4 墜落機の搭乗者
父親の手で怪我を確認されている人は、艶のある真紅の長髪を乱れさせ、ほっそりとした顎や鼻梁、凛と整った眉を苦しげにしかめている。
顔を見てみれば年の頃は、十代半ばを過ぎたかどうか、といったところだ。年下かもしれない。その年齢の割りに身長は高い。
今はフライトジャケットを脱がされて、カーキ色のタンクトップ姿だ。上着で隠されていた体は、鍛えられてがっしりとしている。しかし、女性的な体格も残していた。
つまりあの人はどこからどう見ても、
「……女の子?」
「ああ、リアン。性別も分かってなかったのかい?」
母さんが呆れたように俺を振り返っている。
重かったし、分厚いフライトジャケットからでは見た目で判断できなかった。だいたい、はっきり言って腕とかムキムキだ。筋骨隆々までは言わないけど。
母さんには何も応えず、室内に首を伸ばして父さんに尋ねる。
「それより、具合はどうなの? 父さん」
「ああ。大したことなさそうだ。こぶもないし、頭を打って気絶したわけじゃないな、これは。体中に打ち身があって、少し鞭打ちになってるくらいか」
へえ、とつぶやいてしまう。意外だった。
墜落事故を起こして軽症なんて、なかなかあることじゃない。
この人は、見事な胴体着陸で機体の被害を最小限に抑え、さらにその衝撃から自分までも守ったのだ。
よほどの幸運か、あるいは熟練した人間か。いずれにせよあの若さだ、普通じゃなかなか考えられない。
くっ、と患者が苦悶の声を漏らす。
親方は覗き込むように様子を見ている。その視線はどこか父さんを避けるようで、父さんも肩がいつもよりどこか強張っていた。
「さあ」
ふいに母さんは、雄鳥が威嚇で尾羽を広げるように、両手を広げる。腕を振って俺たちを追い払いにかかった。
「あんたたち、治療の邪魔だよ。出た出た。リアン、あんたロビーお願いね」
「……分かったよ」
ぽつりと応える。
飛べるはずだったのに、今日はもうそれどころではなくなってしまった。もちろん、事情が事情だから、否やもないのだけれど。
黙ってロビーに入り、現在の宿泊者名簿を引っ張り出す。
一緒に追い出された親方は、ローレの背中をばしりと叩いた。
「ローレ、ちゃんとお使い行けよ」
「分かってるよ親父」
熊のような親方さんはローレを置いて、先にそそくさと出て行ってしまう。残ったローレはカウンターに肘を突いて、俺に顔をしかめて見せた。
「なんか、とんでもないことになっちまったなあ。お陰でろくに飛べねえし」
「まあ、人命優先でしょ、普通」
「そりゃあな。大したことなくてよかったぜ、ホント」
ローレはちらりと奥の扉を見る。
そのすれた態度に安心する。
彼は俺が胸にしまいこんだことを、代わりに言ってくれるかのようだ。
「次飛ぶときは、リアン優先だな。じゃ、また後で」
「ああ」
ひらりと手を振って、ローレは扉を押し開けて出て行った。ちりちりん、と玄関に取り付けられた鈴が揺れる。
ふう、とため息を吐く。
宿泊者名簿をめくる。今日の宿泊客はなかった。明日も真っ白。ただ珍しく、明後日に予約が入っていた。それだけだ。十日分眺めて、白紙に飽きて名簿を閉じる。
頬杖を突いて裏方を見る。
モップは干されていて、掃除が終わったばかりだと分かる。時間もまだ朝で、昼食の支度をするにも早い。ロビーを守る必要はなかったが、他にすることもなかった。
居眠りに頭が移りかけたときに、扉の鈴が鳴る。
「とっ、しゃーさーせ!」
飛び起きて叫ぶ眼前に、紙袋を抱えて目を丸くする女の子がいた。
息が止まる。
彼女はそばかすの残る顔に、子どものような笑顔を浮かべていく。その笑い出す寸前みたいな表情が気まずくて、目をそらす。
「リアン、今寝かけてたでしょ。それじゃあ、なに言ってるか分かんないよ」
「……なんだ、マロウか」
「なんだ、って失礼ね。おば様は?」
「奥」
素っ気なく応えて、あ、と顔を上げる。
「でも今、怪我人の看病してるから」
「分かってる。それで来たんだもの」
はい、と抱えている紙袋を手渡された。
見ればそれは袋詰めされた薬草や、ドライフルーツのような嗜好品、そして燻製肉、果物、野菜といった栄養のつく食べ物など、多様な見舞い品が詰められていた。
つまり、運び込まれた彼女のことを知っている、ということだ。
「情報早いなぁ」
「でなきゃ、交易商人の娘なんてやってらんないもの」
ふふ、といたずらっぽく笑う声を、紙袋に印字されたルディック商店の文字を眺めながら聞く。この村で唯一、島外流通を扱う商店だ。狭すぎて共同体みたいな村のなかでは、単なる流通担当ってだけでもある。
マロウは声を出して笑って、自慢げにあげた顎を苦笑に下ろす。
「と、いうのは冗談で。小さな村なんだから、そりゃ伝わるの早いよ。飛んでったローレのとこの飛翔機が、泡食ってとんぼ返りして、何もないとは思わないでしょ?」
「なるほど、確かに」
とはいえ、いくら村と言っても耳が早すぎる気もする。
情報は金だ、ということがよく言われるようになってきた時代だ。飛翔機を使った島間運送も商売として成り立ちつつある、という話も聞いている。しかし書簡が主な情報流通手段であるため、流通速度はどうしても遅い。
いや、それと島内情報網には何の関係もないんだけど。
「それに、リアンも乗ってるって聞いてたから、何かあったのかと思って」
「ん、なんだって?」
情報流通の考察に没頭していて、聞いていなかった。
マロウはうつむけていた顔を跳ね上げて、引きつった笑みを浮かべる。
「ん、いや別に、なんでもない! それじゃ、確かに届けたからね」
「ああ、ありがとう。渡しておくよ」
「お願いね」
ひらりと手を振って、マロウは走っていってしまう。
閉じられた扉がチンチリンと馬鹿にしたような音を立てた。
当たり前のように静寂が戻ってくる。時間に取り残されたような壁の木目は、黙って波打ったまま動かない。
ため息をついた。
「やっぱ、昔みたいに自然に話せないなあ……」
マロウといると、緊張して言葉少なになってしまう。ローレみたいに気軽に話したいが、性別が違うとはそういうことかもしれない。
いや、問題は性別でも年齢でもないのだろう。
ため息をついてカウンターに突っ伏す。腕のぶつかった紙袋が迷惑そうにガサリと音を立てた。そのルディック商店という印字を、眺める。
「やっぱ、惚れてんだろうなあ。たぶん」
たぶん。
俺にとってマロウは、その程度だった。
その程度でも、日常生活にささやかな悩みを持ち込むには、充分すぎる。