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50.おまじないクッキー

 ベネディクトは外れの村へ往診にゆくということで、診療所の仕事も午後は暇を出された。

 まだ明るい秋晴れの道を戻りながら、今日は何をしようかと巡らせる。今はあまりアストンの店へ行くのも、作業の邪魔をするようで気が引けた。


 と、いうのも――数日前、作業机の上に、今履いているのと同じ型の靴が二足、縫い掛けで置かれていたのだ。

「それって、商品になるの?」

 尋ねると、アストンは手を止めて頷いた。

「ああ、片方は品評会用だが。……まだ理想には遠いが、客に出して恥ずかしくないくらいにはなった」

「もう十分きれいだと思うけど」

「いや、まだ。……でも、手は抜いてない。今の俺にできる限りの形にはした」

 そう言って、アストンは指先で縫い目を確かめた。

「最初から思い通りのものを出せないのは歯痒いが、作りながら、着実に理想へ繋げていくしかない。……それはベルトでも、鞄でも、店にもう並べているどれでも同じことだと、やっと思い出した」

 ――だから最近、以前よりも作るのが楽しいんだ、と。

 ふっと笑う横顔が眩しくて、エプロンの緑色ばかりを見詰めてしまった。


 だから夕方までは、アストラ・ポラリスへは行かないことにした。代わりに自分の料理研究を進めてもよいし、宿の掃除をしてもいい。

 楽しい悩みに頭を悩ませつつ、足取り軽く石畳を抜けるうち、ふと立ち止まった。菓子の焼ける、甘い香りがする。

 見渡しても、パン屋はない。民家からの匂いならば残念だと思いつつ辿ると、幸いにも――と言ってよいのか、一軒の店に行き当たった。

 見覚えのある構えに、ショーウィンドウには「金運を呼ぶカップ」の札。ジョルジョの雑貨屋、もとい、金物屋であった。


 入ろうか、どうしようかと躊躇する。

 実は市場での一件――ジョルジョの仕入れた魔獣によって手傷を負った後、目が覚めた話を聞いて真っ先に飛んできたのは、彼だった。それも、せめてもの詫びの印だと言って、金の懐中時計を携えて。

 目にしたこともない高級品の登場に、もちろん焦った。丁重に断れば食い下がられたので、彼の気を済ませるため、代わりに手頃なものを頼もうとし――と、ここまではよかった。そこで、気軽に姿見を頼んでしまったのだ。

 だって、宿の部屋には小さな鏡しかなかったものだから、全身の映る鏡があればよいと思ったのだ。

 ジョルジュは二つ返事ですぐに手配をしてくれ、自分もうきうきと使っていたのだが。見かけたマルタが、言ったのだった。

「あら、いいもん貰ったね。そりゃああんだけの目に遭わされたんだから、それくらい貰わないとね」

 おそるおそる金額を聞き――三か月分の食費ほどの値を教えられ、自分の世間知らずぶりに恥ずかしくなったのが夏の話である。



 未だに若干の気まずさはあるが、彼は収穫祭の主催者の一人であるとも聞いた。ならば、いつまでも避けているよりは、この機にまた親しめる方がいいだろう。

 よし、と気合を入れ、扉を開ける。鐘の音とともに扉をくぐると、ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐった。

 奥の作業台の向こうから、ジョルジョが顔を上げる。

「おや、これはこれは、ティア嬢。よく来てくれたね」

 その声にはまだどこか申し訳なさの影が残っていたけれど、一方で、心底嬉しそうでもある。思い切って入ってよかった、とほっと胸を撫で下ろした。

「表までいい匂いがしていて。焼き菓子、売ってるんですか?」

 期待をして問いかけると、ジョルジョは樽のように丸い胸を張り、鼻を鳴らした。

「ふふん、収穫祭本部で売るクッキーの試作中でな」

「じゃあ、今はまだ売り物には……」

「ああ。だがもうじき焼き上がるぞ、よければ試食していくかね」

 いいんですか、とつい身を乗り出してしまった。収穫祭は商工組合が主催と聞いていたけれど、こうして準備をしてくれているから成り立っているのだろう。

 盛況であればいいな、と思いながら、甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

「どんなクッキーなんですか?」

 砂糖と小麦だけではない、ドライフルーツのような香りがする。奥を覗くように尋ねれば、待ってましたと言わんばかりに、店長は胸を張った。

「愛が長続きする特製クッキーだ!」

「……また、そういうのを……」

 思わず苦笑がこぼれる。惚れ薬のときも似たようなことを言っていた気がする。

「前回のは、懲りたんじゃなかったんですか?」

「いやいや、今度のはまじないの範囲だ! うまいもんを二人で分ければ、そりゃあ仲も深まるってもんだろう?」

 言いながら、少し目が泳いでいる。何の実を入れているのかは後で見せてもらうとして、まあ、そのくらいの売り文句ならばよくあるものだろうか。小さく溜め息をつきつつも、漂う香ばしさについ笑みがこぼれた。

「焼き加減がこれがまた難しくてなあ。愛は焦がしても冷ましても駄目だからの」

 二階へと続く階段の方を振り向きながら、ジョルジョがぼやく。その至極真面目な顔を見ていると、思わず笑ってしまった。こういうところは、本当に律儀なのだ。

 作業台の端に置かれた厚手の紙束には、試作ノート、と題が記されている。めくって見せてもらうと、「愛の熟成時間」と書かれた欄には、焼き時間のほかに気温や湿度まで。まるで恋の観察日記みたいだと、少しおかしくなった。


 ちょいと焼き具合を見てくるぞ、と言い残し、ジョルジョは奥へ姿を消した。その間に、ふと視線を巡らせる。店の奥の棚には、鍋や道具など、質実な金属製品がずらりと並んでいる。

 一方、手前の棚はというと――恋が実る鈴、幸運の釘、毛が生える櫛。よく言えば夢がある、悪く言えば眉唾物の品々に目を遊ばせていく。

 そのうちに、ふと視線が止まった。

 小さな真鍮の匙。丸い柄の先に花の模様が刻まれていて、光を受けてほのかに金色を返す。

 料理がおいしくできる匙、という文言も相まって、少し心を惹かれた。

「……いけない、感化されてる」

 小さく首を振ったそのとき――

「焼けたぞ!」

 奥から陽気な声が響いた。

 香ばしい匂いが、さらに一段と甘く、部屋中に満ちていく。

 皿に載せられたクッキーは、こんがりと焼けた金色をしていた。よい匂いであるし、見た目もおいしそうである。いい焼き色だろう、とジョルジョも得意げに胸を張った。

「商人は南方の果物と言っていたが、どうやら甘味と香りが強くての。愛を長持ちさせるには、これがちょうどいいと思ってな!」

 そう言って、焼きたての一枚を差し出された。


 恐る恐るかじる。

 ――たしかに、甘い。

 けれどその甘さは、蜂蜜でも砂糖でもない。妙に濃く、舌に絡みつくような甘みがいつまでも残る。歯に当たるたび、柔らかくねっとりとした果肉が抵抗する。

「……これ、恋というより――」

 口の中でもごもごと言葉を探し、思わず笑いがこみ上げた。

「――執念の味では……?」

 ジョルジョはしばし目を瞬かせ、それから腹の底から笑った。

「はっはっは、だからこそ長続きするのだよ!」

 その笑い声に、思わず吹き出してしまった。

「確かに、忘れられそうにない味です」

「当たり前だ! 一度食べたら他の味など霞むに決まっとる!」

 威勢よく言いながら、彼はまた皿をこちらへ差し出した。


 香ばしい湯気の向こうで、窓から差す陽光がやわらかく揺れている。

 恋よりも強く、けれどどこか人のあたたかさに似たその甘さを噛み締めるとつい、また笑いがこぼれてしまった。



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