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10 意志

 胸に、飛翔機の尾翼を打ったときの恐怖が、冷やして固めた油のように凝っている。

「ファンネさん」

 気づけば俺は言っていた。

 フォウルノーズに感銘を受けた胸のうちが、震えて、熱くなって燃えている。

 ファンネさんは空に目を向けたまま、気だるげに口を開く。

「……なにさ」

「あなたの飛翔機は、俺が蘇らせます」

 ファンネさんは怪訝そうな顔をした。

 フォウルノーズの頭に火の粉がパッと舞う。

「確かに、元通りにはならないし、窯は造り直しでしょう。でも、あれだけ見事に不時着したんです。フレームは使いまわせる部分がありますし、あの程度の損傷なら焼き直しても重度は低いまま使えるはずです。だから」

 息を継いだ。

 呆気に取られる瞳に向けて、言う。

「あなたの飛翔機は、生まれ変わってまた飛べる。飛べるようにしてみせます」

 一瞬だけ、夕焼けの赤に空の青がよぎった。

 夜を塗り替えるほどの炎が、フォウルノーズから立ち上る。彼は顔を隠すように面当てに手のひらを宛がい、びくびくと肩を震わせている。

「ふ、フォウルノーズ?」

「く、っくっく、ふはっは。はぁーっはっはっは!」

 がくがくと肩を震わせたフォウルノーズは、爆発したように笑声を張り上げた。

 笑い声に合わせて炎の嵐が揺れる。熱くはないが、眩しくて目を向けられない。

 ひとしきり大笑した彼は、笑いを収めて輝きを抑える。

「いや済まぬ。ふっふ。よもや、葬送した友を救うと言われるとは、思わぬでな」

 がちゃりと鎧のこすれも心地よく、彼は片膝を突いて頭を下げた。

「少年。いやさ、リアン殿。我らが飛翔機を、頼み申した」

 改めて言われて、自分の大言に取り乱した。

「あ、いや、俺なんかじゃ、どこまで出来るか分からないけど」

「いや。あんたには機巧技師の気概を感じたよ。あんたになら託せる。あたしたちの飛翔機を、どうかよろしく頼む」

 ファンネさんにまで腰を折られて、一周回って腹が決まった。

 深呼吸して拳を握り、胸に当てる。

「全力を、尽くします」

「言われんでも分かってる。機巧技師の気概ってのは、そういうことだ」

 頭を上げたファンネさんが、気が緩んだように笑った。

 その気安い笑顔にどきりとする。こんな歳相応の柔らかな笑顔も浮かべられたのか。

 勇壮で、ときには取り殺されそうなくらいの強い笑みは、もしかしたら気を張っていたせいかもしれない。

 これは、ますます、やるしかない。

 ふわりと肩に風の玉が舞い降りた。

「チゼ?」

 目を向ければ、玉の周りから煙が、肩をほろほろと転がり落ちている。

 ほう、とばかりにフォウルノーズの顔から火の粉が吹き上がる。

「そなたがリアン殿と誓約したチゼ殿か。ふむ、主の純粋な心意気と誓約するのも分かる。透き通ったよい面構えをしておるわ」

「面? 顔が見えるんですか?」

「すまん、比喩だ」

 やっぱり顔はないらしい。

「これでも、少しショックだったんですよ。今までずっとチゼだと信じてたものが、本当は違った、なんて」

 煙を手ですくうようにしてみると、チゼは手のひらに吹き溜まり、溢れたぶんが手の周りで渦を巻く。

 これがチゼだなんて、未だに、少し信じられない。

 いや、風の玉が本体ではなかったことより、ずっと一緒で何もかも知った相棒だと思っていたチゼのことを、本当は何ひとつとして知らなかった。そのことがショックで仕方がなかった。

 声も音もないぶん、何かを隠すとは無縁な性格だ、と思っていた。けれど、本当は始めから何も分かってない。まだなにか、別の像を見ているような、騙されているような気がして、恐ろしかった。

 風の玉がくるくると渦を巻いて、ほどけるように消える。青く輝く煙だけが、そこにけぶっている。

 今の俺は、チゼを少し、恐れていた。

「……どこが違うんだ?」

「え?」

 ファンネさんは、難解な数式を眺める子どものような顔をしていた。まじまじとチゼを見つめている。

 ふいに何かに気づいたように顔を上げた。

「ん、あ、すまん鼻が。く、お、う……うぃえっくし!?」

 きゅっと目をつぶって、大きなくしゃみをした。叫びがおっさん臭い。

 フォウルノーズが大きなくしゃみに同等の笑いで応じる。

「はっはっは。主よ、夜風に当たりすぎて体が冷えたか? 我が暖めてもよいが、安易に力を使こうては村が焦土となりかねん。暖かくして布団に戻られるがよかろう」

「そんな極端な」

「微細な力加減が苦手でなぁ。全力か無かばかりだ」

 本当に極端だ。微細とは言わない。

 そんなことより、ファンネさんの首はまだ万全ではなかったはずだ。

「大丈夫ですか?」

「ん、おう。確かに冷えてきたかもな」

 ずずっと洟をすするファンネさんは、あまり首を気にする様子がない。

「首は痛みませんか? かなり大きなくしゃみでしたけど」

「へ? ああ、鞭打ちなんて、もうほとんど治ってるよ。あたしは精霊術師なんだから。ちょっと、でかいカラーで首が埋まって苦しいけどな」

「え、ええっ?」

 驚く。確かにサイズは合ってなくて、苦しそうだとは思っていたが、そこはいい。

 怪我や病気のときに、人の体内に流れる魔力は乱れる。それを整えると、痛みをほんの少し和らげ、治りもよくなるのだ。精霊術士だから、というのは、そのことだろうと思う。しかし、数週間も回復が早くなるとは聞いたことがない。

「ああ、ついでだ、外してくれないか? 自分じゃ見えなくて外せない」

「は、はい」

 ファンネさんに求められるまま、頚椎カラーに手を伸ばす。ベルトにベルトを巻くような、面倒な構造の固定具を外しながら、もう一度念を押した。

「もう首は痛まないんですよね?」

「おう、平気へいき」

 ファンネさんは、言葉通り何でもなさそうな顔をしている。たぶん本当に大丈夫なのだろう。カラーを開けて広げると、汗ばんだうなじが見えて、どきりとした。

「ん、ありがとな」

 ファンネさんは軽く言って、俺から離れて振り返った。かゆそうに手のひらでごしごしとこすりながら、嬉しそうに笑っている。

 しかし、首周りを覆っていたものがなくなったからか、寒さにぶるりと身を震わせた。

「とにかくもう、帰りましょう。風邪を引きますよ」

「そりゃ困る、さっさと帰ろう」

 ファンネさんは軽い足取りで宿に帰っていく。後を追いながら、ふと辺りを見渡した。

 夜陰が下り、港は静けさに満ちている。

 あの強烈な火精霊、フォウルノーズは、いつの間にか消えていた。

 精霊はやっぱり神出鬼没なのではないか、と思えてならない。

 なんにせよ、ファンネさんと話して気が晴れたのか、それとも魔力が見えることに慣れただけか、部屋のベッドに戻った俺は、すぐに眠りに落ちた。


 翌日、日の出とともに目が覚めた。

 結局眠りは浅く、目蓋の裏に粘ついた眠気が張り付いている。

 それでも、不思議と二度寝する気になれなかった。

 放り投げたフライトジャケットを掛けて、寝巻きから着替える。ふと目を部屋の隅に向けると、そこに泥のような魔力が滞留している。

 魔力にも色々な形状がある。土や草、血や水、そして風。活気のある場所は賑やかに、静かな場所は穏やかに魔力が流れていく。

 場所の魔力は、自然に降り積もっていくもので、なくてはならないわけじゃない。

 昨夜見た、清涼そのもののような夜空の魔力と重ねる。

 決めた。

 見るからにヘドロのようで気持ちの悪い、吹き溜まった泥魔力を、宿から掻き出そう。

 そうとなれば話は早かった。

 物置の奥にある、トングと塵取りを取る。

 これはただのトングと塵取りではない。先端に魔導石があしらわれている。魔力洗浄という、屋内の魔力を綺麗にする作業のための道具だ。

 今までは雲をつかむようにトングをかき鳴らして、創作ダンスを繰り広げるだけだったが、今はちゃんと見える。今こそ役立てるときだった。

 練習を兼ねて、真っ先に自分の部屋にある泥を駆除しにいく。

 手狭な角部屋は、寝台と窓と衣装タンス、書机に風車の置物、それとわずかばかりの飛翔機必携本を並べた小さい本棚だけでいっぱいになってしまう。

 泥魔力は、扉の影に当たる場所に溜まっていた。

 トングでつまみ、楽々と取り除く。

 楽なものだ。これだけで部屋の空気が少しよくなったような気がする。馬鹿げた仕事と思っていたが、なかなかどうして重要じゃないか。

 調子に乗って、家中の滞留魔力を取り除いたところで、思い出した。

 俺の仕事は宿の中ではない。宿の前だ。

 泥魔力を裏の排水路に流す。今まで流すフリだったのと違って、実際にちゃんと流せるのは充実感が違う。

 そんなことより玄関先の掃除だった。

 熊手のような箒で玄関の前を掃う。上を押さえておかないと、舞い上げた埃が舞い上がったままどこまでも行ってしまう。

 家の前をごそごそ掃除していると、母さんが顔を出した。

「ん? 寝坊でもしたかい? いつもより進んでないね」

 顔を上げないまま、せっせと箒を動かす。

「いや、ちょっと、余計なことしてて。すぐ終わらせるよ」

「ならいいんだけどね。今日はお客様が来るから、しっかり頼むよ」

「マジかよ珍しい」

「余計なこと言わない」

「はい」

 黙々と動かす。

 他の仕事をせずに機巧工房に通わせてもらっているので、役割くらいは果たさなければいけない。それが親方の元で修行する条件だった。

 いつもより日が高くなってから、塵取り……今度は魔導石のついてない平凡な塵取りに、目立つゴミをしまい込む。

「よう」

 声を掛けられて振り返ってみれば、そこにファンネさんが顔を覗かせていた。

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