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12.見上げる場所にずっといればよいのに

 花暦祭、二日前。リースづくりの仕事は無事に終わり、ティアは作ったうちのひとつを持たせてもらった。

 泊まっているマルベリー宿の扉にはもう何日も前から、リースがかかっている。マルタが花屋へ訪れて、わざわざティアの作ったものはどれかと尋ねてくれたものだった。だからかける場所がないのだと、それを大義名分にして。アストラ・ポラリスへ、持ってきたのだった。

「前に見たものとは、随分と違うな」

 ちょうど作業の切れ目だったのか、珍しくアストンは立ち上がり、手を拭きながらこちらへ寄ってくれる。以前に見せたのは本当に初めの頃だったから、拙かっただろう。けれど恥ずかしさよりも、覚えていたのだという驚きが先に駆けてきた。

「どうかな」

 あれから整った輪を作れるようになり、アレンジも任せてもらえるようになった。

 ――出来る自分になりたいと、零したのだ。届いたと胸を張れるほど、上手くなっただろうか。

 カウンターに、ふっと影が落ちる。

「いいんじゃないか、かわいくて」

 瞬く。聞き違えたかと思い、顔を上げて見詰める。怪訝そうな瞳が見返していたので、思わず、素直な言葉がするりと出た。

「かわいいとか、言うんだ……」

「別に、言うだろ……言いそうに、ないか」

 困惑した表情を見て、これでは感性が鈍そうだと言っているようなものだと気が付いた。朴訥な印象はあるけれど、決して機敏に疎いと感じていたわけではない。慌てて弁解を付け足した。

「男の人って、あんまり言わないイメージがあって」

「そうか? 親父なんて――」

 言葉の端が切れる。アストンの手が持ち上がり、その口に触れる。意図せず零れ出た言葉の形を確かめるような仕草だった。

「……親父なんて、母親に、よく言っていたが」

 沈黙をなかったことにするように、続きが紡がれる。その記憶を引き出すのには痛みが伴っていたのかどうかは、ティアには判別がつかなかったけれど、問い返してはいけないことだけはわかった。だからただ、その内容だけを拾い、意外だと笑って返す。

「アストンも、普段何かをかわいいって思うことあるの?」

「まあ、ないことはない」

 なになに、と身を乗り出せば、今度はわかりやすい。あれこれと記憶を整理するような間があった。

「仕立て屋で見た、色のついた待ち針とか……葉に、小さな露が丸く乗っているのとか……何笑っているんだ」

 着眼点が愛らしくて、つい口元が弛んでしまった。子猫だとか、飴玉だとか、もっとわかりやすいものを挙げると思っていたからだ。

「なんだか、思ってたよりかわいいんだね」

 口をついて出てから、自分でも妙なことを言ったと気付き、慌てて視線を逸らす。

「馬鹿」

 低く吐き出され、次の瞬間――指の背が額を軽く小突いた。

 呆気にとられて、声も出なかった。

 触れられたことよりも、触れたあとすぐに視線を逸らしたその仕草の方が、鼓動を跳ねさせる。

 自分はどんな顔をしていたのだろうか。アストンの表情が微かにかげり、まるで近付きすぎたとでも言うように、カウンターへ落ちる影がすっと離れた。

 何かを間違えたように感じたけれど、正体が上手くつかめない。

 それでも、袖を引く代わりに。道中何度も考えて、頭の中で練習した文句を口にした。

「アストンはリース、扉にかけないの? まだ買ってなかったらいらない?」

 言い切ってから、鼓動が駆け出す。声の端は不自然に震えていなかったかと、胸が逸る。

「いいのか?」

「いいの、持っててもしょうがないし」

 よい流れになったので、言葉と一緒にカウンターの奥へと押し込んだ。だってこれは、紺藍色の扉に映えるようにと思って作ったのだ。押し付けることに成功して、浮き立つように、胸の奥がふっと軽くなる。

 ――けれど。リースを捉えた緑色の瞳は、微かに、揺れていた。

「……旅の荷に、」

 呟くような声。拾い上げる言葉を間違えたような顔をして、口を噤む。

「いや、ありがとう」

 何が「いや」なのかが、小骨のように引っかかる。けれど尋ねても、アストンは決して、教えてくれなかった。



 日ごとに宵までの時間が伸びるにつれ、店を出るときの空も、橙の占める部分が広くなる。眩しいほどの西日のもと、看板を見上げ、ずっと気にかかっていたことを尋ねた。

「あれって、電灯だよね? 点けないの?」

 金属の看板の上には、突起のある、硝子(ガラス)でできた立体の星型が据えられている。中には電球のようなものが透けて見えるからきっと、電灯だろう。

 仰げば、ああ、と今気づいたような相槌が返った。

「ずっと切れているんだ。梯子(はしご)が、見当たらなくて……以前は替えていたはずだが、どうやって替えていたのか知らないから……わからなくなってしまった」

 隣から梯子を借りればいいだけだろうが、と呟く声には、覇気がなかった。

 ふと蘇ったのは、いつかの仕立て屋の窓辺。乳白色の花弁を撫でる老婦人は、口にしていた。


 ――元気がもう、なかったんじゃないかしら。


「替えるよ。電球があれば、今。ある?」

「替えはあるが、とても届かないだろ」

 電灯は、大人二人分ほどの頭上にある。貸して、と詰め寄れば、アストンは駄々を捏ねる子どもを相手にするような顔をした。店内へ取りに行ったのもきっと、やってみれば諦めると思ったのだろう。

 壁の大半は漆喰(しっくい)で、強く触れば剥げてしまう。けれど、ちょうど看板は建物の角にあるから、その下までは多くの煉瓦(れんが)で固められている。木の梁も枠のように張り出しており、樋もある。

「この木箱って、踏んでもいい?」

「いいが、届かないだろう」

「大丈夫。ちょっと離れてて」

 木箱を壁から遠ざけつつ告げても、アストンは壁のそばに突っ立っている。まるで、落下に備えるように。

「あの、スカートだから、離れてて欲しいな」

 裾を押さえるようにして付け足せば、慌てたようにぱっと飛び退く。それを確認してからさらに下がり、息を吸った。


 全力で駆けたのは、いつぶりだろう。

 最後に頭上より高く跳んだのは、いつだっただろう。


 街の中で愛らしい花を編んで、人の中に紛れて。それは確かに楽しかったし、安堵と安寧の中に浸かれた。

 ――けれど。出来ないなりに、出来るのだ。その僅かな出来る部分までも、隠して型の中に押し込めて、見ないままにして過ごす時間は、苦しかった。苦しい。

 今、跳ぶ瞬間。身体は一瞬ためらう。これまで抑えてきた力を表出させることに、まだ心が慣れていない。


 ああそれでも。過去の自分を否定せず、本当の自分で立ちたい。


 踏み切る。強く蹴った足が宙に浮き、視界が広がる。膨らんだスカートの裾を、夕冷えの澄んだ風が通り抜けていく。

 半端な自分がどう生きていけばいいのか、まだ何も道は見えない。

 ――それでも、二つ踏むと思った煉瓦は、一つだけを踏めば事足りた。


「届……いた! ほら!」


 木の梁を踏み締め、眼下に手を振る。星は回せばいとも簡単に外れ、電球もあっという間に替えられた。

「スイッチある? 点けてみて!」

 叫べば、慌てたようにアストンの姿が店内へ消える。そして間もなく、眼前に北極星が輝いた。

「見て!」

 顔を覗かせたアストンに、手を振る。

 点いた。――点いたよ。

 自分のささやかな力でも、役に立てただろうか。その小さな達成が、胸を軽く満たす。

 まだ替える元気がないというのなら、こんなもの、何度だって自分が代わりに替える。だから、どうか。

 そう願いながら、星を胸に抱えて声を上げる。笑みを返してほしくて振った手は、ただ、アストンに届いてほしいという純粋な願いそのものだった。

 アストンは瞬きもせず、ポラリスを仰ぎ立ち尽くしていた。けれど、ティアが灯した光を瞳が捉え、いつも光を吸い込むだけの目に一瞬、煌めきが宿る。その微かな光の揺らぎに、胸の奥へ温もりが広がった。――やって、よかった。


 やがて足場から降りると、すぐ目の前にアストンがいた。受け止められるかと思った手は、宙で一度ふらつき、ためらうように袖の端を掠める。引き留めようとしたのに、掴み損ねたように。

 拳へと閉じ込められた指の意味を測りかねて、胸の奥が小さくざわめいた。

「……ありがとう」

 掠れるような声とともに落とされた言葉は、先ほどの、光を映した瞳とは裏腹に――どこか寂しげな色を隠そうとして、隠し損ねたような気配があった。


 問いただす間もなく、沈黙が落ちる。ふたりの間を満たすのは、新しくともされた灯りと、暮れなずむ空の色だった。

 やがて、街に夜の帳が降りる。見上げれば、看板の遥か遠くには、もうひとつの北極星が瞬いていた。

 ポラリス。旅路を照らす、二等星。

 それは静かに夜を渡りながら、道行を示し続けていた。

 まるで、傍らで光を探す星たちに、輝き方を教えているかのように。

 


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