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37.採寸

 夕方。窓から射す橙色の光が、革製品の並ぶ棚を温かく照らしていた。

 アストラ・ポラリスには以前よりも飾りがずっと増えていて、髪飾り、バッグの留め具、そして細いベルトの先に小花のような造形のついたものもある。さまざまな商品は、革の種類も色も、方向性があちこちに散っていて、アストンの迷走している痕跡が見えた。それでも、どれも可憐で、逆に目移りをしてしまう。

「かわいい……! こんなにセンスよかったんだ、知らなかった」

 こちらの反応を伺うように作業台の奥から見ていた顔が、少しだけ俯く。

「……もう少し、身なりに気を配るようにする」

「えっ、いや、そういう意味じゃなくて!」

 口が滑ってしまった。普段の素朴な感じの方が安心するし、と慌てて手を振ったが、どうあがいても言い訳になってしまう。アストンは小さく息をついて、いつものカウンターの方へ寄ってきた。


「……俺の服はいいとして。売れないんだよな。反応は悪くないんだが」

 近所の婦人客や旅の人が、目を留めて褒めていく。けれど、実際に買ってはいかない。その様子を想像すると、こちらまで気が落ちるようだった。

「飾りの素材も、今は仕立て屋でいただいたものを使っていたんだが、そろそろ尽きそうなんだ。商品としてやっていくなら、ある程度の量を仕入れる必要があるから、方向性を決めないと……」

 アストンはカウンターに手をついたまま、棚を見遣っていた。奥の作業台の上には、革の断ち切れた端や、仕立て屋のリボンの切れ端が、小皿にきれいにまとめられている。真面目に悩んでいる横顔を見上げたけれど、よい言葉が思いつかなかった。

「かわいいのに、難しいね……」

 革の匂いの中で、小さな沈黙が落ちる。困っているときほど助言の一つでもして役立てればよいのに、何も浮かばないのが歯痒かった。

 棚を見つめたまま、小さく唇を噛む。反応は悪くないのに、売れない。それは職人にとってはきっと、こちらが思う以上に胸に重く沈むことなのだろう。自分がよいと思ったものが、ほかの誰かにとっては買うほどではないと判断される。そのずれはどうすれば埋められるのだろうか。


 しばらく頭を悩ませてから、ぽつりと口を開いてみる。

「アストンの欲しいけど買わないものって、どんなの?」

 分析のつもりだった。お客さんの気持ちを想像するための手がかりとして、彼自身の感覚を聞いてみようと思っただけの。けれどこんなときにまで、もしかすると何か贈り物をする機会の参考になるかも、という下心が心の中にわいてしまったのが恥ずかしかった。

 アストンは少し驚いたように瞬きをして、手元の革片から視線を上げた。

「目の細かいやすりかな……後は彫刻刀とか……。模様を加工するのに使いたいんだが、今後どれだけ使うかわからないからな」

「使わないかもしれないから買わない、かあ……」

「そうだな。それでいくと、身につけるものは毎日使いそうなんだが」

 それきり黙り込み、革屑を指先でつまんで形を確かめていた。

 真面目すぎるほどの答えに、心の中でふっと息が零れる。けれど、そのまっすぐな考え方こそがアストンらしさでもあり、どこか安心した。

「……ティアは、買ったがあまり使っていないものはあるか?」

 問われて、身の回りのものを思い出す。長居をしているとはいえ宿の一室であるから、あまり物はない。何かあっただろうかと必死に考えていると、アストンはふと思い出したように顔を上げた。

「この前のかわいいワンピース、着ているのを俺は一度しか見たことがない。よく着ているのか?」

 ――かわいい。

 どきんと胸が大きく跳ねて、口元がゆるみかけてから、問いへの答えを考えて頬が熱くなった。二人で出かける日のためにわざわざ買った、などとは口が裂けても言えない。

「汚れたら嫌だから、勿体なくって普段は着ないかな……とっておきというか……」

 とっておき、と口を滑らせてしまったけれど、幸いにもアストンは気に留めなかったらしい。軽く頷き、また考え込むように目を伏せた。

「そういう感覚があるのか……」

 ぽつりと呟いた声は、どこか自分の中に答えを探しているようだった。


 革の匂いと夕暮れの光に包まれた小さな沈黙が落ちる。

 ややあって、向かいの視線が上がった。深緑の瞳の奥に、灯りの光が熾火のように映る。

「日常的に使いやすくて、丈夫で、綺麗なもの。――一旦、靴に絞ってみるか」

 真っ直ぐな眼差しだった。

 日常的に使いやすいもの。その言葉には、日々の生活に、旅の道行きに寄り添うものをずっと作り続けてきたアストンの、動かない信念が滲んで見えた。胸の奥が、じわりと熱くなる。

「何足か試作しようと思うんだが、試し履きを頼んでいいか? 見た目もだが、履き心地なんかも聞きたい」

 真面目な声だった。春の頃とはまるで違って、頼んだり、頼ってくれたりするのが嬉しい。

 もちろん、と答えると、目の前の表情がほっとやわらいだ。

「なら、採寸して構わないか?」

「えっ、今?」

 思わず声を上げてしまった。夕方まで一日靴を履き続けた後なのだ。靴を脱いで、しかも足を手に取られるのは、どうにも恥ずかしい。口ごもっていると、アストンは店の奥へ行きかけた足を止めた。

「帰りを急ぐなら、また今度でも大丈夫だ」

 気遣う言葉に胸が詰まる。本当は、思いついた今のうちに、一刻でも早く形にしたいだろう。それでも、急かしたい思いを決してこちらには見せまいとする姿に、きゅっと胸が鳴った。

「ううん、大丈夫」

 小さく息をついて首を振ると、眼前の表情がわずかり緩む。そうしてもじもじとしているうちに、さっさと巻き尺と鉛筆、メモ帳を持って戻ってくる。

「そこに座ってくれ」

 指さされたのは、作業台の横の低い椅子。

 夕暮れの光の中、革の香りがふわりと漂う。そっとスカートを整えて腰を下ろすと、足元の影が、二人の間でゆっくりと揺れた。


 アストンは黙って、椅子の傍に片膝をつく。巻き尺を手に取る仕草は、刃物を扱うときのように慎重だった。

「失礼します」

 いつも客にそうしているのだろう、他人行儀な、低く落ち着いた声。最近意識することの少なくなっていた、店主としての顔に、思わず鼓動が跳ねる。

 靴下越しの足首へ、冷たい布がふれた。ひやりとした感触につい、わずかに身じろぐ。きっとこれは、直接触れないための配慮なのだろう。普段の流れのままそうしているのかもしれないけれど――親しさを理由に、接触をよしとはしないところが、生真面目さを表しているようだった。

 指先が、巻き尺を滑らせながら、足の甲をなぞる。ほんの一瞬、息が詰まった。


 節くれ立っているけれど、丁寧に動く手。それが骨の出っ張りや、踵の丸みを確かめるように触れる。平然と、そこに肌などないように見詰める眼差しが、かえって胸を落ち着かなくさせた。寸法を心の中に刻むように、数値が小さく呟かれていく。

「少し、こっちに重心を……そのままで」

 足をそっと支える指に、体温が伝わる。あくまで仕事として真面目に、真摯に測っているというのに、緊張と羞恥で鼓動を早めてしまう自分が恥ずかしかった。

 触れてほしいといつも思っていたはずなのに、布越しに触れる手に視線を落とすことができず、睫毛の影だけをただ見つめる。

 外では夕刻を告げる鐘が鳴っている。けれど、その音すら遠く感じられた。

 やがて顔が上がる。鉛筆を取って、どうやって覚え込んでいたのか不思議に思うほどの、いくつもの数値を書き留めていった。


「よし、ありがとう。縫い上がれば、また見てほしい」

  巻き尺を外す音が、ひどく静かに響いた。その静けさの中に、自分の心臓の音だけがうるさく混じっている。

 アストンが立ち上がったので、少し遅れて、やっと顔を上げた。足先はまだ、熱を持っている。

「鐘が鳴ってしまったな。もうこんな時間か」

 その呟きに、思わず窓の方を見る。硝子(ガラス)越しの夕焼けが、橙から薄紫へと変わりかけていた。

「遅くなってしまって悪い。道中、気を付けてくれ」

「ううん。手伝わせてくれてありがとう」

 立ち上がり、靴を履き直して外へ出る。冷えはじめた風が頬を撫で、通りの石畳の上に足音が軽く響いた。

 いつものように店先で立ち止まる。空にはまだ、鐘の名残が漂っているようだった。

「どんな靴になるのか、楽しみにしてるね」

 笑うと、アストンもふっと瞳をやわらげた。

「ああ。かわいさを引き出せる靴を考えてみる」

 一瞬の沈黙。言ったあとで、眼前の肩がわずかにこわばる。

「……あっ、いや、靴の……靴、色とか……」

 何やら言い繕いながら、耳のあたりが赤くなる。ともかく、先に一歩進む足掛かりをアストンが見つけられたことが嬉しかった。

「うん、期待してる」

 笑い返せば、言葉になりきっていない言葉が止まる。アストンは結局、おやすみ、とだけ短く告げて、扉の影に隠れるように身を引いてしまった。


 遠ざかってから振り向いても、まだ、アストラ・ポラリスの一階には、煌々と灯りがともっている。夕暮れの光と混じり合うその色を見ながら、がんばって、と心の中で呟いて、口元を緩めた。

 髪には今日も、一歩目のリボンが揺れる。胸の奥には、まだ革の香りが静かに残っていた。

 


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