19 準備
ルディック商店の店構えは大したものだ。
地味で落ち着いていて村の景観になじみ、それでいて遠目からでも物売りの店であることが一目で分かる。ただ店頭にも商品を並べているだけではない、ちょっと立ち寄って覗いてみよう、と思わせる穏やかさがあった。
値札に押し付けがましい感じがしないからだろうか。俺にはよく分からない。
タオルだ何だと大量に担いだまま、押しかけるように訪問する。
荷物を商店の前に下ろしていると、バンダナとエプロンを身につけたマロウが飛び出してきた。こめかみの上に羽飾りの髪留めをする彼女は、目を丸くしている。
「なにそれ、あんたたちその荷物」
「いや、そんなに多くなるつもりはなかったんだけどな」
ローレが照れたように笑う。なんとなく俺がフォローするように説明を加えた。
「いや、品数は大したことないんだよ。でも、タオルと目詰毛布と撥水布だけで、やけにかさばっちゃって」
「そんなの何に――あっ」
俺を振り返ったマロウの表情が、馬鹿にしたようなものから、胸を衝かれたようなものにコロリと変わる。
悲しげに目を細める彼女に引け目を感じ、俺は目を逸らした。
「あんたたち、本当の本当に、行くつもりなんだ」
静かな声でマロウはつぶやく。
荷物が倒れないように支え合わせるローレが、黙ったまま手を下ろした。意気込みや決意のほどをどう語るべきか考え、虚飾や言い訳を削ぎ落とした末の、沈黙だ。
ローレの姿を見下ろして、マロウは小さくため息をつく。
「いいよ。何が欲しいの? 後から必要になって泣くのも、必要のないものを後生大事に抱えるのも、馬鹿のやることだからね」
「分かってる。とりあえず、上等なナイフと重ねられる食器と水筒だな」
「あとランタンに入れる魔導石もほしいね」
マロウとも相談しながら、必要な小物を買い揃えていく。
袋は便利だから目詰めのものを多めに用意しろとか、方位針と時計は飛翔機付属の他にも持っていけとか。旅人相手に商売を続けてきた彼女のアドバイスは、非常に参考になった。一気に一通りの買い物を済ませてしまう。
ローレが離れたところで荷物を整理している隙に、マロウに囁いた。
「つけてくれてるんだね、髪飾り」
「え? あっ……」
不思議そうな顔をした彼女は、はっと顔を赤くして、さっと髪飾りに手を触れる。傍目にもうろたえていた。
「忘れて、違っ、別に、何か気に入ったからとかじゃないから! あるなら使わないともったいないって」
「いいよ、ありがとう。似合ってるよ」
脛を蹴られた。
骨に鉄索が刺さったような鋭く響く痛みが足を貫く。
マロウは髪飾りを隠すようにそっぽを向いていた。
「まあこんなもんだよな。ん、リアンどうかしたか?」
「い、いや別に、何でもないよ……!」
タイミング悪くローレが戻ってきて、痛みを痩せ我慢する羽目になってしまう。
にこやかに笑う俺のとなりで、マロウがほくそ笑んでいた。その頭から羽の髪飾りはなくなっている。
機嫌を直したらしいマロウは、改めてこっちを向いて、俺とローレを見比べた。
「それより二人とも。親にはちゃんと話したの? なんの話も聞かないんだけど」
「うっ」
思わず唸ってしまった。顔を逸らすのはこちらの番だ。見ればローレも気まずそうに眉をしかめてマロウから目を逸らしている。
ごす、と脇腹に拳を入れられた。
「げふ」
「ごは」
「そーゆー大事なことは、さっさと言わないとダメでしょうが! 今まで何をやってたのよ、あんたたち」
「いやなんか、言いづらくて」
「言いづらかろーが何だろーが、言わなきゃいけないことには変わりないの!」
まったくその通り。ぐうの音も出ずに口をつぐんでしまう。ローレは反対されるから言わない、と言っていたが、俺は完全に勝手に躊躇っているだけだった。
マロウは、角の取れた柔らかい口調で、俺たちの肩を叩いた。
「あんたたちも、もう子どもじゃないんでしょ。自分の行く道を自分で決めるなら、それは、ちゃんと言わなきゃ」
その言葉が、胸に刺さった。
「……そう、だね」
「なんだったら、ついていってあげようか?」
猫のように目を細めて、揶揄するようにマロウは言った。思わず笑ってしまう。
「やめてくれよ、それこそ子どもみたいだ」
「なら、自分でしっかりやんなさい」
うんうん、とマロウはうなずく。
彼女なりに、俺たちを応援してくれている。
前は馬鹿馬鹿しいと言ったのに、いざとなれば背中を押してくれる。本当にありがたい、頼りになる友人だ。というより、本当に、惚れるに足る女の子だった。
突然、ローレが体の前で力強く拳を握る。
「うっしゃ、分かった! やってやる。宣言してきてやる」
「……喧嘩にでも行くのかと思った」
ローレの気迫にマロウは身を引いている。
そんなことは気にもかけず、ローレは架空の敵を殴っている。真剣そのものの表情で、あっさりと応えた。
「似たようなもんだ」
「はあ?」
「俺は俺の道を、戦って勝ち取る!」
気合が空回りしているようにしか見えないが、ともかくローレはその気で商店を飛び出していった。
「って、ちょっとローレ! 荷物どうすんだよ!」
ローレはすでに階段を駆け上がって工房に向かっている。声に気づく様子はない。異常な熱の入りようだ。
「どうしても、遊民になりたいんじゃない?」
マロウが俺の隣に並んで、斜面を上がって小さくなっていくローレの背中を見送る。
彼の背中はまるで航路を定めた飛翔機のように、あっという間に手の届かないところまで、すっ飛んでいく。
俺を見上げて、商店の脇に積み上げた荷物をつま先でつつきながら微笑んだ。
「置いといていいから、とにかく行ったら?」
「……分かった。ありがとう」
「どーいたしまして」
俺の背中を叩いて、マロウは商店に戻ってしまう。その小さくて大きい背中を見送って、ため息をついた。
彼女は尊敬するに足る人間であって、俺なんかが隣に並べる器じゃない。
自分の頭を小突いた。
今はそういうことを考えている場合じゃない。マロウの言うとおり、伝えるべき相手に伝えなければならない。
村の急な斜面を登っていく。
宿まで戻っても、カウンターは無人だった。
人の気配がない。バックヤードにもいないらしい。
静かに扉を閉める。鐘の音が鈍くこすれる。
二階から物音もない。特に掃除しているわけでもないようだ。ということは、おそらく地下にいるのだろう。
階段を下りる。
地下は明かりがなく、薄暗い。
ついこの間整理させられたお陰で、地下倉庫はすっきりと整頓されている。居るとしたら、扉の向こうにある地下書斎だ。影が掛かり、扉は黒ずんで見える。
手を挙げて、扉を打つ。
「リアン? どうかしたの、入ってきなよ」
扉を開けて入ってみれば、父さんと母さんが書斎の机に向かい合って座っている。
壁に小さく掘り開けられた採光窓から差す光に、埃が輝いていた。
小さな本棚に、本がギチギチに押し込められている。母がよく手を入れるため、ギリギリで散らかっている印象はない。広げられた紙片には、手書きで丁寧な文字がびっしりと書き連ねられている。島に自生する薬草の記録だった。
果実酒を詰めた木箱から、コルクの匂いが鼻につく。
「父さん、母さん。いいかな、話があるんだ」
「どうしたんだい、改まって」
「うん、ちょっとね」
胸に黒いどろどろしたものが垂れてきて、口が重くなる。
躊躇と、後ろめたさがあった。
呼吸が浅くなって、喉の奥が乾いている。
両親とも姿勢を改めて、聞く体勢を整えていた。その圧迫感に喉が塞がる。
「実は」
このまま逃げ出したかった。頭がぐるぐると巡る。頭が真っ白になり、言葉がポロポロと抜け落ちていく。何を言いに来たのかさえ、忘れかけていた。
ふわ、と手に風が吹いた。
姿を消したままのチゼが、煙のように青く輝いてくゆっている。
深呼吸した。
視界が書斎に戻る。父さんの垂れ目と母さんのふくよかな目が、俺を見守っている。
息を吸って、声を出した。
「俺、島を出ようと思うんだ」
二人は、驚かなかった。
父さんは静かにうなずいた。母さんは目を伏せる。
「そう。……アユナも、同じことを言ったよ」
少し驚いた。アユナ、妹が島を出たのは、八つの時だ。昔から頭の回りがいいやつだとは思っていたが、その歳から島を出ることの意味を考えていたとは。
「そのときと、私の答えは同じだよ。あんたがそうしたいなら、そうすればいいさ」
息を呑んだ。
俺はまだ、何をするのかすら、告げていない。
胸が詰まる。
今まで黙っていた父さんに目を向ける。彼はいつもの落ち着き払った微笑みで、俺を見ていた。
「行ってきなさい。気を付けてな」
「……父さんは、きっとそう言うと思ったよ」
父さんは困ったように顎をかく。
彼は、医者だ。歩く人を後ろで支えるような、そんな生き方をしていた。
母さんは笑いを漏らした。
「あんた、もともとアユナが出てくときも、一緒に行くって聞かなかったしねぇ。結局、行くのやめちまったけどさ」
違う。
伏せた顔の中で叫んだ。
あのときは、妹に付いてやらないと、という感情が先行して、行かなければならないと感じていたのだ。最初から、ローレやマロウと離れたくなかった。親方のもとで機巧技術を学んでいたかった。
床に敷かれた石畳が、土の魔力を吸って、鈍く渦巻いている。
「帰りたくなったら、いつでも帰ればいい。島の宿は、そのためにあるんだから」
母さんは優しく、慈しむように言った。
俺は黙ってうなずく。
心は晴れなかった。




