6 遊民
ファンネさんは意外にも話上手で、飛翔機から見た景色、出会った人、蛇鳥に襲われた話など、尽きない話題を臨場感たっぷりに語ってくれる。
いつしか英雄譚を聞く子どものように、一言に驚き手振りに笑い、目を輝かせて話に聞き入ってしまっていた。
「とまあ、そうやって、あたしは食料危機を脱したわけさ。そのとき受けた傷が飛翔機の右舷に残ってるよ」
「っかー、スッゲェ。やっぱ遊民ってかっけぇなあ! 遊民になりてぇ!」
ローレが両腕を震わせて、恥ずかしげもなく力一杯叫ぶ。
遊民は美化して語られる。実際は、寝ずの航行になることも多く、危険ばかりで見返りのない生活だ。ちょうど今、波乱万丈を聞かされたように。
そのため、遊民とは名ばかりの空賊も少なくない。たとえ高潔を保っても、いつ何が理由で命を落とすかも分からない。
本来的には、無謀以上に馬鹿げた話なのだ。
遊民だけでなく旅人にとっても苦痛となる、その現状を打破するためには、行商組合に加入するくらいしかない。その証書で身許を立てるのだ。実際ファンネさんも持っている。
しかし、それも空賊と間違われにくい、というだけに過ぎない。遊民の持つ危険性を少しも減じるものではないのだ。
「やめときなって。遊民なんて、危ないだけだよ」
当の本人でさえも、笑い話のように軽い調子で、ローレをいさめる。
しかし、ローレは聞く耳も持たず、どころかより熱をこめて拳を握る。
「分かってる。分かっても、生きたいんだ! 遊民として! くーっ、飛翔機さえあれば、すぐにも行くのになぁ!」
興奮したローレの様子に、俺は声をあげて笑っていた。
いつもそう叫んで、真面目に修行しろと親方に殴られているのだ。遊民の情熱を語られるのは、いつものことだった。
しかし、今日の新しい聞き手は、違った。
「遊民を目指すやつは、ほとんどがすぐに死ぬ。一年持たずにね。死にに行くようなもんさ」
今までとは調子の違う声に、笑いが引っ込む。
ファンネさんは笑みを収め、真面目な顔で、値踏みするようにローレをにらみつけていた。まるでずっと年上のような、老練した落ち着きがそこにあった。
ローレはその気迫に唾を飲んだ。喉が上下に動く。
「お、おれは……」
まるで翼竜に挑む伝承の英雄のように、ファンネさんを正面から見返す。
その目をファンネさんは見つめている。
二人の気迫に、俺は完全に呑まれて、蚊帳の外に追いやられていた。
「それでも俺は、遊民になりたい」
ふっ、と。
ファンネさんは、今までの険しい表情が嘘のように、にっこりと笑っている。
「分かった。その気があるなら、あたしが面倒見てやるよ。遊民としての生き抜き方を教えてやる」
「えっ」
呆気に取られた。
それはローレも同じだったが、ローレは水が土に染み込んで消えるように、ごくゆっくりと体を震わせていく。
「それ、ほ、本当に?」
「ああ。恩人の願いだからな。あたしも最初の半年くらいは、そうやって修行させてもらったんだ。言っておくが、甘くはしないよ」
「い、い、よ、お……っしゃ、あああああ!」
全身で握り拳を作るように、ローレはしゃがみこんだ。
顔を真っ赤にして、顔中に表してもなお足りないとばかりに、笑顔を弾けさせる。
甘くない教えなど、遊民の暮らしに比べれば、天国みたいなものだ。そう思っているに違いない。
俺はそこに座って、まるで無関係の他人のように、ぼんやりとそれを眺めていた。
だが、それはローレにとっては違ったらしい。
「やったな! 俺たち、ついに、遊民になれるんだ! なあ、リアン!」
自分の名前が呼ばれたと気づくのに、しばらくかかった。
全身から歓喜を垂れ流していたローレは、俺を訝って顔を曇らせている。
「リアン? どうかしたか?」
「あ、い、いや」
急に部屋が狭く感じられて、息苦しくなった。
ローレの笑顔を曇らせたことが、途方もない罪悪のようで、異様な焦燥に駆られる。作り笑いを浮かべて、へらへらと笑った。
「なんか、そう、実感、湧かなくてさ。ほら、急のことで」
「ああ、確かにな。でも、やっとチャンスが巡って来たんだぜ!」
今すぐ旅立ってしまいそうなローレに、ファンネさんは苦笑して言う。
「おいおい、怪我が治るまで待ってくれよ」
「ああ、もちろんもちろん。あ、いや、分かっています、師匠!」
「師匠?」
ファンネさんは目を丸くした。
照れくさそうに頭をかきながら、ローレはうつむいて笑う。
「あ、いや、遊民として教わるんだから、そのほうがいいかなって。変、ですか?」
「いや。師匠か、師匠。……いいね。分かった、じゃあ空ではそう呼ぶこと。でも、空に上がるまではいつも通りでいいよ」
「分かりました! 師匠!」
「話、聞いてたか?」
ファンネさんがおかしそうに笑う。
俺は一言も口を挟まなかった。挟もうにも、何も言葉が浮かばない。
二人がずいぶんと遠い存在に感じられた。
いつの間にか、昼時になっていたらしい。
昼食と軟膏を運んできた母さんに追い出される形で、俺とローレは村道を歩いていた。とりあえず昼飯を食べることになり、港の飯屋に行くことで話がつく。
小さな島であるため、村は岸壁にへばりつくように作られている。
目の前には青空が遥かに広がっていて、村の屋根は段々に下りていく。歩く道は縦横にくねり、足元で軋む板張りの道は村家の屋根の上にある。
斜面と階段と屋根が続く斜面のふもと、これ以上は断崖になる、というところまで粘ったところが、飛翔機を係留する空港だ。
村の端には灯台がそびえている。その頂上に繋がれた真っ赤な気球が、風に流れていた。
ローレが空を眺めて、呆けたようにつぶやく。
「まさか、本当に遊民になれる見込みが立つとは、思わなかったなあ」
「確かに」
心から同意して、うなずく。
実現するはずがない、と高をくくっていた。
しかし、ローレとは遊民が合言葉のようになっていたし、俺たちが作っている飛翔機は、そのための運用も想定されている。耐用性、積載量、航続距離ともに、かなり余裕を持って設計したのだ。
飛び立つはずの空を見る。
低空にある島の空は、雲さえ遠く、見えない小さな遊礫が阻んでいるはずだ。
この村ほど小さな島は、風に流されやすい。一度航路を外れてしまえば、たちまち現在地を見失って、隣町のある島までたどり着くこともできなくなる。当てなき大空に呑まれ、遭難してしまうだろう。
村人の空に、自由はない。