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3 挑戦

 飛翔機の操縦桿を握り込み、各種計器を確かめながらチゼに声をかける。

「チゼ、頼む。今度は推進器もね」

 返事の言葉はない。でも、チゼが応えてくれたことは、一瞬ぐんと右に振れた流圧計で分かる。

 推進器の出力が増して水平になった機体を、感じながら、操縦桿を引く。左に傾けた。

 機体下方に推力が向けられているため、機体は斜面から飛び出すように離れる。同時に均衡を保つ力が失われて、ゆっくりと機首が下を向く。操縦桿を、四分円を描くように回して、機体を真っ直ぐ下に向けた。

 透板の向こうに見える空を見て、操縦桿を握りしめる。尻が浮き、ぶらつく足がやけに重い。ふくらはぎに力を入れて足踏板に乗せる。

 操縦桿より固いスロットルレバーを、力をこめて引いていく。対気速度計の針が、引き寄せられるように右に回っていった。まばたきも忘れて、見つめる。

 落下加速はここからが大事だった。

 飛翔機は、遊系金属を主な素材として造られているから重さは軽い。しかし、質量が大きいため慣性力の影響で動きが鈍い。

 わずかな自由落下加速を足して、素早く空力速度に達しなければならない。長引けば長引くほど、機体姿勢の持ち直しも長くなる。

 しかし素早くと言っても、加速しすぎると機体に余計な負荷が掛かり、持ち直しが大変になる。最悪、空中分解すらあり得た。

 自分の呼吸の音が聞こえる。背中に少しずつ体重が掛かる。浮遊感でヘソがむずつく。

 翼を支える桁に風が当たって砕けている。透板を叩く風の音がやかましい。

 速度計が太く書かれた目盛りを越える。

 流圧が弱まった。

 スロットルを絞る。機首を上げる。水平よりやや上向き。飛翔板を起動して、急な姿勢変化で乱れる気流を抑える。スロットルをまた開けて速度を出す。

 大気にナイフを切り込むように、気流を作って乗り込み、飛翔を安定させる。

 しばらく、操縦桿を握りしめたまま固まっていた。

 白く霞む空のなかに、浮遊島がある。崖沿いにある村の外れに標識灯台が建てられて、その頂上から係留された真っ赤な気球が、気だるそうに浮いていた。島の最上部にある工房の滑走路は広く、ここからでもよく見える。

 胸が苦しい。息をしていなかった。ぶは、と息をついて、改めて計器に目を向ける。

 巡航速度を保って、水平に飛行中。流圧正常、高度低空。

 至って普通に飛んでいた。

 いっぱいに引き絞った綱のように固まっていた思考が、少しずつ戻ってくる。

 姿勢を崩さないよう操縦桿を支えたまま、スロットルを絞って速度を調整する。足踏板を踏んで縦舵を利かせ、機首を少しずつ逸らしていく。

 機体の横合いから吹き付ける風の力を、操縦桿の手ごたえで感じる。

 遠い空を見た。

 もっと飛びたい、自由に飛び続けたい、空の果てまで行ってみたい。

 空を飛ぶ静かな実感に打ち震える。

 スロットルレバーから手を離し、マイクに手を触れて、我に返った。

『あ、ローレ? ローレ、いる?』

 落下加速は荒っぽい機動で、飛翔機に慣れた人間でなければやらない。もっと言えば、今のローレのように、不安定な乗り方でやっていいものではない。

 返事がなくて、青ざめる。まさか振り落とされたのだろうか。

『ローレ、ローレ!』

『っだぁ……』

『ローレ!』

 うめき声のようなものが混じり、背骨を抜き取られたように全身の力が抜けた。

『ローレ、よかった。振り落とされたかと思ったよ』

『それどころじゃねっつの。腕は痛いわ、足はもげそうになるわ……。お前なあ、もっとスマートにやれよ!』

『やれるものならやってるよ!』

 言い返しながら、笑いが込み上げる。ローレも向こうで笑っていた。

 成功した。

 もちろん初めてのことじゃない。でも、今までで一番いい出来だった。

 空の者たちの間では、滑走路を使わなければ離着陸できない操縦士はヒヨコだ、と扱われる。落下加速が、鳥の枝から飛び立つ姿に似ているからだ。

 俺も、少しずつ大人に近づいている。


 減速しながら滑走路の上まで来て、飛翔板の揚力で軽く着陸する。降着装置の緩衝器がキシリと鳴った。

 そこに、もみあげから顎までの髭を構える大柄な男が待ち受けている。彼はしかめっ面になり、搭乗口に腰掛けるローレをにらみつけた。

「なんだローレ! もう買ってこれたのか?」

「ばか、それどころじゃねえよ親父! 墜落機! 人が乗ってた、まだ生きてる!」

 ローレの親父さんは、面食らった熊のような顔をした。ローレが飛び降りた後に後部座席に残る人影と、それがグッタリと首を傾けていることに、改めて目を剥く。

「な、なにぃ!? 分かった! とりあえず、しかたねぇ、台車でいいか!」

「布団かなんか乗せろ! そのままじゃさすがにヤバイだろ!」

「お前取ってこい!」

「ああ!」

 俺が操縦席から下りる間にも、二人は分担を決めて行動を起こしていた。

 ローレは家に飛び込み、ローレの親父さん……工房の親方は、台車に乗っていた機械を蹴り落として、しまった、と顔を青ざめさせる。しかしすぐに踵を返し、押すだけで浮いてくる軽い台を運んできた。

「リアン! 連れ出せるか!」

「大丈夫。チゼ!」

 声をかけると、風玉のような精霊はするりとそばに来てくれる。なに? とばかりに俺の肩の前でクルリと回った。

「飛翔機を飛ばしてすぐで悪いけど、この人を運び出すの手伝ってほしいんだ」

 チゼは一度震えて、ほどけるように消える。

 それを見届けて、すぐに後部座席の人の襟首を掴み、引きずり出す。チゼが下から押し上げてくれている。体を半分引っ張り出したところで、親方が受け止めた。

「リアン、お前は一足先に戻って、ベンに声かけてくれ!」

「分かった!」

 親方さんがしっかりと受け止めたのを確認して、飛翔機から飛び降りる。チゼがついて来た。一緒に工房を飛び出して、土を固めただけの村道を走る。

 行き先は遠くない。工房のすぐ脇。他の二階建て家屋より一回り大きな、木造建築の扉を、蹴破るように開けて飛び込む。

 すぐにあるロビーで、赤茶けた髪を首の後ろで縛って下げる中年の女性が、飛び込んだ俺に目を丸くしている。

「怪我人だ! 墜落した人がいて、今親方が連れて来てるから!」

「な、なんだって。ベン! ちょっと、すぐ来て!」

 裏方に大声を上げて、彼女は俺を振り返る。

「リアン、その人の怪我は?」

「外傷はたぶんない。見えた限りで出血はなかったよ」

 慌てて走ったせいで、長い距離を走ってきたかのように、呼吸が乱れている。肩で息をしていると、怒鳴られた。

「ほら、なに休んでるんだ! あんたも医者の息子なら、支度を手伝いなさい!」

「分かってるよ、母さん」

 母親は臨戦態勢を整える小熊のように鼻息を荒くする。それを横目に、俺はロビー脇の階段を下りた。

 医者の息子と言われても、本業は宿屋だ。怪我人病人を見ることなんて、滅多にない。父親が医者だと思い出すことなんて、一年に二、三度ってところだ。

 しかも、医者だって治せないものはある。むしろ、こんな辺鄙な村医者など、風邪以上はだいたい手に余る。

 その父親が泡を食って、包帯や消毒液や魔導石や鎮痛剤をどっさり抱えて、階段を駆け上がってきた。くせっ毛を揺らす父さんは、冴えない顔で俺を見上げる。

「ああ、リアン。怪我人は?」

「今来る。……来たみたい」

 ロビーのほうでバタバタと音がする。

 うん、と父さんは気弱そうにうなずき、両手に抱えたまま階段を駆け上がっていく。

 伸びきったセーターの背中を見送っていると、チゼが目の前でクルリと踊った。

「分かってるよ。俺も働かないとな」

 笑って、階段を下りる。人助けに理由なんていらないはずだ。

 地下は倉庫になっている。父さんは格好つけて書斎と呼んでいて、実際本もあるけど、それよりハムやワイン、薪のほうが多い。

 他に薬など気温の変化に晒したくないものが、雑多に詰め込まれている。納屋も他にあるので、総合的に散らかった家だ。

 客商売だから仕方ない、と母さんは言う。

 せいぜい一人か二人しか泊まらず、万年空き部屋の残る宿屋のくせして客商売とは、ずいぶんな言い草だ。

 錆と剥げた塗料で毒々しい色合いになった薬棚から、何か必要なものを考える。

 父さんは包帯や鎮痛剤、テープに冷却剤、他に内臓の働きを弱めたり助けたりする薬を抱えていった。他に墜落事故の処置で必要なものなんて思いつかない。

 あれで優秀なのだから紛らわしい。骨折用の添え木と三角巾、ガーゼの予備、松葉杖あたりを持って行った。

 治療は一階奥の客室で行われている。

 覗いてみれば、ローレと親方がわたわたと慌てて、母さんに叱られていた。

 父さんはおどおどとした手つきで、呼吸を見て、脈を診て、意識の有無を確かめて、瞳孔を確認し、打撲の有無を調べていく。ちゃっちゃと胸に下げる聴診器が刻む音に合わせるかのように、無駄なく手際よく診察を進める。

 彼の手元、事故の被害者を見て、驚いた。


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