表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

離婚を切り出したら私に不干渉だったはずの夫が激甘に豹変しました

作者: 雨宮羽那


「だからね……私、あの人と離婚しようと思うの」


 柔らかな日差しが差し込む昼下がり。

 私――リディア・エヴァンスは、客間の窓辺でともに紅茶を囲んでいた義妹のキャシーにぽつりとこぼした。


「お、お義姉様、お兄様と何かありましたの……?」


「何かあった、というか……。何もないのよ。あなたも知っているでしょう?」


 何かあったのか、と問われても返しに困ってしまう。

 それくらい、何も無いのだ。本当に。


 日頃の接触といえば、せいぜいが朝に仕事へ向かう夫を見送るくらいのこと。

 それ以外は何も無い。喧嘩も、他愛のない会話も、何一つ。


「まぁ……察するものはありますわ。お兄様って、いつもお仕事ばかりですものね」


「……そうね」


 私の夫、レナード・エヴァンスはいわゆるエリートだ。

 エヴァンス家は古くから国を支えてきた公爵家の一つで、指折りの名家。

 レナード様はその長男で、将来公爵家を背負って立たれる立場である。

 おまけに、27歳という若さでありながら、この国の宰相を務める有能な人だ。

 

 ……つまり、とても忙しい方なのだ。


 朝早くに屋敷を出てしまえば、夜遅くまで帰ってこない。なんなら1週間……いや、半月ほど帰ってこない時もある。

 

「でも、あんな仕事人間でも、お義姉様のことちゃんと気にかけてると思いますわよ?」


「……そうかしら。挨拶くらいはしてくれるけれど」


 逆に言えば挨拶くらいしか接点がない。


「だってお兄様ったら、お義姉様と結婚する前は完全に王城の執務室(職場)に寝泊まりするような人間でしたのよ? 帰ってくるだけ進歩ですわ! うちの両親も、お義姉様には感謝しておりますの!」


 キャシーは満面の笑みで語る。

 けれど私は曖昧な笑みを浮かべるしか無かった。

 

 (そもそも私とレナード様が不釣り合いなのよね)


 私とレナード様の結婚は政略結婚のようなものだ。

 

 私の生まれであるハーヴィン伯爵家は、麦の生産で有名な領地だ。父は自ら農地へ降り立ち、民とともに畑を耕すような人だった。

 そのため、私も幼い頃から麦の生育を見守り、収穫の手伝いをしてきた。

 しかし6年前、例年にない凶作に見舞われた。

 領民総出で農地の改善に力を尽くしたものの、改善の見込みはなく、ハーヴィン伯爵領はあっという間に赤字となった。

 そこを救ってくださったのが、当時宰相に就任したばかりのレナード様だった。


 レナード様は、麦の生産が安定するまでハーヴィン伯爵家へ援助をし続けてくださった。

 何か礼をしたいと言う父に、レナード様は何を思ったのか、私との結婚を申し出たのである。


 (……当然、私に拒否権なんてあるわけないわよね)


 父も母も、大喜びで申し出を受け入れた。

 レナード様は、ハーヴィン伯爵家にとって恩人だ。

 私だって別に、レナード様との結婚に不満があるわけではない。

 ただ、漠然とした不安のようなものが、私の胸の奥底にあるのだ。


 15の時に結婚したから、あれからもう5年が経つ。


「……でも私って、レナード様の好みのタイプではないんじゃない?」


 それは独り言のように、私の口からこぼれ落ちた。


 だって、私たちの間には何もないのだ。

 夫婦らしいことが何も。


 (まともに一緒に眠りについた日なんて、結婚式の夜くらいだわ)


 それもただの添い寝で終わった。

 なんなら、翌日私が目を覚ました時には、レナード様は既にベッドにいなかった。


 その後の5年間も似たようなものだ。

 私が眠る時にはまだレナード様は帰っていないし、私が目を覚ました時にはレナード様は出発の準備をしているか、そもそもいない。


 (忙しいのもあるんだろうけど、5年も何もないなんて、私には女としての魅力がないってことよね?)


 せめてもの救いは、キャシーだけではなく義両親とも仲が良く、子供を急かされていないことくらいだろう。

 だが、いずれ必要になってくる。

 レナード様は宰相でありながら、公爵家の長男でもあるのだから。

  跡継ぎは必要不可欠だ。

 それはレナード様だってわかっているはず。

 

 (……ここまで手を出されないってことは、やっぱり私はレナード様の好みじゃないのね)


 最初は、年の差があるせいかと思っていた。

 私とレナード様は7歳も離れているから、大人扱いされないのだと。

 年数を重ねて大人になれば、変わるかもしれないと。


 だけれど、5年経っても何も変わらない。

 そうして私は察したのだ。


 自分の容姿は、レナード様の好みじゃないのだろうと。


 (何を思って結婚を申し込んできたのかしらね。自分好みに成長すると思っていたら違いましたって感じ? ごめんなさいね、平凡童顔な田舎娘のままで)


 自虐的に考えながらも、『田舎娘』という形容がいやにしっくりきてしまった。

 

 麦の穂色の髪に、かかしのような細い手足。おまけに小柄な童顔。

 伯爵家の生まれでこそあるが、きらびやかなドレスを着て社交界へ繰り出すよりも、庭で花壇や菜園をいじっている方が私には心躍る。

 

 こんな『田舎娘』のままの私よりも、美しく着飾った大人びた女性のほうがレナード様の好みなのではないだろうか。


 (きっとレナード様にとって、私は妹みたいな存在なんだわ)


 今私の隣にいる彼の実妹のキャシーの方が、ずっと大人びて見える。

 

 (私はレナード様の隣に似合わない)


 結婚したばかりの頃、レナード様の妻として社交のお供をしたことが数度あった。

 その時に、レナード様に好意を寄せているであろう貴族の女性陣に取り囲まれた。

 みな私よりも年上の、美しい女性ばかりだった。

 彼女たちは口々に私へ言った。

「なんであんたみたいな小娘がレナード様と結婚したのよ」と。


 その一件以来、レナード様が私を社交の場へ誘ってくることはなくなった。

 私を連れて歩くのが恥ずかしくなったのかもしれない。

 

 (彼女たちの方が、お似合いだわ)


 レナード様は、すらりとした体躯に銀の髪が映える美男子だ。

 落ち着いた濃紺の瞳は知的で、振る舞いも丁寧。

 彼が貴族のご令嬢方から人気なのもうなずけた。


 きっとレナード様は、かつての私が可哀想だったから、結婚を申し出てくれたのだろう。

 だったら、もう十分だ。

 レナード様とたいして関われはしなかったが、平和な5年間だった。

 彼は良くも悪くも私を放任してくれたから好きに庭いじりができたし、何不自由なく暮らさせてもらった。

 十分、幸せにしてもらった。

 そろそろレナード様を解放してあげるべきだろう。

 

「やっぱり私……離婚を申し出てみるわ」

 

「……お義姉様、思いとどまってくださいまし、と言いたいところですが……。意思が固そうですわね」


 私の様子に、キャシーが心配そうに眉根を寄せてこちらを見ていた。

 それから一つ息をつくと、キャシーはポケットの中からあるものを取り出した。


「これを、お兄様に飲ませてやってくださいな」


 そういいながら、キャシーは私の手にそれを押し付けてくる。

 渡されたそれは、小さな香水瓶のような見た目をしていた。

 透明なガラスの中、淡い色をした液体が揺らめいている。


「これは?」

 

「今、社交界で流行っている薬なんですの。お兄様に使うべきと思って極秘裏に入手したのですけど……まさにグッドタイミングというやつでしたわね」


 キャシーはどこか得意げな様子で、口元はすっかり弧の形を描いていた。

 その瞳には、何かを企んでいるような……いたずらっぽい光が宿っているように思えた。


「きっと、とっても素敵なお兄様が見られますわ」


 キャシーの言葉に、私は思わず手元の瓶を見つめ直す。

 淡い液体が、光を受けて揺れている。


 ……素敵なレナード様、なんて。想像できない。

 あの人はいつも、真っ直ぐに仕事へ向かうだけだ。

 

「怪しい薬じゃないでしょうね……?」


 訝しむ私に、キャシーは取り繕うように笑った。

 

「り、リラックス効果がある薬なんですの! ちょっとだけ……ほんのちょーっとだけ、本音がぽろっと出ちゃうかも、ですけど!!」


 ……怪しい。

 非常に、怪しい。


 ……怪しみながらも私は、その薬を突き返すことができなかったのだ。



 ◇◇◇◇◇◇



 キャシーと話した日から3日。

 相も変わらず仕事で忙しいレナード様との話し合いの場は、朝の見送りの際にどうにか取り付けた。


 今日がその約束の日だ。

 私は書斎で、レナード様が戻ってくるのを待っていた。

 窓の外はすっかり暗くなり、夜の帳が静かに降りている。

 私はソファに座ったまま、ちらりと壁にかけられた時計へ視線を向けた。


 (……そろそろ、レナード様と約束した時間ね)

 

 私は握りこんでいた手のひらをそっと開いた。

 そこには、先日キャシーから渡された小瓶がある。

 部屋の明かりに照らされて、小瓶の中で液体がきらめいていた。

 ……まるで、私を誘っているかのように。


 (……使っても、いいかしら)


 無断で人に薬を飲ませるなんて、いけないことだとわかっている。

 けれど、「この薬を飲めば、ほんの少し本音が出ちゃうかも」というキャシーの言葉にどうしても心惹かれてしまった。

 ほんの少しでいい、レナード様の本音を知りたいと思ってしまったのだ。


 (だって、あの人が私に考えていることを伝えてくれたことなんてないんだもの)


 レナード様はいつだって仕事最優先で、私を振り返ることなく屋敷を出ていく。

 せめて、これが最後になるかもしれないなら、夫と本音で話したいではないか。


 そんなことを考えていると、書斎の扉が不意に開かれた。

 私は慌てて小瓶を手のひらの中に握り込む。

 

「すみません、少し遅れました」


 屋敷に戻って真っ先に書斎へ向かってきてくれたのだろうか。

 レナード様は、外套を脱ぎながら部屋へと入ってきた。

 レナード様の銀の髪が珍しくも乱れている。だが整った顔立ちは普段どおり無表情なもので、感情の読めない瞳が私を見ていた。


「それで、話というのはなんですか。リディア」


 私の向かいへと腰を下ろしたレナード様の声は、いつもの変わらない落ち着いた調子だった。

 彼は妻である私に対しても、丁寧な口調と対応を崩さない。

 

 いつもと変わらない……はずなのに緊張してしまうのは、別れ話を切り出すという不安と、私の手の中にある小瓶のせいだろう。

 自分の表情が強ばっていることを自覚しながらも、私は静かに口を開いた。


「……少しお待ちいただけますか。紅茶をお淹れいたします」


 言いながら、私は書斎の隅に控えていた使用人へ目配せをする。

 私の目線を受けて使用人は一礼をすると、静かに部屋を出ていった。ほどなくしてポットとティーカップが乗ったワゴンが運ばれてくる。

 使用人が紅茶を注ごうとしたその瞬間、私はそっと手を伸ばしてそれを制した。

 

「私が淹れますから、あとは下がってもらって大丈夫です」


 使用人が去っていくのを見届けてから、私はレナード様に背を向けて、ポットを手に取った。

 

 深い琥珀色の液体が、ゆっくりとカップへ注がれていく。

 カップに紅茶が満ちていくほどに、私の鼓動の速さも増していくような気がした。

 ポットの持ち手を握る手には、小瓶を隠し持ったままなのだ。


 (ほんの、一滴だけ)


 紅茶を注ぎ終わったあと、私はそっと小瓶の蓋を開けた。

 そして、紅茶の中へ淡い液体を一滴だけ垂らす。

 液体は雫のように落ち、揺らめきながら紅茶へと溶けていった。


 (レナード様、ごめんなさい)


「どうぞ」


 罪悪感を抱えながらも、私はティーカップをローテーブルへ置いた。


「君に紅茶を入れてもらうなんて初めてですね。いや、良く考えれば、こうして二人でゆっくり話すこと自体初めてか……」


 (確かにそれもそうね)


 そんな初めての場面で私が切り出そうとしているのは別れ話なのだが。


 私はレナード様の向かいに腰を下ろすと、真っ直ぐにレナード様へ視線を向けた。

 

「……レナード様。私と、離婚してください」


 私がその一言を告げた瞬間、空気が止まったように思えた。


「……は……?」


 レナード様は瞬きを忘れたかのように、濃紺の瞳を開いたまま、ぽかんとしている。

 しかしすぐに我に返ったのか、ごくりと唾を飲み込んだ。

 レナード様も私を真っ直ぐに見返してくる。


「なぜですか。君には不自由をさせないようにしてきたつもりです。何か問題でもありましたか」


「ち、違います……!」


 レナード様の言葉に、私は思わず首を横へ振った。

 どちらかといえば、問題があるなら私のほうだ。


「私は、レナード様には不釣り合いです。本来でしたら身の丈に合わないほど、幸せな思いをさせて頂きました」


 私は伯爵家出身だ。公爵家の嫡男で一国の宰相閣下でもあるレナード様と結婚できるなんて、夢物語のようなもの。

 結婚を申し出て貰えただけでも、十分すぎるほどの幸運だ。

 この5年間、私自身に興味をもっていただけなかったが、私の生活はずいぶんと尊重してもらった。


「だから、レナード様には……釣り合いの取れた素敵な方と残りの人生を添い遂げていただきたいのです」


「……っ!!」


 言い終えた瞬間、がたりと音を立ててテーブルが揺れた。

 驚いて視線を下げれば、レナード様がテーブルの上でグッと拳を握りこんでいる。

 その表情には、怒りとも焦りともつかない感情が浮かんで見えた。


 (怒っている……?)


 分からない。

 だって私は、レナード様のこんな慌てたような顔を初めて見たのだから。


「……音を立ててすみません、一度落ち着きます」

 

 レナード様は息を吐きながらそう言うと、いまだ手つかずだった紅茶に手を伸ばした。


 (……あ)


 こくり、と。

 レナード様の口に含まれた紅茶が、ゆっくりと喉をおりていく様が目に映る。


「……リディア」


 ティーカップをソーサーの上に戻したレナード様は、ふと私の方を見た。


 なんだかレナード様の瞳に宿る色が、いつもと違う気がする。

 熱に浮かされたように、どことなくぼんやりとしている。それでも瞳の奥には、確かな意志のようなものが宿っていた。


「釣り合いが取れているかどうかなど、どうでもいいことです。私がそばにいて欲しいのは君だけだ」


「……っ!?」


 レナード様の言葉は恐らく薬のせいだと言うのに、思わず動揺して肩を跳ね上げてしまう。

 だが次に放たれたセリフに、私はすっかり言葉を失ってしまった。


「だから、どうか離婚だなんて言わないでください。私のスイートハニーは君だけなんです」


「………………はい?」


 (…………なんて??)


 今なんて言った?

『私のスイートハニー』?

 いつものレナード様からは到底かけ離れた単語が聞こえてきたような気がする……。


 (聞き間違い――)


「君に捨てられたら私は仕事も手につかず、一生を泣き暮らすでしょう。この世界で一番美しく可憐なマイスイートハニー……」


 (――じゃない)


 レナード様は平然とした……至極真面目な様子で、普通では考えられないセリフを吐いている。


 (何言ってるのこの人)


「で、ですが私よりも、以前社交の場にお供したときにお会いしたような、華やかな貴族の女性の方がいいのではありませんか?」


「あんな化粧を塗りたくったけばけばしい女性たちなど、近づきたくもない……。その上、私のリディアを取り囲んで詰問するなど品性の欠片もない」


 (私のリディア…………!?)


 もしかして、それ以降レナード様が私を社交の場に誘ってこなくなったのはそれが原因か。


 レナード様はテーブル越しに、私へと手を伸ばした。

 膝の上で(色んな意味で)震えていた私の手を、そっと握ってくる。


「リディア、君は私の人生の道しるべなんです。君がいるから仕事にも熱が入る。早く帰ってリディアの寝顔を見たいと常に思っているのに、現実は上手くいかないんです。許してほしい」


 いつものレナード様は、きりっとした聡明な男性だ。言葉遣いも仕草も丁寧で、真っ直ぐ。浮ついた言葉など口にしない。

 今のレナード様とは方向性が違う。

 

 (ほんとに誰なのこの人。レナード様の本音がコレだっていうわけ……?)


 混乱しきっている私の頭に浮かんでいたのは、先日のキャシーの言葉だった。

 薬を渡してきた時、キャシーは私に言った。

『ほんのちょーっとだけ、本音がぽろっと出ちゃうかも』と。

 

 (……キャシー、これ本当に『ほんのちょっと』なの? 嘘でしょ? そもそもこれが本音なの?)


「君の寝顔を見ないと私は眠りにつけないし、君の声で見送って貰わないと仕事を頑張れない。リディア、君の存在は何よりも澄んだ清らかなもので、私の疲れをすべて洗い流してくれるんです」


 レナード様はうっとりと私を見つめてくる。

 対する私の顔は、完全に引きつってしまっていた。


 (助けて。いつものレナード様を返して)


 レナード様の言葉の内容が嬉しくないわけではない。

 だが、『誰ですかあなた』という感想が強すぎて、心が受け入れを拒否している。


「私はかつて、領民と共に小麦畑で作業をする君に心を奪われました。あの日、私は君に一生を尽くすと決めたんだ」


「……っ」


 けれどレナード様のその言葉に、私ははっとしてしまった。

 レナード様の今の様子は、確かに薬のせいなのだろう。

 でもそれは、嘘やでまかせを並べ立てているわけではない。


 告げられている言葉は真実ではあるのだと、何故かそう思えてしまった。

 

「私のかわいいリディア……。どうか、どうか、私を見捨てないでください」


 レナード様は、縋り付くように私の手を両手で握りしめてくる。

 そして、濃紺の瞳を潤ませながら私を見上げてきた。


 (~~~~っ!)


 悲鳴が上手く言葉にならない。

 私の顔はなぜだか燃えるように熱かった。

 こんなレナード様の状態を見せられて、見捨てられるわけがないではないか。



 ◇◇◇◇◇◇


 

 小一時間甘いセリフを吐き出すだけ吐き出したあと。

 ようやく正気に戻ったレナード様は、すっかり頭を抱えていた。


「……リディア、私に何を盛りましたか。怒らないので白状なさい」


 それは怒る人の前振りではなかろうか。

 とはいえ嘘をつくわけにもいかず、私は諦めて口を開いた。

 

「……ごめんなさい。実は――」


 

「なるほど……そういう事でしたか……。たしかに最近、貴族たちの間で妙な薬が流行っていましたね」


 私から一通りの事情を聞いたレナード様は、深々とため息をついたあと、苦々しげに舌打ちをした。


「好きな人の前では、かっこつけていたかったのに……。キャシーのやつ、余計なことを……」


 言いながら、ぐしゃりと銀の前髪を片手でかきあげる。

 私はレナード様の言葉に、思わず目を見開いてしまった。


 (……好きな人)


 もう、薬の効果は切れているはずだ。

 もしやまだ、薬の余韻が残っているのだろうか。それとも吹っ切れてしまったのか。

 レナード様の声には、どこか甘さが滲んでいる気がした。


「リディア、さっきの私の醜態は忘れてくださると助かります」


 レナード様はバツが悪そうに視線を逸らしている。


「……忘れないとダメでしょうか」


 咄嗟に私の口から出たのは、甘い面影を引き止めるような言葉だった。

 どうしてか、この夜の出来事を無かったことにはしたくなかったのだ。


 私の返答に、レナード様は困ったように眉を下げている。

 

「……ダメといいますか、私が忘れて欲しいといいますか……」


「もし、先ほどのレナード様のお言葉が嘘なのでしたら、忘れます」


 私はレナード様の言葉を遮るようにして続けた。

 自分の声が震えているのが分かる。

 薬のせいとはいえレナード様が私へ初めて踏み込んだのと同じように、私からレナード様へ踏み込むのも初めてなのだから。


「……どうして」


「……嬉しかったからです」


 問い返してくるレナード様に、私はぎこちなくも微笑みを向けた。

 

「……嘘ではありません。……嘘なわけ、ないじゃないですか」

 

 レナード様の声は、今にも泣き出しそうに震えていた。

 

 こうして私たち夫婦は、結婚5年目にして、ようやく夫婦としての第一歩を踏み出したのだ。


 

 その翌日、キャシーが我が屋敷へ呼び出され、レナード様からこっぴどく叱られていたのは言うまでもない。

 

 なお、後日――社交界では妙な薬の騒動が話題となり、宰相閣下の命令によってその薬は正式に禁止されることとなった。


 

 

少しでも笑っていただけましたら幸いです!


ブクマ ☆☆☆☆☆ など、ぽちっと押していただけましたらとても励みになります!

よければよろしくお願いします(_ _*))


最後までお付き合いくださりありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
望んで手に入れたけど、手は出さず愛も囁かず5年放置か それなりに恋しててもとっくに冷めるレベルなのでは? 姑とかに世継ぎせっつかれたり社交とかで石女と言われたりしそうだなぁ よくある3年経てば白い結婚…
面白かったデス♪ ハピエン最高(*`ω´)b 妹チャンを叱る前にちゃんと 2人の話し合う時間も作らないとね (* ̄m ̄)プッ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ