表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

犯人は誰だ

作者: だんご
掲載日:2026/03/26



 鍵のかかった部屋の中で、男が死んでいた。


 堀川洋一。四十二歳。仰向けに倒れたその体は、まるで眠っているかのように静かだった。ただ一点、こめかみに残された鈍い傷痕だけが、これが穏やかな死ではないことを物語っている。


 最初に声を上げたのは、秋山だった。


「嘘だろ……堀川さん……!」


 秋山の叫びに引かれるように、三人が部屋の入口に集まった。


 俺——水島修一は、倒れた堀川の顔を見下ろしながら、静かに息を吐いた。


「……殺人、だな」


 自分の声が、思ったより平坦に聞こえた。


-----


 状況を整理しよう。


 ここは堀川が所有する別荘のリビングだ。扉は内側から施錠されていた。鍵は堀川のポケットに入ったままで、合鍵は管理人が預かっている。窓はすべて閉まっており、外側からの侵入は不可能。完全な密室だった。


 別荘にいるのは四人。


 秋山拓也——堀川の元ビジネスパートナー。半年前に金銭トラブルで決裂し、今も揉めている。動機は十分にある。


 神崎玲子——堀川の秘書。最後に堀川と話していたのは彼女だ。夕食前に、書斎で何かを相談していたらしい。


 村瀬健吾——堀川の大学時代の同期。今回の集まりに急遽参加した。理由は曖昧で、「久しぶりに会いたかっただけ」と言っている。表情が読めない。


 そして俺、水島修一。堀川とは十年来の付き合いだ。


 誰も警察を呼べない。別荘は山の中にあり、嵐で通信も道路も断たれている。少なくとも今夜は、この四人だけの世界だ。


-----


「落ち着こう」


 俺は三人に向き直った。


「パニックになっても仕方がない。状況を整理して、何が起きたのかを把握しよう」


 秋山は顔を青くしたまま壁に背をもたせていた。神崎はソファに座り、両手を膝の上で固く組んでいる。村瀬だけが、腕を組んで窓の外の雨を見ていた。


「順番に話そう。まず、今夜の行動を一人ずつ確認したい」


 俺がそう言うと、三人は不安そうに顔を見合わせたが、やがて小さく頷いた。


-----


 最初に口を開いたのは秋山だった。


「……俺は夕食のあと、二階の客室にいた。本を読んでたんだ。堀川とは……正直、顔を合わせたくなかった」


「金の件か」


「ああ。でも、殺すなんて——そんなことはしてない」


 秋山の声は震えていた。怒りではなく、恐怖の震えだった。動機はある。だが、この動揺は演技には見えない。


「夕食後、堀川と話したか?」


「一言も。部屋に戻って、それきりだ」


 俺は頷いた。


-----


 次に、神崎が静かに話し始めた。


「夕食前に、堀川さんと書斎でお話ししました。来月のスケジュールの確認です。三十分ほどで終わって、私はキッチンで夕食の準備を手伝いました」


「夕食後は?」


「リビングで少し本を読んでから、自室に戻りました。九時半頃だったと思います」


「その時、堀川さんは?」


「まだリビングにいらっしゃいました。お酒を飲んでいて——その時、まだ生きていたはずです」


 九時半。夕食が終わったのが八時過ぎだから、およそ一時間半。その間に堀川は一人でリビングに残り、そして死んだ。


「生きていた、か」


 俺は呟いた。


-----


 最後に、村瀬が口を開いた。


「俺は……正直、よく覚えてない」


「覚えてない?」


「飲みすぎたんだ。夕食のワインが効いて、途中からぼんやりしてた。気がついたら自分の部屋のベッドにいた」


「何時に部屋に戻った?」


「……分からない。九時か、九時半か。時計を見てなかった」


 場の空気が不安定に揺れた。秋山が村瀬を睨み、神崎が目を伏せる。曖昧な証言は、疑惑を招く。


 だが、村瀬の目は据わっていた。嘘をついている目ではない。本当に覚えていないのだろう。


-----


「死因は側頭部への打撲だ」


 俺はそう言って、堀川の傍にしゃがみ込んだ。


「一撃。かなり強い力で打たれている。即死に近かったはずだ」


 秋山が顔をしかめた。


「……そこまで分かるのか?」


「傷の深さと、出血の量を見ればな。倒れた姿勢からして、正面から打たれたんじゃない。斜め後ろ——背後から近づいて、右側のこめかみを狙っている」


 言ってから、自分の口が滑らかすぎることに気づいた。


 だが三人は、俺の言葉に疑いを持たなかった。こういう場面では、自信を持って話す人間が主導権を握る。それだけの話だ。


-----


 俺は暖炉の前に立ち、三人の証言を整理した。


「まとめよう。夕食後、秋山は二階の自室。神崎さんは九時半までリビングにいて、その後自室。村瀬は記憶が曖昧だが、九時から九時半の間に自室へ戻った」


 指を一本ずつ立てる。


「堀川は九時半の時点でまだリビングにいた。これは神崎さんの証言で確認できる。つまり犯行は九時半以降だ」


「外部犯の可能性は?」


 秋山が聞いた。


「ない。窓も扉も施錠されていた。犯人はこの中にいる」


 沈黙が落ちた。四人の視線が、互いの間を泳ぐ。


-----


「待ってくれ」


 俺は神崎に向き直った。


「神崎さん。九時半にリビングを出た時、堀川はお酒を飲んでいたと言ったな」


「はい」


「グラスは何杯目だった?」


「……三杯目か、四杯目だったと思います」


「テーブルの上のグラスを見てくれ」


 神崎が振り返る。テーブルの上には、ワイングラスが一つ。中身はほぼ空だった。


「一つしかない」


「そうだ。三杯も四杯も飲んでいたなら、ボトルが近くにあるはずだ。だがボトルはキッチンのカウンターにある。つまり——」


「……誰かが片付けた?」


 秋山が呟いた。


「堀川が自分で片付けたとは考えにくい。飲みかけのグラスを残して、わざわざボトルだけ戻すか?」


 俺は神崎を見た。


「九時半以降に、誰かがこの部屋に入った。ボトルを動かした人物がいる。それは堀川を殺した人物と同一の可能性が高い」


 神崎の顔が強張った。


「私じゃありません。部屋を出てから、一度もここには来ていません」


-----


「じゃあ、村瀬。お前だ」


 俺は村瀬に目を向けた。


「記憶がないと言ったな。だが、お前が部屋に戻った時間が九時半頃だとすると、ちょうど神崎さんが出た直後になる。お前がリビングに立ち寄った可能性は十分にある」


 村瀬が眉を寄せた。


「……覚えてない、と言っただろう」


「覚えていないことと、やっていないことは違う」


 場の空気が張り詰めた。秋山が一歩後ずさり、神崎が息を呑む。村瀬は黙ったまま、俺を見ていた。


「時間的に考えて、お前が一番怪しい。九時半以降にリビングにいた可能性があり、記憶がないという証言は——」


「水島」


 村瀬が、低い声で遮った。


「お前、さっき言ったよな。『斜め後ろから、右側のこめかみを狙っている』と」


「……ああ」


「なんで”狙っている”なんだ?」


 静寂。


「傷を見ただけで、“狙った”とまで分かるのか。たまたま当たった可能性だってあるだろう。なのにお前は——最初から”狙撃点”を知っているみたいに話してた」


-----


 心臓が一拍、重く跳ねた。


 俺は村瀬の目を見返した。その目は、酔った男のものではなかった。


「……推測だよ。傷の形状から判断しただけだ」


「もう一つ聞いていいか」


 村瀬は腕を組んだまま、一歩近づいた。


「凶器はどこだ?」


「まだ見つかっていない」


「ああ。見つかっていない。でもお前は、さっきから一度も凶器を探そうとしていない。普通、真っ先に探すだろう。死因が打撲だと言ったのもお前だ。なのに——凶器の捜索を誰にも指示していない」


「それは——」


「まるで、凶器がどこにあるか知っているみたいだな」


 秋山と神崎が、ゆっくりと俺を見た。


 三対の目が、俺に向けられていた。


-----


「おかしいな」


 俺は呟いた。自分でも、その声が誰のものか分からなかった。


「こんなはずじゃ——」


 言葉が途切れた。


 続きを言えば、すべてが終わる。俺はそれを知っていた。だから唇を噛み、黙った。


 だが、もう遅かった。


 村瀬の目が、静かに俺を射抜いていた。秋山は壁に手をついたまま動けない。神崎は膝の上の拳を震わせている。


 誰も、何も言わなかった。


 言葉は必要なかった。


-----


 暖炉の火が、ぱちりと小さく爆ぜた。


 リビングに沈黙が満ちる。雨の音だけが、窓の外で途切れなく続いていた。


 俺は三人の顔を順に見渡した。


 秋山の怯え。神崎の強張り。村瀬の、あの静かな確信。


 ——全部、計画通りだったはずなのに。


 堀川が最後にグラスを置く時間も。神崎が部屋を出るタイミングも。村瀬が酔い潰れるはずだった酒の量も。


 たった一つ——村瀬が、思ったより酒に強かったこと。


 それだけで、すべてが狂った。


 俺は目を閉じた。暖炉の熱が頬に触れる。


 雨は、まだ止みそうにない。


-----


*了*

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ