23 孤独
懐かしい夢を見た。
島裏に広がる森の中は、見た目以上に入り組んでいる。
土と風の精霊が遊んでいる。火の精霊は森の上で日光を浴びて漂っている。水の精霊が水溜りのうえで踊っていた。
湿った土の匂いと苔むした緑の匂い。乾いた葉が土を覆う。
ほんの子どもの頃だ。
ローレと別れ、相手を見つけて二秒気付かれなければ勝ち、という相互かくれんぼをしていた。マロウとマヤがいれば普通のかくれんぼにするところだが、二人はあまり森に来なくなってきていたからだ。女の子らしさというものが気になるらしい。
そんな格好つけより、一緒に遊んだほうが楽しいじゃないか、と思っていた。
ともかくも、ローレに見つからず一方的に見つけるには、どんなふうに動き回ったらいいか、頭の中で考えながら腐葉土を踏んで走っていた。
あのとき、何かがはっきりと見えたのだ。
その何かは、どうと表現することはできない。確実にそこにあり、存在するもので、言いようのない何かだった。
俺が見ている前で、その何かはくるりと包まり、風の玉がふわんと浮き上がる。
風の玉は俺の周りを漂った。
俺はなんだか楽しくなって、その風の玉を捕まえようと、その場で回り始めた。追いかけっこではしゃいでいると、風が体の中に滑り込んで、なにか小さな温かいものをぽとりと落とした。そんな感触があった。
それ以来、チゼはいつも俺のそばで遊んでいて、どこからともなく現れて、困ったときは助けてくれる。
あれが俺の誓約だ。
誓約は精霊と心を結び合わせ、助け合うことを心に約束すること。
相互に条件で縛り強制する契約とは、その性格が大きく異なる。
誓約は、絆を渡すこと、と言い換えてもいい。
チゼは俺の相棒で、俺はチゼの相棒だ。
ずっとそう思っていた。
当時の俺はそんなことも知らず、ただ不思議な風の玉と遊べることが、仲良くなれたことが、嬉しくて仕方がなかった。
夢中で追い回していたから、すぐにローレに見つかった。不思議な友達を紹介し、一緒に遊ぼうと持ちかけたことを覚えている。
ただ、一つ思い出せない。
あのときのローレは、こんなにも苦々しい表情を、していたのだろうか。
最悪だった。
ベッドのうえに寝かされていた。
すりむいた肘や打ちつけた足を冷やされているが、幸い怪我はそれ以外にない。
チゼが守ってくれた。推進器に一切力を注がなかったため、その分の余った力で俺を墜落の衝撃から支えてくれたのだ。
飛翔機は墜落、ルディックさんの貨物飛翔機は倒壊。年を跨いでお世話になった工房には、俺の浪費した総工費だけが残り、飛翔機のない俺は旅立つどころの話ではない。そしてファンネさんかローレかに助けられて、俺だけのうのうとお帰りだ。
喉が詰まり、胸と目元が濁る。目が熱くなり、視界がにじんだ。まぶたを閉じて、震える息を吐く。
涙が出てきた。
最低最悪だ。
どんどん、と扉が叩かれる音に、心底驚いた。慌てて目元をこする。
「はい」
声を出して驚く。乾いて枯れていた。
扉が申し訳なさそうに押し開けられ、そこにローレが顔を伏せて立っている。彼の他に随伴している人もいない。
彼の方が墜落したかのような、沈痛な表情を浮かべていた。似合わない表情をぶら下げたローレは、のっそりと口を開く。
「リアン、大丈夫か?」
「見ての通り怪我もなく、ピンピンしてるよ。鞭打ちにもならなかったし」
「そうか」
「俺のことより、ルディックさんとこの貨物飛翔機は、どうだった?」
「真っ二つだ。でもほとんどのフレームと推進器は無事だから、外装を張り替えるだけで済むだろうな」
「それは、よかった。いや、ちっともよくなんかないけどさ」
ローレは一歩ずつ躊躇うようにゆっくりと歩き、机の椅子を引き出して、腰を下ろす。明らかに様子がおかしかった。
「……ローレ? どうかしたのか?」
「ああ」
彼は目を合わせられないとばかりに、うつむいたままだ。
なにか、ひどく嫌な予感がしていた。なにか、俺の墜落は、取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。
「お前さ」
「な、なに?」
ローレがいきなり口を割ったので驚いた。彼は迷うような顔で俺を見る。
「本当は、遊民になりたくなかったんだろ?」
どきりとした。
「俺が騒いで、お前を巻き込んだから、引けなくなっただけでさ。自分がなろうなんて、欠片も考えてなかったんだ。そうだろ?」
「な、何言ってんだよ、いきなり」
「気付いたんだ」
ローレは有無を言わせぬように、悔恨そのものの声で、言葉を重ねる。
「ファンネさんが、リアンは、機体をいじるときは目が輝くのに、遊民の話をすると、目が泳ぐって、言ってさ」
ぞっとした。
ファンネさんが、どうしてそんなことを言ったのだろう。俺は、自分でも信じられないくらいに動揺して、混乱していた。
「そんな、そんなの、ファンネさんが勝手に!」
「嘘つくなよ!」
今にも泣き出しそうな顔で、ローレは怒鳴った。心臓が跳ねる。
彼の声が、震える。
「俺に、嘘なんか、つくなよ……! 分かるんだよ! 整備してるときのお前と、遊民になるってときのお前は、全然違うさ……。宿屋んときのお前より、もっと、気力がなかったじゃねぇか」
言葉が、言えなかった。
自分が信じられなかった。
まさか、そんな。
他ならぬローレに「遊民にならなくていい」と言われるなんて。
言われて、こんなにも、安堵する自分がいるなんて。
自分が、信じられない。
「俺は、俺ばっかはしゃいで、こんな簡単なことに、気づかなくて……」
ローレは手のひらで目元を覆い隠してしまう。肩が震えていた。口許が皮肉に笑う。
「違う、違うな。薄々は感づいてた。でも、そんなことはないって、させねぇって、思ってたんだ」
「ローレ?」
目元を押し隠す手に、筋が浮く。膝の上に置いた手が握り締められる。
「お前が、チゼみたいな、強い精霊と誓約できるお前が、羨ましくて、悔しくて……でも、だから、遊民に仕立てたかったんだ。お前くらい精霊が使えるやつなら、遊民になれるって……それで、俺の代理をさせて、自己満足に浸りたかったんだ」
俺は最低だ、とローレは低く唸るような声でつぶやく。
何か言おうとして、言葉は胸に転がり落ちる。
手を伸ばそうとして、重く、寝台の上に落ちた。
ファンネさんは、ただ彼女の印象を述べただけだ。マロウも、ファンネさんも、家守様もみんな分かっていた。
俺だけが分かっていなかったのだ。
ローレは顔を上げないまま、逃げるように立ち上がり、足早に部屋を出て行く。
扉を閉める瞬間、隙間を残して止まった。
「今まで、悪かった」
何かを締め出すように扉が狭まり、ばたん、と音を立てて閉ざされた。
俺は一言も発せなかった。
体の上に乗せられた毛布が皺を作っている。
買ったばかりの、飛翔機に積み込むはずだったもの。
体を折って、額を押し付ける。
目詰めのきっちりとした製法で、旅に堪える上等な毛布だ。
途方もなく、孤独だった。




