17.空白のラベル
「じゃあ、娘さんのご夫婦と、お孫さんがこのお家に?」
「そうなのよ、来月からとっても賑やかになるわ。孫は三人いてね、男の子二人と女の子なの」
ティアが布地の入った箱を下ろす側で、ハーゲン婦人は顔を綻ばせる。今日は、仕立て屋の閉店作業の手伝いをしに来ているのだった。
ハーゲンが人手を探しているのだと聞きつけてきた本人――アストンは、部屋の隅で黙々と革椅子の張り替えをしている。店を閉めるのにどうして家具を直すのかと思えば、家族が増えるからだったのだと合点がいった。
「旦那さんがずうっと女の子も欲しかったらしくて、もう末の子を甘やかしてしまって大変なんだって」
「わかります、私もどっちも欲しいなぁ……あ、でも、私は兄妹で仲良くなかったから、一人か二人で思いっきり可愛がってあげるのもいいかも……」
赤い屋根の家に、庭には番犬役の小型魔獣。仕事が休みの日には子どもを連れて、家族でサンドイッチを持って海辺へ。そろそろ口にするのは恥ずかしい歳だけれど、そんな漠然とした夢はある。
そこでふと、アストンは兄弟がいないことに思い当たった。自分の故郷では珍しいというほどではなかったけれど、この辺りでは珍しいだろう。母親は病で亡くなったと聞いているから、それに関わっているのかもしれないが――それなら、と振り返った。
「ねえねえ、アストン」
金具を叩く音と一緒に生返事が返る。作業の邪魔かと思ったけれど、返事ができないときはしない、と言われているのをいいことに、傍らへ寄った。
「子どもって何人欲しい?」
がつん、と木槌の手元が狂い、アストンが手を握り込んで悶える。
「ごめんなさい、大丈夫?!」
「いや、大丈夫……何、なんの話だ……」
「アストンって一人っ子だよね。そうしたら、兄弟がいたらなあって思うのかなと思って」
「ああ、そういう……まあ、男兄弟がいればと思ったことはあるが……自分の子となると別じゃないか、そもそも授かりものだし……」
「あら、夢を見るだけならいいじゃない」
ハーゲンの割り込みに、ぐっとアストンが詰まる。手を動かせ、と話題を逸らすように言われたので、ティアは巻いた布の塊を担ぎ上げた。
「現実的なところを置いておいたら、どう?」
カン、カンと、先程よりも感覚の空いた木槌の音が響く。
考えるような間ののち、何度か、口が開きかけては閉じた。
「四……か五……」
「四か五?!」
小さな声を思わず復唱すれば、じろりと睨まれる。拗ねるような視線が珍しくてつい見詰めてしまってから、変だと思ったんじゃなくて、と慌てて言い訳をした。
「小さい子と話してるところ、見たことがなかったから、子ども好きなのが意外だなって」
「別に……好きなわけではない、嫌いでもないけれど」
「そうなの?」
空になった棚を拭きながら、振り返る。木槌を叩いていた手は止まり、代わりに首元を所在無さげに触っていた。まだ言葉を引き出せそうな気がしたので促せば、アストンは口の中でしばらく言葉を転がしてから、ぽつりと零した。
「親に可愛がられていた自覚があるから……そんなに可愛いのなら、沢山いた方がいいんだろうと思っただけだ。……終わり、もう話さない」
微かに顔を赤くして、普段より少し幼い物言いで打ち切った。革を叩く音は、今度こそ等間隔に戻る。
アストンは人に何かをしてもらえば、今度はすぐ、自分がする側に立って考えられる人なのだな、と感じた。
それと同時に、いつか、どんな風に自分の子供に接するのだろうかとも思う。
夕暮れ時、いつも自分にそうしているように、仕事の傍ら話すのだろうか。危ないからと、きっと作業場には入れないに違いない。それとも、花咲くあの祭りの中を、肩車をして歩いてあげなどするのだろうか。下の子を肩に乗せ、上の子の手を引いて歩く後ろ姿が不意に浮かび、何故か、胸が引き絞られて痛んだ。
真鍮の鋲が次々に打ち込まれ、革が次第に木枠に吸い付いついていく。それを密かに眺めてから、思考を打ち切るように雑巾を絞った。
店の跡地が片付き、椅子も貼り終わった頃には、陽が赤く傾き始めていた。
今日は正式に仕事として依頼をされていたため、二人それぞれが代金を受け取る。それとは別に、ちょっとおいで、とハーゲンは奥へ手招きをした。
「余り物だけれど、欲しいものはあるかしら」
開けられた木箱の中には――差し込む夕陽に煌めく、飾りボタンたち。わああ、と感嘆の声を上げてから、ティアはハーゲンの顔を見遣った。
「いいんですか?」
「ええ、いくつでも。端切れだけれど、レースや布もあるわ。袋に入るだけ詰めてもらっていいわよ」
アストンちゃんもどうぞ、と渡された紙袋を、アストンは困惑の面持ちで見下ろす。それでも、要らないとは言わず、黙ったままレースの海に指先を入れていた。
アストラ・ポラリスに並ぶ革製品は実用的なものばかりで、装飾の施されたものはほとんど見かけない。何に使うのだろうかと浮かべてから、自分も使うあてがないことを思い出した。
硝子や貝殻の埋め込まれた、色とりどりのボタンが詰まる宝石箱を眺める。自分が感じるのと同じように、華やかで繊細な輝きをただ手に取ってみたいと、アストンも感じることがあるのだろうか。
ふと、今日の昼間――昼食のパンを三人分、まとめて買いに出かけたときのことを思い出す。パン屋の亭主は、パンの山を包みながら口にしていた。
――よく食うねえ。ああなんだ、三人分。アストン? ならあいつは林檎は駄目なんじゃないか、アップルパイは別に包んでやるよ。好きなパン? 買うのはいつも丸パンばっかりだな。でかいのがそこにあるだろ、バゲットよりそっちだな。
まだ、知らない顔を次々に見つけていく。
見つけたいと思う自分がいる。
木箱の側面に貼られた、飾りボタンと記された札を指先でなぞる。
この感情にラベルを貼るとすれば一体、何になるのだろうか。
その答えはまだわからないけれど――静かに光を放つとりどりの色彩は、確かにこの胸の中にも広がっていた。




