表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/74

16.アストンのごはん

 街全体がどことなく寝坊をする、祭りの翌朝。

 アストラ・ポラリス二階、午前六時半。アストンもベッドの上で、窓からさす朝の光を眺めていた。


 ここのところ、長らく心を張り詰めさせていた――祭りが終われば、ひょっとするとティアはどこかへ行くのでは、という懸念が消えて、安堵に気が抜けたようだった。

 定住すると決まったわけではないが、ひとまず、急にいなくなることはない。それだけで十分に、のしかかっていた荷が消えたような心地だった。


 小鳥の、ぴい、とさえずる声が窓の外に響く。

 日は昇ってしまったのだから、いつまでも自堕落に寝ていてはいけない。

 祭りのお陰で、昨日は小物や大きな鞄が売れたものだから――普段も別段貧困に喘いでいるわけではないが、懐に余裕ができるというのは有難いことだ。

 しかし、これから雨の季節である。革の修理は増えるし、靴の買い替えも多い。まだまだやることはあると起き上がり、ひとまず、朝食を取ろうと思い立った。


 パンはある。

 が、ほかは何もない。チーズも卵も干し肉も、野菜もない。芋すらない。珈琲豆だけはある。

 ひとまず火を起こし、手回しのミルで豆を挽きながら、どうしようかと考えた。商店が開くのを待ってもいいが、これだけ何もなければ、朝の市場でまとめて買うのがよいだろうか。

 ――夜まで、パンだけでいいか?

 一瞬浮かんだ考えを打ち消す。昨夜、マルベリー宿で夕食を取った際に、散々食べろ食べろと口(うるさ)く言われたのだった。

 人並みには食べる方だと思っていたが、隣に座るティアが健啖家だったからだろうか。

「食べないの? 大丈夫?」

 そんなことを聞きながら、あの小さい――別段小柄ではないが、華奢な身体のどこに入るのかと思うほどよく食べる食べる。幸せそうに頬張るものだから、もう少し見ていたくてつい、手をつけていない自分の皿を勧めなどしてしまった。

 すると逆に、四方八方から料理を足されること。参ってしまった。


 市場に行くか、と気合を入れて珈琲を煽る。

 思い切りが必要なのは、人混みもさながら、稀に困ったことになるからだった。

 そう、例えば。


「あっ、アストン! 昨日、花持って歩いてなかったかい? 赤の!」

「赤の?! 渡す相手がいるんだね?!」

「シッ! まだ触れるんじゃないよ!」

 肉を買いに来ただけなのに、どこからともなく集まってくる婦人などである。

 赤い花。

 ティアの雰囲気には、黄色や白の方が似合うと思った。けれど店先で用途を問われ、答えれば、それなら赤をと勧められたのだった。

 ――それなら赤を。

 それならとは、何だったのだろう。今になって気に掛かったが、色によって、もしかすると用途が異なるのだろうか。

 ティアは博識だからいずれ聞いてみよう、と考えて、ひとまず花は思考から追い遣る。

「それより、肉を……200……」

「何日分だい? 二日分? 400ぐらい食べな、上背ばっかり伸びてどうすんだい」

「そうだよ、肩にもっと肉つけな! シャツもぶかぶかじゃないのかい」

「これは……親父のを……洗濯が追いつかなく、」

「ロドリクとあんたじゃ目方が全然違うだろ、私が買ったげるから食べな!」

「じゃあ鶏の脚もまけとこうかね。多けりゃ、彼女でも誘って一緒に食べたらいいよ」

「こら、まだ余計なこと言うんじゃないよ! 料理が難しければ、塩とオイルをかけて、野菜と一緒にオーブンで焼くんだよ」

 返事をひとつ考える間に、話が三歩先へ駆けてゆく。好意を無碍(むげ)にするのも(はばか)られ、有り難く受け取れば、二日分という肉は存外腕に重かった。

 ……しかし、幾分か、重すぎやしないだろうか。



 さて、帰宅し、言われたままに切ってオーブンへ突っ込んでから、はたと気がついた。

 スープは火にかけ続けたところで燃えないが、これは焦げるのではないか。

 何分ほど焼けばよいのかもわからず、開け閉めを繰り返しては時計を見上げる。開店までに洗濯をしたかったが、これでは間に合わない。一旦火を消し、慌ただしく洗濯をして二階に干し、昨夜は合算をせずに寝てしまった帳簿を開く。算盤を弾いて記帳――焦ったせいか残金が合わない。やり直し。

 二度目で揃い、次は窓ガラスを拭きにゆく。扉を開け放して、黒板を脇に立てかけ、等々。

 開店早々に客が来て冷や汗をかいたのも束の間、靴の修理を急ぎでと頼まれる。結局、調理しかけのオーブンを思い出したのは午後二時、昼食代わりのパンを腹に詰め込み終わってからだった。



「あれっアストン、お店は? どうしたの?」

「夕食を……作りすぎたので……」

「えっ?!」

 夕刻、店を早目に切り上げてマルベリー宿へ届けに行けば、台所で出迎えてくれたのはティアだった。手伝いの途中だったのか、格子模様のエプロン姿が眩しい。

「貰っちゃっていいの?」

「人に分けるようなものではないんだが……食べきれないので……」

「マルタさん、アストンの料理貰っちゃった」

 軽やかに振り返った腰で、エプロンのリボンが長く揺れる。自分のその視線に罪悪感を覚え、台所のあちこちへ泳がせるうちに、花瓶に落ち着いた。昨夜、マルタの夫と、別の街に住む息子たちから届けられた花束の生けられた、大きな壺。

 ふと、ティアは花をどうしたのだろうかと気になった。滞在している部屋に置いているのだろうが、花瓶のようなものは持っていたのだろうか。そこまで気が回らなかった。

「ティア」

「なに?」

「昨日あげた赤い花だが……」

 がらん、とたらいの落ちる音が鳴る。

 見遣ればマルタが呆気に取られたかのような顔をして、こちらを見ていた。目が合えばマルタは微笑み、何かの目配せをしながら頷く。

 よくわからないが、頷き返しておいた。

「ちっ、違うの! マルタさん、そういうのじゃなくって! アストンも頷いてるけど絶対わかってないよね?!」

「別に、違わないのでは……」

「もう、後で話すから! あのね、マルタさん、」

「いいよ。こっちはやっとくから二人でゆっくり、上で話してきな」

「違うんだってば!」

 ティアの頰が何故だか真っ赤になる。

 その理由を教えられて――自分も同じ色に染まるのは、この、たった五分ほど後のことだった。



花屋でどう説明した結果、赤色が出力されたのか……。


春編はひと段落し、次回から初夏編になります。

おかげさまで最初の区切りまで書けました。ここまで読んで面白いと思っていただけましたら、評価などいただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ