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52.明日まで導いてくれた人へ

 祭りの前日。街じゅうがどこかそわそわしていて、広場の方からは木箱を運ぶ音や、布を張る掛け声が風に混じって届いてくる。

 マルタの宿の厨房では、ちょうどティアが焼き上げたパンをオーブンからそっと取り出したところだった。こんがりと色づいた表面が、ぱちぱちと小さく鳴っている。


 診療所の仕事の片手間で試作を重ねはしたものの、結局、魔獣肉をソースと一緒に挟んだサンドイッチに落ち着いた。もう少し無難なものも考えたけれど、ありふれた材料でおいしいものは、もっと料理上手な誰かが作るだろう。

 それなら自分は祭りらしく、普段はフォークを伸ばしづらいけれど、屋台ならば勢いで挑戦できるものを。そう思って、色々な魔獣肉を集めては試作したのだった。

 その中で最終的に選んだのは、最初に作った、オレンジソースがけのもの。

 屋台でも食べやすいように、パンで挟んで――と思いついた。が、販売するだけならともかく、品評会に出すなら、パンまで自分で焼かなければいけないことをすっかり忘れていたのだ。マルタに教わりながら、一週間前から毎日捏ねた。練習で作った分は宿の朝食に使うからね、と笑ってプレッシャーをかけられた甲斐もあって、なんとか、食べて違和感のない程度にはなったとは思う。


 そこへ、両腕いっぱいに紙包みを抱えたマルタが戻ってきた。こちらはパン屋に頼んでおいた丸パンで、明日は揚げて屋台で売るらしい。

「いい匂いだね。どうだい、膨らんだ?」

 自分の焼いたパンを見せると、上達したね、と笑ってくれた。けれどつい、買ってきたばかりの包みと見比べてしまう。

「やっぱり、パン屋さんの方がおいしそう……」

「そりゃあ本職には敵わないってもんさ。でもいいじゃないか、パン屋だってパンは焼けるけど、魔獣肉のサンドは作れないよ」

 そう言って朗らかに笑い、肩を軽くたたいてくれる。励まされて、気合を入れなおした。


 作業台には、午前中から焼いていたかぼちゃの焼き菓子が並び、甘い香りが厨房に満ちている。

 数日前から少しずつ仕込んであったスパイス入りクッキーも、金属缶にしっかり詰めて棚の上に置いてあった。缶の表面は少し古びているが、光の角度で鈍く輝き、長く使われてきた宿の味方といった趣だ。

 熱気と香ばしい匂いと、どこか胸の奥がふわりとするような期待感。そんなあたたかな空気が、厨房いっぱいに満ちていた。

「お肉の仕込みは終わって、ソースも明日の朝で……ほか、何かやることありますか? クッキーを包んだりとか……」

「量り売りにするから、包まなくていいよ。パンも明日の朝に揚げるし、もうないかな」

 代わりに明日の朝は大忙しだよ、と笑いかけられる。確かに、肉を焼いて切って、味付けをしてパンに挟んで、そうだ、パンに切れ目もいれなくてはいけない。一つ二つならともかく、二十個ほどもあるから大変だ。その間にマルタも隣でどんどん揚げパンを作るのだろう。

 それを運んで設営をして――マルタの夫のエドガーも今夜に帰って来て、明日は手伝ってくれるという。そうして、朝の九時からは、祭りが始まる。

 思い浮かべると、今から落ち着かなくなるような気がした。

「緊張してきちゃった……ちょっと、出てきます」

「いってらっしゃい。これ、少し持って行ってやってくれるかい」

 一つかみのクッキーが紙にくるまれる。どこへ行くか言っていないのに、と思うと恥ずかしくなったけれど、口実として有り難く引き受けた。



 外へ出ると、午後の光が石畳に落ちていた。

 街は、いつもの賑わいに、ざわざわとした色が少し混じっている。広場へ向かう道を見遣ると、荷車が頻繁に行き交い、木箱を満載した車輪の軋む音が響いていた。飾り布の束を肩にかけた青年たちが足早に歩き、どこからか花輪の香りが漂ってくる。

 職人たちの準備はきっと、もっと大変なのだろう。アストンも、今頃は出店で並べる品を仕上げている頃に違いない。そんなことを考えると、少し胸がそわそわとした。


 広場の方から遠ざかるにつれ、景色はどんどん落ち着いていく。それでも人の歩く速さがどこかせかせかしていて、祭りがすぐそこにあることを感じさせた。

 革の匂いがふっと風に乗り、自然と足が速まる。


 アストラ・ポラリスは、秋の澄んだ光の中で、控えめに看板を揺らしていた。クッキーの包みを持ち直して、軽く息を整える。鐘を鳴らして店内に入れば、昼の光が、作業場の奥までやわらかく差し込んでいた。

 木箱の蓋が半ば開いたまま置かれ、その中には品評会に出すものらしい靴が、丁寧に詰められていた。

「こんにちは。今、入ってもいい?」

「ああ、ティア……大丈夫だ」

 作業机の前で顔を上げたアストンの手元には、紙と小瓶のインクがあった。何かを書き付けているのは珍しい。

「マルタさんの屋台で出すクッキー、味見してって渡されたの」

 手提げから小さな包みを取り出し、カウンターに置く。かぼちゃとスパイスの香りがふわりと広がり、粉砂糖が昼の日差しにきらめいた。

「ありがとう。いい匂いだな」

 アストンはやってきて、手を拭ってからクッキーをつまんだ。ほろりと落ちた小さな欠片が、エプロンの上を滑っていく。

「美味いな。ティアはもう食べたのか?」

「うん、食べ過ぎるくらい食べちゃった。クッキーだけじゃなくて、ほかにも」

「そうか。いいんじゃないか、秋は何でも美味いしな」

 それを示すように、もう一枚に手が伸ばされる。アストンはほっと息をつきながら、しみじみと続けた。

「野菜も腐らなくていいし、まとめて作り置きもできるし……」

「なんか、所帯じみたこと言ってる」

 笑うと、アストンは照れくさそうに俯いた。

「アストンは何してたの?」

「ああ……出品用のカードを書いていたんだ。品評会に出す靴の分だ」

 見せてもらった紙は、下書きのような状態が何枚も重なっていた。上の二枚までは書き損じた跡が掠れていて、そこで一発書きを諦めたらしい。その下からは鉛筆の線で丁寧に書かれていた。覗き込み、一枚ずつそっと捲っていく。


 ――「子供靴:ドンブク/婦人靴:ミルガ/紳士靴:クレイバン」

 ――「夜に三足を並べたとき、靴同士が『今日も無事に歩けたな』と互いに言葉を交わすような靴。」

 ――「魔獣革。丈夫で、適度に華美。三足で揃いにも。」


 迷走しているのが、かわいらしいほど伝わった。思わずちらりと伺えば、気まずそうに視線が逸れた。

「……苦手なんだ。頭の中では言いたいことがあるはずなのに、文字にしようとすると浮かばなくなる」

 職人らしい、硬く淡々とした文言と、たまに見せる詩のような表現が交互に混じっていて、ついふっと頬が弛んでしまう。紙の束を軽くまとめて返しながら、ふと気になって尋ねた。

「カードって、出展する人はみんな書くの?」

「ああ。制作部門は本部で展示をされるから、製品ごとに添えることになっている。それを見て、一般客と審査員が投票をするんだ」

「じゃあ、私も要るの?」

「飲食部門も要るんじゃないか。屋台のどこかに貼ってあったな」

「えっ……! 私、まだ何も書いてない」

 聞いておいてよかった。目を丸くすると、アストンは手の中で紙の束を揃えながら言った。

「俺のを見本にすればいい」

 逆効果ではないか、と思ったけれど、真面目な顔を見ると口に出しづらい。一瞬黙ってしまったのに気付いたようで、アストンは困ったように眉を寄せた。

「冗談だ。……どちらかというと、手伝ってほしい」

「もちろん。私も一緒に書いていい?」

 ひとつ頷いて、作業台から紙の束と鉛筆をまとめて持ってきてくれる。

 緑のエプロンはそのままカウンターのこちら側へ回り込み、隣の丸椅子に腰を下ろした。いつも台越しに話しているものだから、こんな風に並んで座るのは、夏の汽車以来だ。腕こそあのときのようには触れないけれど、距離が近くなるだけで、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなった。

 少しまくられた袖口からは、手首の骨ばった線がのぞいている。目を留めてしまったことがなんだか気恥ずかしくて、視線を慌てて紙に落とした。

 小さな札は、手のひらの半分ほどの大きさ。店名と商品名のほかは、書けて三、四行ほどだろうか。

「カードって、みんな何を書いてるの?」

 鉛筆の先を迷わせながら尋ねると、アストンは考えるように天井を見た。

「色々だが……だいたいは、製品の説明だな」

「こだわったところとか?」

「そうだな。あとは、特徴とか……ほかの店の製品とはここが違うというのを書いてることが多い」

 教えられてからアストンのカードを見返せば、没書きにした理由がわかった。製品に添えるのなら、見てわかる情報は省いていい。それで言うと――魔獣革というのも、アストンにとっては大切なのかもしれないが、色合いや柄の特徴は実物を見てわかる。丈夫だということが伝わればよいのではないか。

「女性靴は見た目がおしゃれだから、普段の仕事にも使えるところをアピールしたらどうかな。逆に男の人の靴は、ぱっと見てもこだわったところがわかりにくいから、ちゃんと説明した方がいいかも……?」

「家族……家族を想いながら履ける……」

「そういう感じで、まずは書き出してみたらどうかな」

 言いながら、自分も手元に書きつけていく。


 ――マルベリー宿:魔獣肉のオレンジサンド。鹿系魔獣・シスカの肉を香ばしく炙って、甘酸っぱいオレンジソースで引き締めました。クセを抑えた軽い食べ心地で、ワインにも、軽食にも。


「……私はこれでいいかも。これって絵とか描いてもいいの?」

「ああ、うん。構わないんじゃないか」

 考え込んでいたのか、アストンの反応が一拍遅れる。気になって手元を覗き込めば、少し恥ずかしそうに視線を落としてから、こちらへ紙を寄せてくれた。


 ――丈夫で、どんな道でも安心して歩ける靴。華やかさがあり、日常に彩りを添えられる。それぞれの靴は素材も色も違うが、並べれば、同じ家のものとわかる。仕事に忙しい日でも、大切な人とのつながりを感じられるように。


 思いついた言葉を書き連ねたようで、文章の繋がりこそたどたどしいけれど、伝えたいことはよくわかった。

 丈夫で、お洒落で、何より人とのあたたかな繋がりを忘れずにいられる靴。

「いいと思う。もう、カードに入るようにまとめるだけだよ」

「それが難しいんだが……もう書けたのか。早いな」

 ずっとこの街に住んでいるはずのアストンはこちらのカードを見て、なるほどこういう感じか、としみじみと呟いている。

「これで大賞目指そうかな?」

 軽く笑ってみせれば、アストンも少し笑って、いいんじゃないかと頷いた。

「ね、大賞って賞金があるんだよね。ほかにも賞があるの?」

「大賞と準大賞、それに特賞が一つ。ほかはいくつか佳作だな。賞金の額よりも……その先の仕事に繋がるのが、職人にとっては大きい」

 アストンは言いながら、そっと紙の隅を指で押さえた。その仕草に、明日へ向けた静かな意気込みが滲んでいる。

 いわく、祭りの品評会は、職人たちにとって年に一度の晴れ舞台である、と。三つの主要な賞には、それぞれ名誉だけでなく、次の道が約束されている。

 大賞なら州都での展示出展権と、名士からの特別注文。

 準大賞なら翌年の祭りの記念品の制作依頼に、組合の推薦証。

 そして特賞は、地方商館での委託販売と、組合本部での展示販売の権利――。

 どれも、職人としての未来を大きく押し広げてくれるものばかりだ。けれど、その三つを取れるのは毎年、ほんのわずかという。


「同じ人が何度も大賞を取ることってあるの?」

「どうだろう……一度大賞を取れば、その後はもう出ないんじゃないか。顰蹙を買うからな。準大賞や佳作なら、何度か名前を見る人はいるが」

 紙束を揃える指先には、微かに力が入っていた。だから努めて、明るい声を出す。今夜のアストンが、少しでも心穏やかでいられるように。

「明日、時間を見つけてサンドイッチ持って行くね。工房の出店は奥側だよね?」

 アストンは所在なく鉛筆を触りながら、小さく頷く。

 店内に差し込む陽射しが、カウンターの向こうに積み上げられた木箱の縁をやわらかく照らしていた。

「ああ。暇をしていると思うから、本当は俺の方から見に行ければいいんだが……商品を置いて離れるのは難しい。すまない」

「気にしないで。美味しそうなもの探して、差し入れするね」

 肩の力を抜かせられるようにと、努めて微笑む。アストンは靴の入った木箱を見遣り、助かる、と少し笑った。

「……夕方の発表までは、ずっと出店にいると思う」 

 淡々としていながらも、覚悟の決まった声だった。


 窓の外からは屋台に使う木材を運ぶ車輪の音がきしみ、笛の音を試しているのか、高い音がひときわ通りを抜けた。そのあとに続く、子どもたちの笑い声。

 祭り前日の街の空気が、胸の奥まで入り込んでくる。

 木箱の中には革の小物が整然と並び、布に包まれた新作の靴だけが静かに存在感を放っていた。アストンがひと針ずつ縫い込んできたものだ。 


 そろそろ帰ろうと扉へ向かいかけたとき――ティア、と、静かな呼び声が背にそっと触れた。 

 振り返ると、呼んだ声と同じように、まっすぐな瞳がこちらを見ていた。

「……明日、結果がどうであっても」

 言葉を選ぶための、短く真摯な沈黙があった。

「ここまで辿り着けたのは、ティアの助けがあったからだ。礼を言いたかった。ありがとう」

 誤魔化そうとも茶化そうともしない、真面目な声。この声を、自分は、好きになったのだと思った。胸が、ひそやかに熱を帯びる。

「……ううん。私も関われて、嬉しかったよ」

 そう言うと、自然と頬がゆるんだ。明日楽しみにしてるね、と続けると、アストンの瞳もかすかにゆるむ。

「ティアも、いい一日を」 

 祝福に似た言葉を受けて外に出ると、午後の光がふわりと肌に触れた。


 通りでは荷車が行き交い、どこかで布を張る音がしている。祭りの前日の街は忙しいのに、どこか温かい。

 小さく息を吸うと、胸の奥に灯った気持ちを確かめるように歩き出した。足取りが、ほんのわずかに軽くなっている。

 まるで、街に満ちる祭り前の光が、背中をそっと押してくれるようだった。


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