断章 2
島裏の森は俺たちの領域だった。子どもの頃は、誰が言い出すでもなく、いつもここに集まっていた。
ただ俺が文字や算数を父さんから教わる時間が長くなるにつれて、みんな少しずつ揃うことが少なくなっていく。
同じ頃合いを見て、それぞれの家庭で教え始めるからだ。
勉強と、家業についての知識を。
「キースが学校行っちゃうんだって」
マロウが言った。木の下で、幹に寄りかかっている彼女のつむじを見下ろす。
今日は妹集中の日で、俺は早々に勉強を切り上げてきた。なのに、いつもの場所には、マロウとローレとルヤしかいない。
年上組の集まりが悪かった理由を、俺はようやく理解していた。
「学校ってことは、島を出るのか」
隣の枝に座るローレが声を投げた。マロウは見上げもせず肯定の返事をする。
木に足を掛けて立つ俺は、そういう声を聞きながら、枝を掴む手に体重を掛けて揺すっていた。木肌のざらりとした感触が手に食い込み、葉擦れの音が困ったように響く。
「島を出るって気持ちは、分かんないなあ」
根に腰かけるルヤが、不思議そうに森の枝葉を見上げた。
マロウは膝を曲げてしゃがみこむ。
「やっぱり、物知りだと、いろんなことに目が行き届くもん。島を出てでも、勉強するほうがいいんだと思うな」
マロウの父、ルディックさんは博識で、聞けば大抵のことに答えてくれる。商品について尋ねて即答する彼を見て、賢くなければ商人はできないのか、と子供心に思っていた。
ルディックさんも答えられないことはまれにある。それを父さんに聞いてみると、案外知っていたりするので侮れない。当時の俺は、医者を消毒液と包帯を持っている人のことだと思っていた。
ふぅん、と鼻を鳴らしたルヤは、膝に肘を乗せて頬杖を突く。俺の位置からは枝の影に頭が隠れた。枝の向こうでしゃべっている。
「あたしなんか、島出る暇なんかないけどなぁ。お料理で手一杯なのに」
「ルヤは料理下手だからな」
すかさずローレが茶化した。
「なにおう! 確かに今は焦がして崩れるばっかだけど……すぐ覚えて、た、た、食べさせてやるんだからね!」
ルヤは立ち上がって、ローレを指さして怒鳴った。
「まずかったら金なんか払わないからなー」
「ふん!」
ルヤは、揶揄するように笑うローレから、顔を逸らしてそっぽを向く。その口許は緩んでいた。
マロウが木から離れ、振り返り俺たちを見上げる。
「二人は学校行くつもりある?」
ちらりとローレは俺を振り向いた。
「ないよな」
「ないよ」
うん、とうなずく。
学校なんて行かない。俺たちは行く必要がない。
ローレは握りこぶしで断言する。
「学校なんて行く暇はないね。なんせ俺たちは、遊民になるんだからな!」
「最高の遊民になって、世界中の島を残らず回るんだ」
マロウはしらけた顔をした。
「ふーん」
「なんだよ! 見てろ、今に母ちゃんみたいな立派な飛翔機乗りになって、世界を股にかけるんだからな!」
ローレは腕を振り上げてわめくように叫ぶ。俺は空を見上げた。
枝葉の隙間から見える空は、黒く濁った雲がよぎっている。
「わ。雨降りそうだ」
俺が言ったと同時に雲が掛かり、森がすとんと暗くなった。
わあっ、とみんなで声をあげて、慌てて逃げ出す。
木の股から飛び降り、ふわり、と浮遊感が足先から腰や背中を撫で上げる。どしん、と柔らかい土に落ちても、足と膝に衝撃が来る。この感覚は好きだった。
避難もむなしく、村まで戻る前に雨が降り出してしまった。一番近い宿に駆け込む。
「これじゃあ、外で遊べないな」
ローレが窓を見上げて呟いた。母さんからタオルが配られ、雨に濡れた体を拭いている。
チゼがふわりと現れる。窓の外とチゼとを見比べて、空を計る。
「でも夜には止みそうだね。明日はみんなで遊ぼう」
うん、そうだな、いいよ、と声が返り、なんの疑問も抱かずにうなずいた。
俺はなにも分かっていなかった。