25 親友
宿屋の前にファンネさんがいる。手持ち無沙汰に歩いていた彼女は、目が合うと急ぎ足に歩いてくる。俺を探していたのかもしれない。
父さんが俺の背中を叩く。ファンネさんに会釈をして、行ってしまった。
ファンネさんは父さんを見送って、俺を振り返る。
「邪魔したか?」
「いえ、話は終わったところでした。どうかされましたか?」
「ああいや、ちょっと、謝っておこうと思ってさ。あたしが安請け合いしたせいで、ローレと喧嘩したんだろ?」
「いえ、それは違いますよ」
苦笑が浮かぶ。本当にこの人は、律儀な人だ。
「きっと、最初から、いずれこうなるはずだったんです。それなら、家族も同然なローレの夢を叶えてくれるんですから、ファンネさんには感謝しています」
「……そうか」
ファンネさんは上の空に返事をして、俺の顔をまじまじと覗き込む。身を引く俺に、笑みを閃かせて、ファンネさんは頭をかいた。
「なんだ。墜落して落ち込んでるんじゃないかって、励ますつもりだったんだがな。むしろいい顔してやがって。余所者の出る幕じゃなかった、ってことかね」
「いや、そんな。ファンネさんは俺の恩人でもあります」
「あたしが? あんたの? ……なんで?」
ファンネさんは目を丸くして、心底分からない、と子どものように首をかしげた。
その仕草がやけにあどけなくて、笑いを堪えるのに苦労する。
「俺には、遊民よりも目指してる道があるって、教えてくれましたから」
分かってみれば、単純なことだ。
ファンネさんの飛翔機を取り戻す、と決意したときのような、心の底からの強い気持ち。それを遊民に抱いたことはなかった。
あんなふうに意欲を誉められたのは、ファンネさんと、さっきの父さんと、工房を託すと言ってくれた親方だけだ。
「俺は機巧技師になりたかったんです。そのことに気づかせてくれました」
自分で言って笑ってしまった。
自分のやりたいことに気づくために、誰かの助けがいるなんて、変な話だ。
いや、もしかすると逆かもしれない。
自分の本当の気持ちなんて、助けがなければ見えてこないものなのだ。
「……そうか」
ファンネさんは面映ゆそうに笑う。
「いいんじゃないか。いや、リアンはそのほうが似合ってると思うぞ」
「ありがとうございます」
「学ぶなら、学校に行くのはどうだ? お前の妹も行ってるんだろ?」
言っている意味が少しうまく取れなかった。
「……学校で、機巧技術を学ぶんですか?」
「ん、知らないか? あの学園は立派なもんで、機巧学科があるんだぞ」
ファンネさんは、さも当然という感じで教えてくれる。そうだったのか。
「それは、知りませんでした。でも、ダメですよ」
「あら、いい話なのに、なんで断るの?」
横合いから声が割り込んできた。
マロウが立っている。腕捲りして軍手まで嵌めて、それらは汚れている。壊れた貨物飛翔機の片付けをしていたのだろう。
胸が痛んだ。
「マロウ、その、ごめん。謝ってもどうしようもないけど、」
「知ってる。気にしないで、どうせそろそろ一度改修するつもりだったし。実際、この間仕入れた大荷物は、そのためのものだからね」
マロウは素っ気なく言う。
氷の塊を飲み込んだように胸が痛い。
彼女は詰め寄ってきて、俺を真っ直ぐ指差した。
「逆に聞くけど、リアン、あんたここに残ってできることってあるの?」
「それは……」
なかった。
合わせ金で作ることが必須となる貨物飛翔機を造る技術は、俺にはない。
親方が工房を畳む今、村に残っても、腕が上がる見込みはゼロに等しい。
「おい、そんな言い方ないだろ」
ファンネさんが顔をしかめてマロウに立ち向かった。
「いえ、ファンネさん、いいんです。マロウの言ったことは、単なる事実ですから」
「だとしてもだな、言い方ってもんがあんだろ」
むっとファンネさんがしかめっ面でマロウを見る。
マロウは鼻を鳴らしてそっぽを向き、つんけんした口調で続けた。
「自己満足で残られても、こっちが迷惑すんの。だから、学校行って、それで帰ってから、もっと良いもの造ってよ。出世払いで、利子まできっちり返してもらうから」
ひどい話だ。
苦笑が浮かぶ。
彼女なりの激励と、少なくとも現状よりもいい利率が見込める、取引だった。
「絶対返すよ」
「当たり前でしょ。踏み倒すなんて許さないから」
マロウは俺をにらんで言った。
まあそうだろう。商人にとって、不良債権ほど呪わしいものはない。
にらみつけていたマロウの目付きがふいに柔らかくなり、はにかむように微笑んだ。
突然、肩に火がついたぐらいの至近で、赤々とした光と熱量が湧く。
「いやまったく、立派なものだ。入る隙がないとはこのことだな、主よ」
ファンネさんと誓約を結んだ火精霊、フォウルノーズが、いきなりその灼熱の鎧の姿を表したのだ。
「ど、どうしたんですか?」
フォウルノーズは、ファンネさん背後の空中で胡座をかいてリラックスしている。それを背負うファンネさんは、むっすりと腕を組んでいた。まるで、彼女自身が燃え盛っているような気迫を感じる。
「気にするな」
「水を差すならぬ、火を差すだぬがふ」
ファンネさんは、その場で素早く回転するように回し蹴りを放って、何事もなかったかのように正面を向く。蹴りあげた右足を曲げて、クールな立ち方になっていた。
兜から村道の斜面に落ちたフォウルノーズは、平然と起き上がる。雑草が引火する様子もない。実際に燃えているわけではないのだろう。
その向こうに広がる村の景色が、ふと目に入った。
灯台と屋根の上を走る道と、岸壁の港。主要で大きい部分を片付けた貨物飛翔機の残骸が、痛ましく残っている。
見慣れたこの景色から、ローレも、親方も、いなくなってしまうんだ。
そう思うと、こみ上げてくるものがあった。
今までと同じ目で、村を見ることは出来ないに違いない。
島を出よう。
素直にそう思った。きっと、今なら、たくさんの大きなものが得られるだろう。
「ローレは、今どこにいるか分かる?」
尋ねると、マロウは今気がついた、という顔で顎に指を添える。
「ん、そういえば見てないな。工房じゃない?」
「ちょっと、行ってみるよ」
伝えなければならないことがある。
二人を残して工房に向かう。背後で二人が不思議そうな顔をしている気配があった。
工房にはいくつもの瓦礫が散乱している。少し前までがらんとしていたはずが、またごちゃごちゃと手狭になっていた。
貨物飛翔機の竜骨や機関部のほかにも、墜落した俺の飛翔機の推進器などが運び込まれている。
ずきりと胸が痛んだ。
せっかく造ったのに、満足に空を飛ばしてやることすら、できなかった。
それらの真ん中に、大柄な背中がある。親方だ。
「親方」
「……リアンか。すまなかった」
彼は開口一番そう言った。
渋面をいっぱいに作り、苦りきった声で唸る。
「俺はどうも、教える側としても焼きが回ったらしい。こういう事故を起こさせないための師匠なのにな」
「いえ、完全に自分の失敗で、俺だけに責任があります。親方に甘えてたんじゃ、技師とは言えないでしょう」
「お前は本当に、いっちょまえのことを言うな」
「すみません」
「褒めてんだよ」
親方は呆れ顔を、俺の推進器に向ける。手を伸ばして曲面を撫でた。
「俺がちゃんと金打ちを教えてやれたら、もっと早く腕が上がったろうに」
「……親方」
機巧技師として未熟な俺を、こんなふうに褒めてくれる。親方の優しさが沁みる。
もっと教えてください、と言いたい気持ちを、ぐっと飲み込む。
彼の険しい横顔を見れば、分かる。
親方こそ、師として、工房主として、この場に居続けたかったのだ。
それを曲げる辛さは、誰よりも彼自身が、苦しく思っている。
「親方。俺、学校に行こうと思います。機巧学科に」
親方は俺を振り返った。
「そこで、機巧技師として学んで、腕を磨いてきます。充分実力がついたら、一人前の機巧技師になったら、俺に」
言葉が詰まった。
言葉の重さに喉がふさがる。
そんな重圧に、負けるわけにはいかなかった。
息を吸う。口を開ける。
親方の驚いたような顔を、真っ直ぐ見上げる。
「俺に、この工房を、継がせてください」
言った。
手汗ごと手を握り締める。動悸がしてきた。緊張している。
親方は、何と言うだろう。
「リアン、お前……」
心臓が跳ねる。
「ばっかやろう」
そう親方は言った。
震える声を必死に抑えるように、息をつめて、太い腕で顔を隠している。
「お前に、残してやるなら、片付けなきゃなんねぇな」
親方は笑ってくれていた。
ほっとした。
これで、少しは、恩を返せただろうか。
「あ、ところで親方、ローレはどこにいるか分かりますか?」
「ローレなら滑走路だ。飛翔機を見てくるとよ」
俺に背中を向けたまま、親方は答える。
その背中に礼を言って頭を下げ、滑走路に向かった。
日はますます傾いて、空が黄みを帯びていたる。
ローレの飛翔機は、滑走路の真ん中に停まっていた。機体の周りにひと気はない。どうやら操縦席にいるようだ。
近くまで歩いても、操縦席で背中を曲げているローレはピクリともしない。
ここまで近づけば、整備しているわけではないことは分かった。彼は操縦席にうずくまって、こもっている。
「ローレ」
ばっ、とローレは顔を上げて俺を見た。
さっと計器に目を向ける。その目は赤く充血していた。
「なんだよ」
「謝らなくちゃいけないことがあって」
意外そうに俺を見た。その視線にうなずいて返す。
一歩下がった。くっと腰を曲げて、頭を下げる。
「一緒に行けなくて、ごめん」
「……んだよそれ、今さら。悪かったって言っただろ」
苛立たしげに、それ以上に悲しげに、ローレは吐き捨てる。
そうじゃない。ローレは何も悪くない。
「違う。嘘じゃなく、俺は行くつもりだった。行きたいんだって、思い込んでた」
操縦席にこもったまま、ローレは黙り込んでいる。
その姿が、あまりに見慣れすぎて、分からなかった。
「だってそうだろ、思い出せよ、俺たちは言葉もしゃべれないときから一緒なんだ。別々なんて、考えられない。そうだろ?」
「……ああ」
ローレは小さくうなずいた。
「リアンが来ないって思うと、急に、不安になっちまった。空で、行く当てもなくて……遊民の暮らしが、怖い」
操縦席に収まる姿が、ひどく小さく見える。
まるで忘れたくらい昔の俺たちのようだ。
しかし、ローレの目は真っ直ぐと、透板に向けられている。その先の空に。
「それでも、行きたいんだろ。空に」
「……ああ」
今度はしっかりとうなずいた。
笑う。なんだか途方もなく嬉しかった。
俺たちは、初めて会話をしているような気がした。
「なあローレ。怒ってくれ。俺はお前に、もう一つ謝らなきゃいけないことがある」
「なんだ?」
ローレは不思議そうに俺を見下ろす。
「親方に継いでもいいって言われて、内心すげぇ喜んでたんだ。それで今、跡を継ぐって確約してきた。お前の工房、俺が取っちまったよ」
「は? な、あ、てめ、ったく。……サイッテーだな、お前」
人ん家を勝手に、とローレは憎々しげに言う。
言葉と裏腹に、その表情は笑っていた。
操縦席の上から頭を殴られる。拳で頭を撫でるような一撃だった。
「なぁ、ローレ」
「なんだよ、リアン」
搭乗口に寄りかかって顎を乗せる。
ローレは笑みを浮かべて、西日に目を眇めていた。
その顔に、拳を見せる。
「頑張ろうな、お互い」
ローレは拳を見て、それから俺を見た。にやっと不敵に笑う。
「おう」
がつ、と拳をぶつけ合う。
俺たちの目は、いつも空を向いていた。
一人は空から。一人は島から。
だけど俺たちは親友だった。
きっと、それが全てだ。




