16 リーケンの歩き方
遊ぶと言っても、大したことができるほど世慣れてもいなければ、資金もない。
商店の集まる目抜通りの周りを固める道、リーケン名物でもある屋台通りを、観光がてら見て回るだけだ。
走り回る空夫にも食べやすい串焼き、堅焼きは、歩き続ける港商人にも人気がある。逆に動き疲れた人向けに、座ってガッツリ食べられる屋台もある。バリエーションは目を見張るほどだ。
とりあえず、串焼きバングを買う。穀醤と香草と果物をブレンドしたタレで照り焼きにした羊肉を、バングで挟み、串で貫いて炙って仕上げたのが串焼きバングだ。
風味の強い羊肉とねっとりした芋の香りを、さっぱりした照り焼きのタレが引き立てる。コクのある羊肉のクセを、香草の鼻に抜ける香りがうまく抜いている。
やや固いバングは、単体としては淡白すぎてさほど美味しくないけれど、その固さがタレや肉汁をしっかりと受け止めて逃がさない。中でも肉汁と混ざったタレの焦げは絶品だ。
「私にはちょっと、くどすぎるかなぁ。バングが軽くなれば食べやすいんだけど」
そう語るマロウは、言葉通り羊肉ではなく鶏肉を挟んだものをかじっている。
タレも香草が少なく、穀醤自体も大豆を使ったものになる。全体的に固いが、味はスッキリしていてタレの味わいが深い。
さも普通に会話を交わすような口振りだが、マロウの食べる口は重い。気落ちしているのは見え見えだった。
美味しいものでお腹が膨れれば元気になるか、と期待したけど、そう簡単にはいかないらしい。まあ俺やローレみたいに単純じゃないか。
食べ終わった串を屑入れに捨てる。
「さ。次に行こうか」
「まだ行くの?」
「時間もあるしね」
マロウはあまり気乗りしなさそうについてくる。握る手も力なく、疲れていた。
やっぱり、人混みから離れて、休んだ方が良いかもしれない。
「なに、ここ」
マロウが胡乱そうに言った。
店は定食屋のようにテーブルが並んでいるが、その間を店の見映えが悪くならない程度の衝立で仕切っている。客の前には申し訳程度に飲み物が置いてあるだけで、何の店なのか一見して分かりづらい。
「喫茶店っていうらしいよ。ゆっくりすることを主軸にした店なんだって」
「だって、って、誰から聞いたの」
「ローレ。女の人に誘われたって」
ナンパ、という文化らしい。よくは知らない。ローレも結局怒られて帰ったと言っているから、たぶん彼にも分かっていない。
マロウは気に食わなそうな顔で店を眺めている。交易商人として、いまいち共感しにくい商売なのかもしれない。
「まあ行ってみよう」
俺は扉に手をかける。
「げっ、行くの?」
うめいたマロウは、渋りながらもついてくる。
店内は落ち着いていて、外の騒がしさが嘘のようだ。何か精霊が歌っている。
「いらっしゃいませ」
びっくりした。
いや、何も驚くところのない挨拶なのだけど、市場や港の威勢が凄まじい「いらっしゃいませ」とは、トーンが違いすぎる。落ち着いている。
この辺りでは珍しい褐色肌の男性は、髪をドレッドにまとめて、ベストを着こなしている。店の雰囲気もあって、ものすごい落ち着きと風格だ。
喫茶店では、煎った薫豆や乾燥させた香草を、煮出して作る嗜好飲料を出しているようだ。産地が限られる珍しいものだ。同じ理由で、ちょっと高い。
ボックス席に案内されて、マロウは柑橘ジュースを、俺は薫り豆を煎じたコーヒーを出してもらって、一息つく。
人心地ついて、気づいた。
「なるほど、落ち着く」
静かで、窓を隔てた店内は時間の速さが違っているかのようだ。沈黙を埋めるような微かな歌声が耳をくすぐる。
「へぇ、面白い店だね」
「これだけのことにお金使うなんてバカみたい」
「大きな街じゃ、ゆっくりするのも難しいんじゃない? 外うるさいし」
ふん、とマロウは拗ねたように鼻を鳴らす。
「……わざわざ連れ回して、励ましてるわけ?」
苦笑する。正直に言われてしまうと、答えにくい。
店員に教えてもらった通り、飲みやすくなるという白砂糖とミルクを入れて、コーヒースプーンでかき混ぜる。片っ端から珍しい。湯気が渦を巻いて立ち上った。
「まあどっちかと言うと、励ましてる。でも、マロウに下手な慰めなんて、逆効果でしょ。単なる気分転換だよ」
マロウは黙りこくって、鮮やかなオレンジ色をした液体の水面を見つめている。
ぽそり、と口を開いた。
「前から気づいてたんだよね。私に商人が向いてないってこと」
「え、そんな」
そんなわけがない、と言おうとして、口をつぐんだ。下手な慰めは逆効果だ。
ただ、納得できるわけのない言葉だった。
マロウはおもむろに手を挙げる。
頑なに被っていたキャップに手を掛けて、脱ぐ。乱れた髪が逆立って跳ねている。
テーブルに視線を落としたまま、動かさない。
「人の顔が見れないの。顔を見られるのが嫌。村の人なら、正面からしっかり見られるんじゃなければ、大したことないけど」
マロウの手は、キャップをテーブルに置きはしなかった。掴んだまま、震えている。
まるで、いつでも被れるよう、構えるかのように。
『そばかすマロウ』は、何かを呪いすぎて疲れ果てたような、虚脱したような声を取りこぼしていく。
「相手の顔色も見ずに、交渉なんて出来るわけない。初めから向いてなかったの。商人なんて出来なかったのよ。きれいに商品を並べるなんて、子どもの手伝いじゃあるまいし。……私が胸を張って立てるような人なら、なんてことなかったのに」
「マロウ」
何か言おうとして、喉が塞がれたように言葉が出ない。
言うべき言葉が見つからない。
マロウは悄然と肩を落とし、萎れる寸前の花みたいに、小さくなって見えた。
うつむけられている口が動いて、ぽつり、とつぶやく。
「何がいいの?」
「え?」
「私の何がよかったの? 好きなんでしょ、私のこと」
マロウはあっさりとそれを口にした。思わず顔をしかめる。
やっぱり、バレていたか。
小さな村で秘密が守れると思う方がどうかしている。
ルヤとローレのことだって、秘密が守られているつもりなのは、当事者二人の間だけだ。ローレが気づかないのは、彼の奇跡的な鈍感さに原因がある。
「なにか挙げられる? どうせ、他に村の女の子がいないから、そういうことにしただけなんでしょ」
どこかマロウは、卑屈な目をしていた。
言えるものなら言ってみろ、と馬鹿にしたような。
ムッとした。
俺が今まで見てきたマロウのすべてを否定されているような気がした。
この場で好きだと叫んでやろうかと思ったけど、そんな自棄に走ったらそれこそマロウの言い分を認めることになる。
あ、それにそんな恥ずかしいことしたら、二度とこの街に来れなくなる。思い留まってよかった。
「マロウ。ちょっと行こうか」
「どこに」
「買い物。ごちそうさま」
尻に根が生えたように動こうとしないマロウを引き抜く。
支払いをしようとしたが、手持ちの銅貨じゃちょっと足りない。金貨をテーブルに投げ捨てる。お釣りを受け取る暇なんてない。ローレには土下座をしよう。
マロウを引きずるように店を後にする。呆気に取られたような店員の顔は、見なかったことにした。落ち込むから。
「痛い、痛いって馬鹿! 別に逃げやしないから!」
怒鳴られて、一度手を離す。
大声に、周りの人が何事かという顔で視線を向けてくる。マロウはうつむいて、仮面かというくらい深く帽子を被る。
そして、ためらうように顔を逸らしたあと、手を握ってきた。
「サイアク……」
ぼやいたのが、不幸にも雑踏の合間を縫って耳に届いた。思わず口が曲がる。
「悪かったよ。お詫びするから」
「いらない、別に。最初にひどいこと言ったの私だし」
ちょっと驚いた。マロウは反省している。冷静になるの早すぎる。大人の対応だ。
「まあ、すぐ着くから。ここ、ほら」
マロウを連れて、喫茶店の斜向かいにある店に行く。その店が並べる商品を見て、マロウは顔をゆがめた。
「……小物店?」
「そう」
答えて、手近な髪飾りを取る。羽を模した薄紅色の髪飾り。
マロウの帽子のつばを持ち上げて、こめかみの上に挿して合わせて見る。
「似合うんじゃない? 可愛いよ」
「な、あ、かわっ? えっ?」
不意打ちだったため、拒否する暇もなく髪飾りをマロウにつけることが出来た。
彼女は目を白黒させて俺を見上げ、一気に怒りで顔を赤く染める。
「馬鹿!」
「ごっ」
本気で拳を腹に入れられた。視界が明滅したと思ったら、膝に痛み。自覚無く膝を突いていた。目の前に石畳とマロウの革靴が見える。
マロウは髪飾りを戻して、帽子をまたすっぽりと被っている。
「じゃあ、こっちはどう?」
今度は簪を取って、帽子がずいぶんずり上がっている後頭部に挿してみる。ちょっと不恰好だ。たじろぐマロウを無視して髪を束ねて持ち上げて、挿し直した。
「ほら、可愛いよ」
「だから、やめてってば! そういうの!」
「どれか気に入ったのがあったら買うけど」
「いらない! そんなの、私に似合わないし、こんな」
「ルヤとシータさんみたい?」
ぐ、とマロウは口をつぐんだ。
ルヤとシータさんは、村で一番オシャレ好きで、よく二人でマロウの店に入り浸っている。入り浸って、こうしてお互いに小物を合わせて遊んでいるのだ。
それがどんなに凄いことか、マロウは分かっていない。
「ねぇ、マロウ。買い物が出来るのは、客が欲しいものを見極めて、見つけられるように並べて、思う存分迷えるくらい居心地いい店を作れてるからだよ。それは、交渉で作れるものじゃないと思う」
マロウは簪を引き抜いて、それを見つめる。小さな風車がついていて、くるくると楽しそうに回っていた。
「はっきり言って、前の店より今のほうが、ずっと行きたい店だって感じるよ。それは、ルディックさんの交渉術じゃあ、絶対に作れないものじゃないかな」
すこん、と簪をもとの場所に戻して、マロウは店先の小物を眺めた。
俺も同じく店構えに目を向ける。
商品は赤系が多く、可愛らしいけど、ちょっとキツい。
「マロウが商売に一生懸命なのは知ってる。いつも全力で商売に取り組むマロウを、俺は応援してるんだからさ」
「私」
ふいにマロウが口を開いた。
「あんまり『お客』になったこと、なかったのかな」
そっと、つぶやく。
最初に合わせた羽の髪飾りを手に取って、見つめている。
「鏡、そこにあるよ」
「ん」
小物の中に埋もれるようにして置いてある鏡を示す。マロウはその前に立って、帽子を上げて、髪飾りを頭に合わせる。
鏡に映るそばかすの女の子は、控えめに、しかしとても可愛らしく笑っていた。
「じゃあ、これにする」
「分かった」
奥に分け入って、店員の女性に髪飾りの代金を支払う。渡した銅貨の一枚を俺に返して、彼女はくすりと笑った。
「彼女さん、大切にしてあげてね」
「……いえ、はい」
死ぬほど恥ずかしい。