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2 離陸

 島から離れていく飛翔機のなかで、得意げな声が耳に滑り込んでくる。

『さて、風向なしは上々。航路よし。親方のお使いなんて、面倒くせーよなあ。飛翔機に乗れるから行くんだけどさ』

 満足げな声の愚痴を聞き流し、再び空を見上げる。

 黒点は、近くの小さな無人島だった。風もないのに流されていた。

 そこに羽虫のような小さな粒が、するすると滑り降りる。減速しようとしている向きもあるが、圧力の抜けた推進器のように、利いた素振りもない。当たり前のように岩塊に吸い込まれていく。

 虫の留まるような軽やかなそれではなく、岩を削り破片をばら撒き、ひしゃげて折れて潰れていくような、ハードな接触。

『うわあ!』

『うわっ? リアン、どうかしたか?』

『ああ、ローレ。えっと、二時方向、仰角二十度くらいのほうに行ってくれ! 急いで!』

『ん?』

 しばらく目を凝らすような沈黙を挟み、機体が傾いた。二時方向に機首が向いて、一度左右水平になり、機首を上げて上昇する。

『なんか破片が浮いてるな。なんなんだ?』

『分からない。でも今落ちてきたのが見えた、墜落かもしれない』

『……急ぐか』

 スロットルが開けられて、機体の速度がじりじりと増していく。

 墜落事故だとしたら、とんでもない。

 世界には重力の影響を受けない遊物質と、影響を受けて常に下向きに落ちる性質を持つ定物質がある。物質には慣性と呼ばれる、止まっているものは止まり続けようとし、動いているものは動き続けようとする性質が存在する。

 質量が大きく、その「動きにくい性質」を強く持つものを「鈍い」と表現し、さらにそれが定物質で下に動く力が強い、すなわち重量が大きい場合を「重い」と表現する。

 そして飛翔機は、遊物質比の高い、遊系金属を中心に作っている。

 この複座飛翔機で言えば、大人が三人も掛かればなんとか持ち上げられるだろう。しかし質量はトンを越える。

 重量こそ軽いが、質量で動きが鈍い。

 勢いのついた飛翔機を止めることは難しく、それが墜落するとなると、ただでは済まない。

 無人島に近づき、少しずつその輪郭が見えるようになっていった。小さな棍棒のような形をした岩の、狭いなだらかな斜面に、何かが張り付いている。

 目を眇めても輪郭がよく見えないが、島の上に舞う粒のような破片は、どうもその何かから零れ落ちているようだった。

 飛翔機だとすれば、あの破片は外装だ。外面を滑らかにして空気抵抗を減らすためのもので、質量を軽くするために分厚く造られることは少ない。

 破片がずいぶんと細かく撒かれている。外装だとしたら一枚打ち出しではなく、複数枚をぴったりと重ね合わせて頑丈さを増した、合わせ金かもしれない。

 何かには、翼が左側だけ伸びている。右翼は折れてしまったのだろうか。ぶつかったと見られる岩が割れている。

 滑走して岩を削ったあとが焼かれ、焦げの跡がある。空焔式推進器の残り火に見えた。空焔式なら最悪大爆発がありえたことを思えば、被害は最小限と言っていい。

 そこまで観察して、自分が何を見ているのかようやく自覚した。

『大変だ』

 引きつった声が漏れる。

『飛翔機が、墜落してる』

 とんでもなかった。

『マジかよ』

 ローレは、呪うようにつぶやいた。

 無人島はこの辺りに多い黒岩で、そこに飛翔機が一機あるだけで非常に狭い。

 墜落機はまるで岸壁に突き刺さるように、胴体着陸している。半壊状態で、右翼はやはりへし折れていた。機体から離れた右翼が、岩の上をゆっくりと落ちている。

 削れた岩の跡からして、衝突した勢いで滑走し、斜面をかけ上がって止まったらしい。

 それらを見下ろしてゆっくりと旋回する俺たちの飛翔機は、獲物を狙う鷹のようだ。

『ひどいな……。リアン悪い、手伝ってくれ』

『分かってる。チゼ』

 呼ぶと、色めく風の玉が袖口から顔を出した。

 すい、とチゼは空中を泳いで、翼の直型飛翔板に、吸い込まれるように消えていく。

『よし、降りるぞ』

 飛翔機が前進を止める。

 飛翔板から震えるような音がして、推進器の音も高くなる。空中に停止した。

 ローレが操縦しているのに、俺が泰然と座りっぱなしとは行かない。腰のバックルを叩いてシートベルトを外し、機外に体を乗り出す。

 飛翔機の下には、大きな起伏の差や岩はない。その姿勢のまま、喉のマイクに触れる。

『降りても大丈夫そうだ』

『分かった』

 慎重に推進器の音が絞られ、機体が下降していく。岩の地表が迫る。

 ごん、と岩にフレームを触れさせて、機体は停止した。

 不安定な岩の上でも、機体は動かない。完全に静止していた。飛翔板を見上げる。

『チゼ、ありがとう。そのまま頼むよ』

『行ってみるぞ』

 返事をしようとしたときには、ローレはもう飛び降りていた。岩間を飛び移るように走って、墜落機に向かっていく。

「あ、待てよっ!」

 立ち上がろうとして、マイクの線が突っ張る。急いでいるといつも忘れる。

 マイクをほどくのも面倒で、電線を引き抜いて、肩のポケットに丸めて押し込んだ。初めはなんでこんなところにポケットがあるのかと思ったけど、実際便利だ。

 すぐに飛翔機から飛び降りた。

 ふわり、と足が浮遊感を踏んで腰まで沈む。地面が迫り、手の届く距離になるより早く、足のほうが岩に届く。だん、と屈み、踵と膝に衝撃。この感覚はちょっと好きだ。

 振り返る。

 機首の先を岩に添えて、飛翔機は斜面からだんだん離れるように傾く。空中に縫い留められたように静止している。

「おいリアン! 早く来い!」

 ローレに呼ばれ、慌てて墜落機に走っていく。

 墜落した飛翔機は、小型の単座飛翔艇だ。水面にも離着陸できるよう、機体が船のような半月型になっている。

 近づいてみて、操縦者の技量が分かってきた。

 墜落し、岩に叩きつけられた割には、明らかに機体の損傷が小さい。バラバラに砕け散っても不思議じゃないのに、着陸時にこすったらしい右翼以外、原型を留めている。

 機体の脇に立ち、覗き込んでいたローレが手を振り上げた。

「リアン、誰かいる!」

「え、何だって!」

「おいあんた! ……息がある!」

 ローレとは反対側に回り込む。

 普通、墜落事故は助からない。空に障害物はないし、あっても避けることを前提とする。飛翔機は基本的に、衝突に対して頑丈に作るものではないのだ。

 しかし確かに、シートに引っ掛かるようにして、人間がぐったりと倒れていた。

 飛行帽とジャケットで、人相はよく分からない。厚手のフライトジャケットに隠れて確実には言えないが、少なくとも見た限りでは出血がない。不幸中の幸いだ。

 ローレが険しい形相で引きずり出し、体を背負う。岩場を渡るのに肩を貸し、二人掛かりでやっとのことで飛翔機まで戻る。

 ローレが上から、俺が下から押し上げて、なんとか後部座席に押し込んだ。操縦席は二人も乗れるほど余裕がない。ローレはシートの隙間に足をねじ込んで、シートベルトを巻き付ける。機体側面に張り付いたままの俺を見下ろした。

「リアン、お前操縦だ」

 さらっと言われた言葉に驚く。

「ここからじゃ、落下加速しか」

「バカ、三人も乗っけちゃ、チゼでなきゃ無理だろうが!」

 怒鳴り付けられた。

 確かにそうだ。ローレの精霊ティキウィキはこの機体と相性が悪く、単体で推進器と飛翔板を同時に使うことができない。

 かといって、機体はすでに静止状態だ。滑空加速をするわけにはいかない。この場所は高度が低すぎる。借り物の飛翔機では、飛翔板を使っても機体重量を越えるほどの上昇力は得られない。一人ぶん重量の増えた機体に必要な揚力を確保するのは、厳しかった。あと五十、いや三十も高度があれば。

 自分でも、顔が強張っていると分かる。

 後部座席に視線が向いた。ローレと、さらにもう一人。気を失ったまま、ぐったりと力を抜いてシートに体を預けている。

「お前だって、もう何度も成功してるだろ。俺なら大丈夫だし、チゼなら余裕でやれる。心配すんな」

「……分かった」

 やるしかなかった。

「チキるなよ!」

「分かってるよ!」

 拳を振り上げて答える。ローレは笑っていた。俺と違って緊張した気配もない。信じてくれているみたいだった。

 操縦席に乗り込み、シートベルトを締める。降着装置を操作するレバーがあるぶん、後部座席より狭い。足の間から生える操縦桿の、単桿方式。個人的には、左右の操縦桿で操舵する複桿方式のほうが好みだった。

 各計器に目を走らせ、マイクに手を触れて、電線をまだつないでなかったことに気がついた。つい笑ってしまう。思った以上に緊張しているらしかった。

 電線を繋ぎ、改めてマイクに手を触れる。

『ローレ、行くよ』

『ああ。頼むぜ、天才精霊術士』

『久々に聞いたな、それ』

 とっくの昔に返上した称号を笑った。

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