっての事で、
もちろん久しぶりに会う仲間との再会でテンションが上がっていたのもある。
言い訳のようにグダグダと飲みすぎた理由ばかりが思い当たる。
それでも、自分には理性があったはずだ。
少なくとも、今、この時点で事を起こしてしまわない程の理性も知性も失っていないはずだった。
しかし、それは亮介が思っていただけだった。
相手の言葉に、亮介の理性は容易くちぎれ、湧き上がる熱い衝動に支配されてしまったのだ。
すなわち、目の前の相手が消えて欲しいという強い衝動に。
後悔と絶望とが頭の中を駆け巡る。
今では無かった。
そう、今は殺すタイミングでは無かったのだ。
例えば明日の観光登山の時に、さり気なく崖から突き落としてしまうとか、
コイツが一人車で帰る時にこっそり睡眠薬を飲ませるとか、方法は何でもいいが今のように室内で、
明らかに事故で無い形で死なれるのはごめんだった。
殺す気持ちは持っていたのに、殺した後の準備はまるでしていなかったのだから。
だが、もう遅い。これからでも、何らかの方法を考えなければなるまい。
ふと、卓の横に敷かれた布団が目に入る。
このまま、何事も無かったかのように眠って忘れてしまえれば。
そうしてしまえ、というココロの声を押さえつけて、亮介は立ち上がった。
AM 1:00 この部屋は、まだ密室になっていない。
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久しぶりに、大学の研究室の同期で集まろうという話が出たのは、
同期の一人である久美子の結婚が決まったからだ。
大学卒業後社会人も3年が過ぎたので、そろそろ結婚し始める同期が出る頃らしい。
亮介の知り合いとしては、一番目だった。
研究室5人の中でも、一番活発で発言の多かった久美子だけに、結婚もスパッと決まったらしい。
大学卒業後に地元に戻り入社した化粧品会社の先輩と2年間の交際の後のゴールインだった。
「式は、地元でやるから身内だけでやるのよ。まあ、あんまりみんなを呼んでの式ってのも、やらなくていいかなって」
とはいえ、大学同期の結婚を祝わない手はない。
そんな訳で、別途研究室の仲間でお祝いがてら旅行をしようという事になったのだ。
1泊2日の旅行は東京近郊の温泉地という事になり、メンバー全員が久しぶりの再会を果たしたのだった。
「しかし、くみちゃんは早かったなぁ。学生時代から、何人か変わりながらも彼氏はずーっと切れてなかったけど、もう結婚なんて」
定番の観光地を巡ったあと、少し遅めの昼食の蕎麦を食べながら、亜希がしみじみと言う。活発だった久美子に比べて、多分に大人しかった亜希は、
社会人3年目の今でも、大学生で通じてしまうほど幼い顔をしている。
これで、中学校の教師だというが、生徒に舐められないかこっちが心配である。
「ほんとほんと、まだまだ二十代前半だからこれからって思ってたんだけどね」
亜希に会わせて、亮介も相槌を打った。
亮介自身は、仕事に追われる日々でろくに休みも取れず。当然結婚なんてまだまだといった日々を送っている。
「うーん。私って、結構ズバズバ決めちゃうタイプだし、それに決めた事に対してあんまり後悔もしないのよ。
だから、1年付き合った後は、この人だなって決めてタイミングを図ってたって感じでさ。ほら、若者の3年離職率って言われてるじゃない?
なんかしゃくだったのよね、3年しないうちに結婚するの。まあ、結婚するからって仕事を辞めちゃうわけでも無いけど」
なんでも無い事のように言う、久美子だったが。へらへらっとした、言葉と裏腹に真剣な口調に聞こえる。
既に、相手の両親との顔合わせや、式の日取りを決めるの等と、色々な忙しい所をくぐって来たおかげで、
活発さだけで無く凄みもましている。結婚を決めている者としての重さが備わっていた。
「そうやって、スパーっと決めちゃえる事が凄い事なんだけどね。姉さんは」
賢治も乗って来る。姉さんというのは、何かと姉御肌な久美子に対して、男性陣が付けたあだ名というか呼び方だ。
本人は、嫌がって。「私はあんた達みたいな弟いらないわ」と突っぱねるが、はまっているだけに、
なかなか無くしてもらえないあだ名だった。
「凄くは、無いわよ。やりたいようにやってるってだけ」
久美子がひらひらと手を振る。
「ねぇ、くみちゃんの旦那様ってどんな人?」
亜希は結婚に興味津々のようだ。男の亮介だって、身近な人の結婚は気になるのだから、亜希はもっと気になるのだろう。
「どんなって、改めて聞かれると困るわね。そうだな、活発なタイプじゃ無いから一見私と反対の性格してるよ」
「うわー。じゃあ、姉さんの尻に敷かれるの決定だ」
茶化すように、賢治が続ける。
「ところが、そうでもないのよ。実は・・・・・」
そこで、亮介がストップをかけた。
「ちょっと待って、その話は面白そうだけど。後にしよう。久美子を肴に盛り上がるのは宴会まで取っておいて、
今は旅行の話をしよう。次に行く所なんだけど、近くに湖があるからそこに行こうと思うけどいい?」
亮介の提案に、全員が快諾を示す。
「おっけー。で、さっきから全く喋っていない既に酔っ払い1名は、車で寝かせておくとするか」
全員が苦笑でむかえる。
酒に弱い癖に、お祝いだからと普通の観光客向けの蕎麦屋で日本酒を頼んで、あまつさえ酔って寝てしまう同期に、
頭が痛いとともに、学生に戻ったような懐かしさも覚える。
研究室で飲んでも亜希や久美子より先に潰れるのは、直樹だったなぁ。ふとそんな事を思いだした。
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頭を冷やすために、洗面所で顔を洗った。
ついでに水道水をがぶ飲みする。血中アルコール濃度が少しでも下がればという処置だ。
鏡に映る酔いで真っ赤に染まった顔も、目の周りだけが妙に青ざめて見える。
大丈夫。自分は酔っている、でも、酔っている事に自覚的だ。
部屋に戻ると、酒のつまみや、日本酒の瓶、ビールの缶が転がる卓が見えた。
隣りに敷かれている布団がやはりやたらと魅力的に映るが、今は無視する。
入口からは、ハッキリと見えない奥側に、賢治が倒れているのが見えた。
洗面所は玄関に直結しているから、部屋に入って来た人物にもこう見えるだろう。
この場所からでは、眠っているのか死んでいるのかの判断はつかない。
玄関までは、入られても平気か。
ここまで考えて、亮介は青くなった。
この部屋には今、鍵が掛かっていない。
知り合いとはいえ、何の前置きもなしに女性が男性の部屋を尋ねる事は無いと思うが、
亜希や久美子が現れる可能性は0ではない。隣りの部屋で、ぐっすり。いや、ぐったりと潰れているはずの直樹だって、
急にこちらに来る確率は0では無いのではないか・・・・・・。
とっさに、鍵をかけようと扉に向かいかけて、考える。
いや、待て。
鍵は必要か?この状況をごまかす為に、鍵をかけてしまって本当に良いのだろうか?
それこそ、鍵のかかった部屋に、賢治の死体と二人きりで居る事を強調してしまわないだろうか?
例えば、鍵を掛けた後で誰かが訪ねて来た場合にこの状況がバレたらどうする?
最悪は、鍵のかかった部屋に賢治と二人きりで居ると認識される事だ。
鍵を掛けなければ、わずかだが外部犯の可能性も残せる。
亮介は首を振ると今の考えを否定した。
これから行う工作の種類による所だが、鍵はかけるべきだ。
鍵が掛けられている事を認識されてしまうというのも怖いが、突然押し入られる方が怖い。
最悪、寝ている事にすれば、朝までは部屋への侵入は防げる。
それまでに、来訪者があれば鍵のかかった状態にすればいいし、
来訪者が無ければ、鍵を開け放って外部犯に見せかけるのもよい。
とっさに判断し、静かにドアに施錠する。普通のマンション等に使われる。シリンダー錠だ。
ふと考えて、鍵を戻すと隣りの部屋に素早く移動する。
明かりの付けっぱなしの部屋の真ん中に、直樹がつぶれて倒れている。角部屋だからか、隣りより若干狭い作りだ。
直樹には目もくれず、隣りの部屋のキーを探し、外から施錠する。
その後、また素早く部屋に戻り。こちらは内側から施錠する。
これでいい。
直樹が夜中に起きたとして、キーが見つからなければ外に出る危険は半減する。隣りの部屋に来るリスクはほぼゼロだろう。
それに、女性陣が仮に部屋に来ようとしたとして、両方の部屋が施錠されていれば、既に眠っていると判断するだろう。
仮に隣の部屋に入られた場合、隣の部屋に直樹しか居ないと確認されるとまずい。
ふーっ。
ひとまず、落ち着ける状況を手にして。亮介は安心した。
いや、決して安心できる状態では、無いのだが、それでもいきなり踏み込まれ、言い訳する間もなく御用になるという最悪からは脱している。
ここからは、より慎重さが求められる部分だ。隣りの部屋への移動や施錠などは、目撃されても誤魔化せるし、
証拠も残らない。しかし、これからは違う。
賢治の死体に工作し、自分の犯行を隠さなければならないのだから、細心の注意が必要だ。
犯行を隠す。そう考えた時に、一番最初に考えついたのは、事故に見せかける事だった。
賢治も亮介も含め今日ここに来たメンバーは軒並みみんな泥酔している。
酔っている人間が、まっとうな状態では考えられない事をしでかすのは、世間の常識だ。
工作による違和感も、事故死前に酔っていたという事で、多少の変な行動は目をつぶってもらえるに違いない。
しかしだ、この状態は、事故には見せかけられない。
後頭部を殴打などであれば、酔って酒瓶を踏んづけて転んで打ちどころが悪くというストーリーも
(怪しいかどうかはさておき)可能と言える。しかし、首を絞められての窒息ではそうもいかないだろう。
何も考えずに、首を絞めてしまった事を後悔した。
くそ、なんだって後から偽装しにくい形で殺してしまったんだ。
部屋の中を歩き周りながら考える。
時計は、AM1時30分を指している。
大丈夫だ、最低でも、後5時間ほどは発見されるまで時間がある。落ち着いて考えるべきだ。
事故にみせかける事は難しい、そうすると自殺か?
自殺であれば、首に締めた後があっても大丈夫だろうか。
上からより強く縄の跡でもつければ、人の手の跡など消えてしまうだろう。
賢治の全体重がかかれば、亮介の腕力を上回る事は間違いない。
問題は、酔った人間が自殺の方法として首吊りを選ぶかという事と、自殺の動機が無い事だ。
賢治の近況を亮介は良く知らない。今日話題に登った部分は、知っているから、仕事で転勤させられそうだとか、
最近彼女と上手く行っていないという事は知っている。
だが、浅い知識で自殺の原因を偽るのは危険だ。
今日、こいつが話した事が完全に事実とも思えない。古くからの知り合いの手前、出来事を脚色して話している可能性もある。
笑いを取ったり、場を盛り上げるためにわざと大げさに脚色する事は割とよくある事だ。
ストーリーが必要だ。
賢治が自殺に至るまでのストーリーが必要になる。
研究室のメンバーだけじゃない。警察まで納得させるだけのストーリーが必要なのだ。
さらに言えば、二人で飲んでいた俺が隣りの部屋に戻った後に鍵を掛けて、わざわざ首を吊って自殺したというストーリーが。
鍵?
その単語がひっかった。
そうだ。この部屋を密室にしてしまう必要がある。
賢治の死体には、これから首に付いた指紋を拭って、首を吊った状態になるように偽装する必要がある。
手の跡が消えるように細工はするにしても、当然おかしな部分も少しは出るだろう。それを和らげるには、自殺しかありえない状況を作る事が不可欠だろう。
幸い亮介が賢治を殺したのは、首を絞めてであって、酒瓶で頭を殴打した訳ではない。
酒瓶で殴られた死体を自殺に見せかけるのは難しいだろうが、窒息であればなんとか可能だろう。
とっさに、賢治に殴りかからなかった自分に感謝しながら、亮介は工作にとりかかった。
AM1:30 この部屋は未だ密室となっていない。
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「おい、そろそろ起きろよ」
結局、湖で遊覧船に乗っている間もずっと寝続けた直樹が起きたのは、宿に到着してからだった。
「ふあ~。悪い、こんな昼間っから酒飲んだの久しぶりだったし。それに、朝起きたのが早かったから」
「朝早かったのは、みんな一緒だろ。特にお前は、東京なんだから近いじゃないか」
「昨日も遅くまで、残業だったんだよ」
寝起きのぼーっとした顔で、直樹が付いて来る。
今日の宿は、この温泉地の中でも中ぐらいのグレードのホテルである。
東京近郊という事があって人気が高いこの温泉は、上を見ると目玉が飛び出そうな程高いクラスのホテルがある。
一日で、一般的なアパートの家賃を吹っ飛ばす物だって珍しくない。
学生向けの観光施設が少ないという事もあって、下のクラスを探しても殆どが一泊1万円を超えている。
中ぐらいといっても、そこそこ奮発してのお値段なのだ。
「まあ、いいんじゃない。今の私達の身の丈にあってるでしょ。このぐらいの価格で。
もっと上に行くのは、それこそ部長とかになってからでいいんじゃない?」
「部長になる頃には、学費だ住宅ローンだで結局下のグレードしか来れなかったりして」
「うっわー、夢が無い」
「でも、結構言えてるかも」
「その前に、部長になれないから大丈夫だよ」
仲間内での軽口飛び出すが、この宿について不満のある人はいないだろう。
「じゃあ、取りあえずこれからの予定ね。晩御飯は宴会場だから、7時には集まって。
それまでは自由時間。温泉入ったり散歩したり自由。晩御飯の後、どっかの部屋で飲み直し。
それまでに、飲みたい地酒なんかあったら買っておいて。部屋割りは、2人部屋×3だから、
女子で一部屋で男は、とりあえず俺と、賢治で1部屋で。まあ、行き来は自由だけど」
「先生、温泉は混浴ですか?」
賢治がノリノリで質問する。
「残念ながら混浴じゃありません。だからって、女湯を覗きにいかないように」
久美子がちゃかす。
「何、私達の裸が見たいわけ?残念でした。私の体はもう旦那のものよ」
「そうそう、人妻に手を出したら不倫だよ不倫」
直樹も乗っかってちゃかす。
「はいはい、まあふざけるのはそれぐらいにして、一旦解散ね」
亮介の号令でみんな一斉に各自の部屋へと散っていった。
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亮介が一番初めに取り掛かったのは、賢治の死体を吊るす作業だった。
自殺に見せかけるなら、当然首吊り自殺でありそうなると、早い所首吊りの状態にする事が大切に思われたからだ。
寝たままで置いておいた死体と、吊るした死体で後からの検死で差が見られるかは分からなかったが、
早く吊るすに越した事は無いと思った。
長い時間吊るしておけば、その分首について手の跡も消えるだろう。
取りあえず、ロープの変わりになる物を用意しようと部屋を見渡すが、
当然部屋にそんな物は無い。
仕方なく、賢治の荷物からベルトを取り出す。もちろん指紋が付かないように、ツマミを買った時に貰ったビニール袋を1袋ずつ手にはめる。
作業はしにくいが、手袋などは無いのだからこれしか方法は無い。
ベルトは賢治が今日履いていたズボンに通していた物だ。決まった穴が空いているわけではなく、
網目状に組まれた合皮のどこにでも通す事のできるタイプの物だ。
こいうタイプは、普通のベルトのように切る必要が無いため、ある程度長いまま使う人も多い。今回の用途には都合が良い。
まあ、こんな物で上手くできるかは分からないが、ある物を使うしか無い。
それに、本当に賢治が自殺した場合に選択しない行動を選んではいけない。
賢治の動きを想像する必要がある。
取りあえず、テーブルを台にしてその上に乗り、運良く部屋にあった鴨居の部分にベルトの端を通して結びつける。
使い難い両手と、あまり長さを使うと今度は賢治を吊るす部分が作れないため、何度も失敗しながら何とか結びつける事に成功した。
そして、垂れ下がった部分をベルトの金具を使い輪っかにしその中に、賢治の頭を突っ込んだ。
ギシッと木が軋む音がするが、人一人分の重さ程度なら問題無く支えられるようだ。
それほど高い位置に結わえ付けたわけでは無いから、ぎりぎりではあるがが賢治の足が5cmほど浮いていた。
取りあえずは一安心だ。
ベルトという選択肢が最善かどうかはともかく、この状態で保存しておけば死体の状態は最善に近い物が保たれるだろう。
この状態にしておいて考える。
何を?
ストーリーをだ。賢治が合理的な選択として、ベルトを使った自殺を選択したストーリーを考えておく必要があるのだ。
より自殺しやすい方法があるのならば、その方法を消去しておく必要がある。
そこに矛盾があれば、警察は違和感を覚えるだろう。
ベルトは最適の選択肢だろうか………賢治は自殺を考えた。
自殺するには、この部屋では何を使えるだろうか?
亮介は部屋を見渡しながら考えた。
6畳程の和室の和室と、ふすまで仕切る事のできる窓際のスペースがある。
和室には、布団が2組と先ほど台にした、膝程の高さのテーブル、座布団程度しか無い。
目につく小物として薄型テレビ、ポットと茶菓子と急須と湯呑。
窓際には、ゆったりした椅子が二脚と、雑誌を広げれば一杯になってしまいそうな小さなテーブル。そして、タオルを干す金属製の小さい物干しと、灰皿がある。
ナイフ、包丁といった直接的な刃物は当然無い。
温泉が売りのホテルゆえに部屋についているユニットバスは簡素な物ではあるが、あることにはある。
ユニットバスに入水自殺はできるだろうか?と考え、そのバカな考えを取り消す。
人は膝丈までの水深があれば溺れるというが、それはあくまでパニックになった場合だ。
溺れて自殺というのは、普通にはできない物だろう。苦しくなれば、息をしてしまうのが人間というものだ。
次に窓際のテーブルの上の灰皿を見る。
いや、これはどう考えても殺人の道具にはなっても、自殺の道具にはならないだろう。
床に転がっている酒瓶も同じだろう。
酒瓶を叩き割れば、ガラスが割れて刃物のようにもなるだろうが、その発想は難しいだろう。
それに、ぶつける硬い物も無いし、ヘタをすれば大きな物音がしてしまうだろう。
意外と自殺の道具というのは無いものだ。
殺人に使える物ならあるが、自殺に使える物というのは少ないのだろう。
つまらない事だが、それはそうだ、殺人の道具というグループの中に自殺の道具という小さいグループがあるのだから。
逆に言えば、自殺には使えるが殺人には使え無い道具という物は無いのだろう。
自殺に使える道具ならば、必ず自殺を装った殺人にも使える物なのだから。
くだらない事に思考が逸れてしまった。
ともかく、自殺の道具という物は少ない。
考えてみれば、宿の部屋での自殺など宿泊施設の側からしたら最も嫌う物の一つだろう。
テレビで報道されるだろうし、警察もやって来る。多くの客に迷惑がかかるし、宿の人気自体だって落ちてしまうに違いない。
なにより、そんな曰く付きの部屋に人が泊まりたがらないだろう。
ここは一般的な観光地だからそうでも無いだろうが、寂れた観光地であれば一番先に警戒する部分かもしれない。
観光客を装って自殺しに来た客が突発的に自殺しないために、宿には自殺の道具があってはいけないのだ。
この考えが正しければこの部屋で、賢治が自殺を思い立った所で活用できる物は無いと考えていい。
ふぅっと息を吐く。
ひとまずは大丈夫だ。今の所大きな問題は無い。
賢治が自殺を思い付く、部屋を見渡してもそれに使える道具は無い。この部屋は、3Fだから飛び降りて死ぬ事は可能かもしれないが、
3Fでは確実で無いかもしれないと思い直す。シンプルに自殺として、考えやすいのは首吊りだ。だから、賢治は首吊りの道具を意図的に探す。
もちろん、ロープは無い、浴衣の帯も強度としては不安だ。ふと、今日着ていた服が目に入り、その中でベルトが首吊りに適している事に気づく。
そうして賢治は、自分のベルトを鴨居に吊るすと、輪っかを作り、そこに頭を入れテーブルを蹴ってぶら下がった。
今の所、筋書きに問題はなさそうだ。
亮介は思わず浮かれそうになる自分を抑えた。殺人の隠蔽という難題をこうも簡単に突破できるとは、やはり自分は賢治を殺すのに相応しかったに違いないと。
ある種の困難に立ち向かい、それを乗り越えていく快感に、亮介は少し溺れていた。
AM2:00 偽装は完成した。この部屋は密室となるのを待つだけだ。
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「つまりさ、私だって頼りたい瞬間があるわけですよ!」
姉さんの言葉に、思わず男性陣がどよっとする。
珍しい、久美子が弱さを自分達の前に晒すのは初めてでは無いだろうか。
大学生ともなると、女だからお淑やかなんて考えは当然無いのだし、
特に研究に関しては男も女も実力次第の世界だから、研究室時代久美子は、男子に対して弱さを
見せる事は無かった。その久美子のセリフだからこそ驚いたのだ。
まあ、ここでしんみりしながら口にするのでは無く、酒に酔って顔を真っ赤にしながら怒ったように口にするというのが、
弱さを見せていながらも、それを堂々と晒せる強さだとも思う。
「普段は全然なのよ。まぁ、私も好きな事をしたいタイプだから、デートとか旅行とかで行きたい場所は一人で決めちゃったり、
事後承諾で色々な予約先にしちゃったりでさ。でもさ、そういう事ばっかりしてると、時々ふっと悲しくなる瞬間もあって、
なんていうか、こう自分からの愛情の大きさと、相手からの愛情の大きさが違うんじゃないかなって思う事があってね。
そういう瞬間に気付けちゃう人なのよね。旦那は。なんていうかもう、それに負けちゃったっていうか、きっと全部が全部私を
理解してるってワケでも無いし、たまたまのタイミングだけなのかもしれないけど、私がそう言う状態の時に、
何にも決めたく無い時に、色々決めて新しい物を見せてくれたりするのよね」
「いいなーそれ。理想的じゃん」
亜希が心底羨ましそうに言う。
一方で男は割と苦い顔だ。惚れた弱みで、盛られている部分があるにしても、
そうまで上手くできる男もそうは居ないだろう。自分を振り返っての苦笑いだ。
夕食が終わってから、宴会になだれ込むのは速攻だった。
お腹も一杯で少し休もうという者も居なかったし、そもそも夕食で少し飲んだ食前酒が、
少なすぎて逆に飲みたい意欲を倍増させた感もある。完全にのんべえだ。
こういう時の定番として集まる先は男の部屋だ。当然二人用の部屋である賢治と、亮介の部屋となる。
さすがに、到着後すぐにそう汚せるはずもないので男部屋といっても綺麗なものだ。
我が物顔で乗り込んできた久美子と亜希、今日一日眠っていたおかげで臨戦態勢ばっちりの直樹と、部屋の主2人で
旅のメインイベントでもある酒盛りが始まったのである。
話題は当然、久美子の結婚から昨今の結婚事情の一般論、最近のみんなの恋人事情に始まり、
仕事の愚痴、上司の愚痴、学生時代の変な教授の話とごちゃごちゃに展開する。
「今も、上司の手伝いばっかりでさ。しかも指示が伝わらないんだよホント、今まで使ってたフォーマットや
例があるならそれを示してさ、カスタマイズして使う方がよっぽどやり易いじゃない。
それが、毎回毎回できましたって提出してから、ダメ出しされて。色々手直しして出し直してようやくOKもらえるんだぜ。
向こうの時間だって無限じゃないだろうに、何で効率的な指示とかできないのかね?」
「分かる分かる。今の若いやつは指示待ちだって言われるけど、昔より今の方が失敗許さない気質があるもんね。
指示しない変わりに失敗しても許すならまだしも、指示がちゃんと無いけど失敗したらダメって無茶苦茶だもん」
「まあ、ある程度しょうがない部分はあるだろ。相手は教師じゃ無いんだから、教える専門家じゃ無いんだし。
自分達が下に対して同じ事しないように心がけないとね」
まあ、とかく話題は尽きない。
話が洪水のように溢れるってのはこういう事を言うと思う。
そんな中、学生時代の話に花が咲いた。
「そういえばさ、うちらの研究室があった建物に、幽霊が出るって噂もあったよな?」
直樹が怖がらせる口調で言い出した。安っぽいホラー口調に全員笑い顔だ。
「昔教授と恋に落ちた女子生徒が居て、ところがその教授には妻が居て、
結局卒業の時に、教授にどちらを取るか迫って、振られて屋上から身投げしたとか。
その生徒の幽霊が夜な夜なその教授が居た研究室を訪ねてドアを叩くとか」
「きゃー怖い!」
完全な棒読みで、亮介が叫び声を上げる。
「この話だけじゃそうだけど、この話は単なる噂話じゃ無い。本当に丑三つ時に、研究室のドアが叩かれる音がしたんだ。
俺が聞いたんだから間違えない」
急に場がふっと、静まる。まるで、ここからはシリアス展開に変調するよと指揮されたように、自然と全員の声が小さくなる。
「何、そんな時間まで直樹って学校に居たの?」
「卒論と、実験のレポートがかぶってどうしても帰れなかった時にな。確か11月位だったかな。
2時位までレポートやってちょっと仮眠しようと思って、椅子を並べて即興のベッドみたいの作って横になったんだ、
そしたら、下の階から声がするんだよ。俺たちの研究室は2階だったから多分1階からなんだけど、女のすすり泣くような声がしてさ。
それまで、幽霊とか心霊現象とかは、見たこと無かったし、信じてなかったけど本当に焦ったよ。
見に行く勇気が無くて、それでも結局寝ていられなくて、仮眠取らずにレポートやってたんだよな」
「案外、直樹が振って泣かせた女の子だったりして」
亮介が茶化すが、直樹は真面目な顔で言い返した。
「バカ言うなよ。卒業研究一色で、全く余裕なかったあの時期に彼女居るわけねーだろ。
それに、あの日は確か賢治も研究室に泊まってたはずで、賢治も聞いたって言ってたよな」
急に話を振られた賢治は、なぜか硬い口調で返した。
「そうだったかな?あんまり印象に残って無いからなぁ」
賢治の様子には気づかずに、直樹は話を続ける。
「そうだったって、確かお前はそれまで、サークルの部室で仮眠してて、実験の様子を見に来たって言ってたよ。
確かその女の声が聞こえた直後に、研究室に青い顔して飛び込んで来たから、
どうした?幽霊でも見たか?って、会話したはずだぜ」「そうだったかな」
と賢治があまりにもつれない様子だったため、その話はそこまでになり、
亜希がみんなの初顔合わせの時の事を話出したので、自然な流れでそちらの話に集中した。
「初めての飲み会の時ってびっくりしたよね。いきなり一発芸とか始まっちゃうから、
どんな研究室なのかと思った」
「私も思った!体育会系過ぎ~って思ったよ。実際きつい研究室って噂があったし、
まさかこう言う意味でかってさ」
先輩のイタズラで例年にはなかった一発芸をなぜかやる事にされたのだ、
盛り上がる二人に、賢治が突っ込む。
「ちょっと待ってよ、二人はあの時結局何もやらなかったじゃないか」
いつの時代も一発芸は男性のやる物と相場が決まっているらしく、当然のように要求されたのは、
賢治、亮介、直樹の方である。
「そうそう、しかも前フリなしで来たからキツかったなー。すべり芸にするしか無いって感じだったし。
俺なんて今でもあの時の事思い出すと凹むよ」
落ち込んでみせる亮介がやって見せたのは、全然似ていない某大統領のモノマネだった。
yes,we,canと言うだけで、似せる気がちっとも無い代物だったため、シラーっとした空気になり、
場のフォローが大変だったのだ。
「あの空気の後だったから俺は逆に腹くくれたけどね」
賢治の披露したのは、軟体芸とでも言うのだろうか。体が柔らかい事が売りで、さすがに雑技団とは
行かないが、ブリッジの形で自分の足首を持って歩いて見せたのだ。
その場は亮介に比べれば大盛り上りだった。男女問わずからもれなくスゲーとキモイの一言は頂いたのだが、
それもまあ、褒め言葉の一つだ。
「お前は、誰の前だっていい芸だったよ。それだから俺のはダダ滑りだったんだよな~」
大盛り上りの後になってしまった、直樹は結局しょっぼい手品をやって見せた。
左手の親指を中指と人差指の間に挟んで、そこに右手の親指を添え、パッと手を動かした瞬間
右手の親指を隠す。と、ほら不思議親指が切れたように見えるという、小学生レベルのネタだ。
スベリ芸としてもちょっとセンスが微妙といってわけで、これまた亮介と同様にダダ滑りだったので、空気の回復が大変だった。
これから知り合いになる女の子達の前で失敗した、男二人など惨めな気持ちで一杯だっただろう。
「まあ、まあ、私は二人も頑張ったなって思ったよ。それに、みんなを直ぐに覚えるきっかけになったし」
「痛い、そのフォローが痛いよ。もう忘れて!お願いだから忘れて!」「もう、無理恥ずかしい、やめてー」
亮介、直樹の叫び声の後に、全員の笑い声が響いた。
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密室
密室とは密閉された部屋のことである。密閉と言っても空気を遮断しているという意味ではなく(その場合には気密室などと言う)、
外部から人が侵入出来ないという意味である。ただし、出入口がないわけではない。
密室が問題になるのは、中に誰かがいるからであり、その人がそこにいるためには、
どこからか入らなくてはいけないからである。従って、最初の入室時には出入り口があったのだが、
なんらかの事情があってそれが閉ざされ、誰も入れなくなったのである。 ウィキペディアより
先ほどまでに、順調に進んだ作業と異なり密室を作る作業は順調にとは行かなかった。
なぜなら、密室を作る道具など何も無いからだ。ピッキングは当然スキルも道具も無いが、古典的な推理物にあるテグスや、
ドライアイスなども無い。複雑な時限装置等を構える方法は何一つ実現できない。
あらかじめ用意しての犯行では無いのだし、それは仕方がない。
もしも、犯行の偽装工作が完璧で警察が他殺を全く疑えないのであれば、ドアの鍵など問題にならないかもしれない。
しかし、亮介には分かっていた。この程度の偽装では、他殺説を否定する事はできないだろうと。
その為には、密室で死体が発見される事には大きな意味があるだろう。
どんな流れだとしても、明日の朝死体を発見するのは、自分達になるだろう。その時、部屋が密室であれば全員の第一印象が自殺になるはずだ。
人間は一度思い込んでしまうとそれが固定される。
密室での自殺だと思い込んでしまえば、そういえば思い悩んでいた気がする等、勝手にストーリーを作ってくれる事も期待できる。
もしかしたら、ホテルの従業員だって自殺の方向に持って行きたがるかもしれない。殺人が起こったホテルよりは、
自殺が起こったホテルの方がまだ外聞はいいだろう。微差だとも言えるが。
『密室だと思い込ませる』
この言葉が引っかかった。そうだ、密室である必要は無い。
あくまでも、この部屋は密室だったと思わせる事ができれば問題は無いのだ。その考えが頭に浮かんだ瞬間、
亮介は一つの方法を思いついた。
この方法なら、道具は鍵だけで事足りる。
頭の中で死体発見時の全員の動きを考える。
恐らく、4人+従業員一人が同時に部屋に入る事になるだろう。
時刻は朝食後でチェックアウト前の9時か9時半位になるだろうか、従業員が鍵を開け俺たちが部屋に入る。
入った瞬間に目に入るのは、賢治の死体だろう。全員が駆け寄り、テーブルに俺と直樹が乗って賢治を下ろす。
当然死んでいるが、そこから救急車と警察を呼ぶ流れになるだろう。
後は、あれをみんなに印象づけるだけだ。