断章 3
子どもの頃から、親方の工房に入り浸っていた。
熊が製図しているような親方の背中を見ながら、ローレやチゼと遊ぶことも多かった。
何度も追い出されかかって、工房の中では親方に迷惑を掛けてはいけない、と学習してからは、作業に没頭する親方の背中を見るのが面白くて仕方がなかった。静かに見る限りでは、怒られることも追い出されることもない。
蟻の姿を観察するのに似ている。図体のくせにちょこちょこと指先を細かく動かし、たまに手を止めて見直す。何をしているのだろう、何を考えているのだろう。不思議なそれはまるで魔法だった。
蟻の観察より面白いことには、何日と見つめるうちに、親方は手元のそれを形にしていくのだ。ランタンであったり、滑車であったり、汲み上げ装置であったり、様々だったこともまた刺激だ。何が違って別のものが作られるのか、まるで分からない。
ある日、親方はいつものように工房の机に座って、作業を始めた。端材を切って、計ったり持ち上げて覗いたりしながら寸法を合わせていく。削ったり合わせたり、組み立てていくだけで時間は経ち、お昼ご飯を挟んで、親方はそれを作っていた。
毎日見ている俺は気付いた。今日の親方は肩の力を抜いていて、どこか楽しそうだ。
「おいリアン」
びっくりした。
仕事をする親方は、俺に声をかけることも、気を払うこともない。それがむしろ観察しやすくて、居心地がよかったのだ。
親方は椅子を動かして俺を振り返っている。
「なに?」
返事をして、彼のもとに走り寄る。近くで見る親方は壁のようにでかい。
彼はその大きい手に、先端の潰れた三角錐を載せていた。
「ほれ。やるよ」
わあ、と顔が笑う。
それは小さくも精巧な風車だった。
もちろん村にないから本物を見たことはなかったが、絵は見たことがある。あのなかでジャガイモなど穀物を挽いているのだ。
「チゼを中に入れてみな」
「え? うん、チゼ」
名前を呼べば、風の玉はふるふると回って、俺の手の中にある風車に飛び込んだ。くるくると羽根が回った。
「えっ?」
「機巧ねじを入れたから、チゼが羽根を回せるんだ」
「お、おおー!」
チゼも中で喜んでいた。羽根がくるくるとすごい速さで回る。
その速さを見て、親方は「……上限錘つけてよかった」と顔をひきつらせてつぶやいていたが、当時の俺には言葉の意味も表情も理解できなかった。
「ありがとう親方! わあっ!」
もう飛び回ってはしゃいで、チゼもぐるんぐるん羽根を回して、島の底が抜けるくらいとんでもなく喜んだ。
機巧玩具なんてなかったし、今でも他に見たことはない。
親方が照れ臭そうに笑って、製図紙を広げている。俺はみんなに見せて回りに、工房を飛び出した。
こんなにすごいものを貰って、騒ぐなというほうが無理な話だ。
「ぶぁああ、おやがだぁ~」
そして日が落ちる前に大泣きして工房に戻った。
ちなみに当時、ローレが機巧技術を教わり始めていて、親方と呼ばされていたので、俺もそう呼ぶようになっていた。
親方が目を丸くして俺のほうに来る。迷惑もなにもないくらいの泣きようだったのだろう。チゼも悲しそうに俺の肩の上で震える。
「動かなぐなっちゃっだよぉ!」
掲げて示す風車は、背が開いている。
「分解したのか、バカだな。せっかくやったのに」
「だって、いづもおやがだづぐっでで、どうやっでっで、そえで……うぇあぇああ!」
俺は喘いで過呼吸に陥りながら、そりゃあもう海に届くくらい泣いた。すごいものを興味本意で台無しにした後悔と絶望で、頭の中が真っ暗になっていた。
どうして自分で直せると確信していたのか、まるで分からない。
組み直しに失敗するたび、元の完成図が頭から抜け落ちて、虫食いになっていく。その感覚が恐ろしくて仕方がなかった。
「ああ、泣くな。直してやるから」
親方はひょいと風車を取り上げて机に載せ、改めて中身を開いた。親方の組み上げたねじ型の美しい機構が、似ても似つかない歪んだ形になってしまっている。
壊してしまったという不安と戦いながら、何度も何度も試行錯誤を繰り返して絶望を深めていった恐怖が思い出されて、涙が浮かぶ。
親方は少し感心やら呆れたやらの混ざった笑いを漏らし、俺を振り向いた。
「お前、ひとつ残らずバラバラにしたのか」
「ひぐ。……うん」
しゃくり上げながらうなずく。
ちなみに俺はもうピタリと泣き止んでいた。親方が直すと言ってくれた以上、泣く理由がなくなったからだ。まったく正直なものだ。
「惜しかったな。この歯車は中心に通すんじゃなくて、ずらすんだ。そうするとこいつを通せば連動して回るだろ」
真ん中の、穴が中心と外れたところの二つある歯車を、入れ直す。トントンと棒や歯車を積み重ねて、あっという間に、見覚えのある姿に組み直していった。
「お、おおー!」
呆気ないくらい簡単に機嫌を直し、風車の箱にしまわれていく機巧ねじ機構を見つめる。外に飛び出した軸に羽根を取り付け、親方は再び大きな手に載せて、俺に渡してくれた。
「チゼ、チゼ!」
はしゃいで急かす俺よりも早く、風の玉は風車に飛び込んだ。きゅるきゅる、と機構の噛み合った音を奏でて、風車は回る。
「回った、回った! はひゃーっ!」
興奮したチゼが羽根を思いっきり回して、風で前髪が吹き上がる。
風車を受け取ってはしゃぐ俺に、親方は苦笑を浮かべている。
「もう壊すなよ」
「うん! ありがとう親方!」
「……なあ、リアン。お前も機巧技術に興味あるか?」
「うん、ローレも勉強してるんでしょ?」
「ああ。お前も一緒にやるか?」
「うん!」
親方が笑って頭を撫でてくれた。頭すべてを覆えそうな、大きい感触を覚えている。
弟子入りほど本格的なものではなかったし、親方も工作程度の技術を教えてやめるつもりだったのだろう。
とにかく、俺が最初に親方を師と仰いだのは、この日からだった。
機巧技師として弟子入りをしたのは、またずっと後の話だ。




