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38.女同士のカフェテラス

 休みの日、ティアはソニアと街角のカフェで待ち合わせた。

 石畳に面したテラス席は、まだ夏の名残を抱えた日差しの中にある。陽射しはやわらかく、白いパラソル越しに透けて、カップの縁に淡い光を落としていた。通りには馬車の車輪がころころと音を立て、遠くの広場からはストリートオルガンの音色がかすかに届く。


 テーブルの上にはレモンの香る紅茶と、バタークリームのケーキ。ソニアは来月結婚するというので、今日は早めのお祝いも兼ねていたのだった。


「でね、お姉ちゃんの結婚式のときのワンピースを仕立て直してもらってるの」

「見るの楽しみ。絶対お祝いに行くね」

 ありがとう、とソニアは笑い、角砂糖を足すとスプーンをくるくる回した。

「で、ティアの方は?」

「え?」

「アストンくんとはどうなの?」

「最近、仕事が忙しそうかな……」

 忙しそう、とは言っても、こなさなければならない作業に追われるのとはまた違う。少し迷ってから、アストンが最近、革加工に装飾を足し始めたことを話した。どういう心境の変化があったのかはわからないけれど、試行錯誤をしながら新しいものを作ろうとしている目は楽しそうでもある。熱中すると寝食を忘れがちであることだけは心配だけれど、きっと、この忙しさはいいことなのだろう。

「へえ……でも、意外でもないかも。あのお店、昔はブローチとか売ってたんだよ」

「そうなの?」

 思わずカップから唇を離す。ソニアは懐かしそうに目を細めた。

「刺繍のブローチでね、欲しかったなあ……。もうちょっと大きくなったら、誕生日にねだろうと思ってたんだけど」

「けど?」

「奥さんが作ってたんだと思う。ぱったり、なくなっちゃって」

 言葉の端に、少しだけ寂しさが滲んだように感じた。ソニアはそれ以上言葉を重ねず、カップの縁を指でたどる。事情を察して何も言えず、ただ、木の葉の擦れる音に耳を傾けた。

 ひょっとすると、あの店の中にはまだ、そんな時間の名残があったのかもしれない。今、アストンが新しく作ろうとする何かには、過去の続きも残っているのだろうかと思った。

 沈黙をやわらげるように、ソニアがふっと笑う。

「……もしかして、今日のリボン」

「……」

 思わず手をやってしまった。触れた革の感触に、夕暮れの店内の光景がよみがえる。一瞬黙ってしまったせいで、ソニアの目が丸くなった。

「えっ、そうなの?!」

「作ったのはそうだけど、お店で売ってたのを私が買っただけ! ちゃんとお金も払ったし」

「それだけ? なんか甘酸っぱいエピソードとかないの?」

 ないよ、と反射的に言いかけた口を噤む。どうしても誰かに聞いてほしかったような、あの夕方の気恥ずかしいほどの嬉しさが手を挙げた。少し迷ってから、それでも頬が熱くなって、口元を手で隠す。

「……買ったとき、髪に留めてくれた……」

「キャー! いいじゃんいいじゃん!」

 テラスにいた小鳥がぱっと飛び立つほどの声。思わずフォークを握り直し、ケーキの端を崩した。胸の奥がむずむずとして、爪先が揺れてしまう。

「脈ありそうなのに、何で付き合ってないの? アストンくんが奥手なだけ?」

「脈がないんじゃないかなあ……」

 自分でも何を言っているのかわからなくなりながら、フォークの先で皿をつついた。ケーキの表面を少しずつ削って、形を曖昧にしていく。絶対そんなことないと思うけどなぁ、という声が顔を覗き込んでくる。

「ティアからいっちゃえば? 押しに弱そうだし、押したらいけるんじゃない?」

「でもね、今は仕事のことしか考えられない、とか言いそうじゃない……?」

「あー、そういう感じかあ……ま、逆に誰かに取られる心配もなくていいのかも?」

 大げさに肩をすくめて笑う弾みに、くるくると巻いた赤毛が揺れる。その明るさにつられて、つい口元がゆるんでしまった。

「でもデート行ったんでしょ?」

「あれは、本質的にはデートじゃないっていうか……ちょっと込み入った目的があって……」

「でも要するにデートでしょ?」

 ――デートかな。デートかも。

 ふたりで波打ち際を歩いた日の記憶が、潮の香りと一緒によみがえる。思い出すたびに胸の奥がふわりと熱くなって、慌てて紅茶を一口飲んだ。けれど、甘い香りのせいで余計に落ち着かなくなる。

「ちょっとずつデートに連れ出して、慣れさせたら? 口実考えたげるよ。……共通の知り合いの誕生日プレゼントを買いに行く! どう?」

「うーん、マルタさんは春生まれだしなぁ」

「ティアは?」

「先月……」

「えっ、おめでとう! アストンくんに何か貰った?」

「ううん、教えてない」

「えーっ、今からでも言いなよ! 絶対何かしてくれるって!」

 私も後で何かする、と勢いづいて言ってくれるものだから、つい首をすくめて笑ってしまった。

「自分から言うの、催促してるみたいじゃない?」

「素直がいちばん可愛いけどなあ」

 ふたりの笑い声が風に混じって、テラスの外までこぼれていった。


 その後も取りとめのない話が続いた。最近観た芝居のこと、街の新しい店のこと、隣の席の犬の話。話題は次々と形を変えながら、午後の光の中を転がっていった。

 紅茶はいつのまにか冷め、カップの底に沈んだレモンの輪が陽を受けてきらりと光る。皿の上のケーキはとうに姿を消して、フォークの影だけが残っていた。

 通りを渡る風がパラソルの布をふっと揺らし、遠くではオルガンの音が別の曲に変わる。明るくて、どこか名残惜しい旋律。

 気づけば、カップも皿も空になっていた。テラスの影が少し伸びて、通りを渡る人々の服に午後の金色が滲んでいる。

「もうこんな時間。楽しいとあっという間だね」

「ね。ケーキごちそうさま、おいしかった」

 ソニアは名残惜しそうに皿を見て、それから、ふと思いついたように顔を上げた。

「そうだ。アストンくんに、ここのケーキ持って行ったら? で、反応良かったら次は二人で食べに来るの! 名案じゃない?」

「おいしかったからお裾分けみたいな……? なんかあからさますぎない……?」

「いいと思うけどな。アストンくん、あんまり女子から押されたくない感じ? 俺がリードしたい、みたいな?」

 リード、したがる。アストンが。

 頭の中に浮かんだのは、仕事のときの真剣な横顔。けれど、その隣に自分を置こうとした瞬間、心臓が跳ねた。想像の中のアストンは、いつもの落ち着いた声で、けれどふっと目元をゆるめて何かを言いかけ――そこまで思い描いて、息が詰まる。

 頬の奥が熱くなり、空になったカップを意味もなく持ち上げて、視線を隠した。

「わかんないよお……」

 零れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。ソニアはいたずらっぽく笑うけれど、その目の奥に優しい光があることも、知っている。

「じゃあ、確かめてみよ」

 ぱんと手を打つ軽やかな音が、午後の空気を揺らした。

「ケーキ持って行こ。今日! 私買ってきたげる」

「えっ、今から!?」

 服を買いに連れて行ってくれたときと同じ。勢いで決めて、こちらの迷いごと連れていってくれる。

 あっという間に立ち上がったソニアは、店内へ続く扉を押し開ける。光の粒がきらめき、赤いスカートの裾がふわりと揺れた。

 やがて戻ってきた手に、包みを渡される。紙袋を抱えると、腕の中の温もりが鼓動のように伝わってきた。ソニアはその包みをぽんと叩いて、声をかける。

「がんばれ、新しい恋の配達人!」

 テラス席に響く明るい声に、小鳥がまた飛び立った。


 ソニアはいつだってこうだ。大げさに笑ってみせるけれど、こちらが一歩踏み出せるように、さりげなく風を送ってくれる。

 送り出されて通りへ踏み出すと、川を渡った涼しい風が背をやさしく押していく。振り返れば、白いパラソルの下でまだ、手を振ってくれていた。日差しに赤毛がきらりと光る。

 それに大きく手を振り返して、夏の石畳を一歩、まぶしい陽の当たる方へ飛び出した。

 いつもより足が弾んで、胸が軽い。

 腕の中には、大事な友人から貰った、勇気のかたまりがあった。

 


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