5 若者たち
翌朝。
朝靄が遠い島を隠す空の下、俺はローレの工房を訪ねる。宿屋のすぐ隣だ。
浮遊島である以上、移動には飛翔機を使わなければならず、必然的に駐機と整備の出来る場所が必要で、その工房のそばに宿屋があったほうがいい。
その関係でローレとは、親の代から幼馴染だった。もっとも、小さな村に数えるほどもいない同年代は、みんな幼馴染みたいなものだ。
朝からわざわざ来たのは理由がある。墜落事故の人が、改めて助けた二人に礼を言いたいそうだから行ってこい、と母さんに言いつけられてしまったからだ。
工房に入ってすぐ、ローレは飛翔機に背を向けて、何かの機械を組み立てていた。
「ローレ」
「ん……リアンか。どうした? 今日は家の手伝いする日だろ」
「そうだけど、違うんだ。墜落事故の人、ファンネさんって言うんだけど、ローレを呼んで欲しいってさ」
「なんで? って、ああ、助けたからか。律儀な人だな。ちょっと待て」
ローレは手元の機械と部品に付箋をつけた。おそらく高度計の組み立てだ。再開するときに、分かりやすくするためだろう。
待つついでに、ぐるりと工房を見渡す。昨日も乗った複座の飛翔機は、親方のものだ。見当たらないということは、今は滑走路に出されているのだろう。
代わりに今、工房の真ん中に並べて据え置かれているのは、親方の飛翔機より半分も小さい二機の飛翔機だ。
流線型の機体に直線先細翼を伸ばし、鳥なら股に当たる部分に推進器をひとつ収めている。尾翼もシャープな、単口式高圧噴流推進型の小型単座飛翔機だ。
降着装置は腹に二つと喉に一つ。胴体と翼が接続されているから、機体の上に翼を乗せる上翼型の親方の飛翔機より、ずいぶん平べったい印象を受ける。
これは俺の飛翔機だ。
ローレの飛翔機は別にまた隣に並んでいる。彼のものはほんの少し前進翼で、双口式だ。俺の飛翔機より製造が進んでいる。
それらを眺めて、ふと感慨深くなった。
「いつの間にか、ずいぶんと形になってきてるね」
「ん? ああ、そうだな」
顔も上げずにローレは返事をする。確認なんて必要ないくらい、一緒に長い時間をかけて作ってきた。
「あとは推進器と流圧計と速度計と外装の本取り付けと縦舵の調整と……はは。まだまだ終わんねーな」
「まあね。特に推進器の流圧調整が山だ」
機体を見上げる。
二機のなだらかな流線型の外装は、テープで固定されて濁っている。
飛翔機に命があるならば、まだ雛にすらなっていない、曖昧な卵の状態だ。生気が感じられなかった。
しかし、いつでもそれを受け入れて、準備が整いさえすればすぐにも飛び立ちそうな、そんな静かな期待と支度をしているようにも見える。
「よし。行こうぜ」
ポンポンと手をはたいて、ローレは立ち上がった。軍手を引き抜いて投げ落とす。
ローレを伴って、工房を出た。
もう日が高い。遥かな空を立体的な雲が流れている。晴れた空だ。
生まれてから何回通ったかも分からない道を、戻っていく。伸びをしながら歩くローレが、首の凝りをほぐすように傾けて口を開けた。
「にしても、なんであの人、ファンネさんだっけ? あんなところ飛んでたんだ?」
「さあ。分からないよ。何か用でもあったんじゃない?」
「そもそも、なんで墜ちたんだろうな。遊礫かな」
「それらしい壊れ方はしてなかったけど」
「よく海まで落ちずに、無人島に不時着できたよな」
「すごい幸運だよ」
「かなり若かったよな。俺らより年下かもしれないくらいだ」
「うん、若い」
「あの人さ」
ローレは言った。
「胸、でかかったよな」
こいつは本当に、俺が胸にしまったことを代弁してくれる。
ため息をついて、問題発言をいさめる。
「怪我人相手に何言ってんだよ」
「だから見えないところで言ってるんだろ」
そういう考え方もあるか。
いや待て、目の前で言ったら変態だ。危うく丸め込まれるところだった。
しかしローレはすでに次の言葉を発している。
「腕とか筋肉すごかったし、肩幅があるから目立たないけど……あれ、すごいよな」
「いや、まあ、うん。認める」
確かにすごい。恰幅込みなら母さんもすごい部類に入るが、ただ太ってるだけとは根本から違う。その恰幅さえ勝る胸筋である。若いのに不思議だ。
……どっちも、本来の蠱惑的な巨乳から、華麗にはみ出ている点では同じだけど。
筋肉質と言っても、ムキムキマッチョではないから、ファンネさんの判定勝ちか。
いつの間にか考え込んでいた俺を、ローレが面白そうに眺めていた。
「やっぱり、一番はマロウか?」
「確かに、ほどよく慎ましやかで可愛らしい……って何言わせんだコラ!」
うはは、とローレは笑って宿屋に滑り込む。
間の取り方でローレに勝てる気がしない。
ため息をついて、宿屋に入る。母さんはいない。バックヤードにいるか、さもなければ二階の空き部屋を掃除しているのだろう。
誰も来やしないのに、ご苦労なことだ。
ローレは奥の部屋の前で待っていた。その扉を叩く。
「リアンとローレです、失礼します」
声をかけて一拍置いてから、扉を開ける。
正面の窓から日差しを受けて、目をすがめた。部屋の右手壁際にある寝台に、女の子が半身を起こして座っている。
艶のある真紅の髪と、好戦的な獣のようなぎらついた目、いつも不敵に笑っていそうな緩んだ口許。鞭打ちになったらしい首には、固定するカラーがでかでかと巻かれていた。
半纏を羽織っていて、問題の胸は誤魔化されている。
「お、来た来た」
彼女は逆光越しにも分かるほどの、運ばれた餌を見る番犬のような笑みを浮かべる。
こんちわっす、とローレが挨拶した。
ファンネさんはニコリ、というよりニヤリ、と笑う。自分の胸に手を当てる。
「改めて、礼を言わせてもらおう。あたしはファンネ・ジレッタ。遊民だ。この度は救助のうえ、手厚い治療に感謝する」
目を剥いた。
話の半分は耳に入っていない。
ファンネさんの鍛えられた体が、大きな存在感と、神々しさのような風格さえ備えている。そんなふうに見えた。
彼女が何気なく放った一言には、それだけの威力があるのだ。
「ゆっ、ゆ、遊民! 本当に!?」
ローレが興奮して、ほとんど叫ぶように尋ねた。声がでかい。
その入れ込んだ気迫に、ファンネさんはむず痒そうな苦笑で応えた。首が苦しそうに全身を使ってうなずく。
「ああ、一応な。端くれさ」
ローレが目を輝かせて、スゲーと叫ぶ。
俺も沸々とした興奮を覚えていた。
遊民とは、伝説や武勇伝の主役として存在する英雄だ。
精霊の伴人、空の旅人と謳われる。彼らは身一つ飛翔機ひとつで、どこまでも飛んでいく。鳥さえも巣から遠くは行けない浮遊島の世界で、彼らは唯一、何者にも縛られない存在としてあった。
子どものころから、ローレと二人で遊民への憧れを語り合っていた。伝承の中の遊民とは、そういう存在だ。
それをまさか、こんな子どもが。
ローレは興奮冷めやらぬ様子で前のめりに尋ねた。
「じゃあ、もしかして、ずっと遠くから来たのか?」
「まあな。あの飛翔機は、南西に八千空里くらい行ったところの、知ってるか? 純遊系鉄の産地」
「あ、ああ! 知ってる。まさかそこで!? それで翼があんなに浮いてたのか!」
「そう。でもなきゃ、あんなにいい飛翔機は、あたしには手に入れられないよ」
軽く笑うが、八千空里なんて距離を、飛翔機だけで易々と飛べるわけがない。何ヵ月、ひょっとすると何年も、飛び続けたに違いない。
墜落してしまった飛翔機への愛着も、並みならぬものがあったはずだ。
ローレは顔を歪める。
機巧技師として、操縦士として、飛翔機が落ちるという話は聞きたいものではない。 特にローレは、聞きたくなかったはずだ。
ファンネさんはさびしそうに笑う。
「……小さい飛翔機だからさ。飛翔板と推進器を兼ねてたんだが、裏目に出た。バードストライクを食らっちまって」
「ああ。なるほど」
うなずく。確かに、バードストライクは頭の痛い問題だった。
たとえ鳥でも、空の上では相対速度が大きすぎる。よほどの衝撃があったはずだ。それこそ、場所によっては墜落事故に繋がるほどの。
しかし、ファンネさんにそれほど落ち込んだ様子は見えなかった。
彼女はくすりと笑って、試すように尋ねる。
「旅の話、聞きたいかい?」
「はい、ぜひ」
「お願いします」
気がつけば、一も二もなく、勢い込んでうなずいていた。