11.格好いいだけ
「それでね、ルークってば、『ソニアのための曲だよ……』なんて言って弾いてくれてね!」
ソニアの話を楽しみながら、ティアは今日もリースを積んでいく。
どんどん売れる、と初めにソニアが言っていたとおり、店頭に並んだ花飾りは日ごとに勢いを増して消えていった。
自分の編んだものが手に取られると、宙を踏むように胸が躍る。それも、道中の家の扉にかかっているのを見たときは――自分が作ったものか、ソニアが作ったものか、もう判別がつかなくなっていたけれど。それでも、この光景を切り取って、手元に残しておきたいとすら思った。
花暦祭の日は近い。もうこの仕事も、この時間も終わってしまうのは惜しいけれど。それまでは、煌めく宝物を頬に押し当てていようと思った。
「ロマンチックなんだね、ルークさん」
「でしょ! ね、ティアは旅の人なんでしょ? 地元に好きな人とかいたの?」
いない、と、迷いなく答えられた。故郷では、獣耳を持つ彼ら、彼女らはみんな、自分からは遥か遠くで輝く星でしかなかったのだ。
ソニアは、ふうん、と短く相槌を打って、それ以上を追及してこなかった。そのことに随分と救われる。
――が。代わりに、ずい、と間を詰められる。
「ね、じゃあこの街の男の人、どう? もう結構経ってるでしょ。気になる人とかいない?」
「い……ない、よ」
いない。いないってば。
何故だか一瞬言い淀みかけた自分を心の中で叩き、首を横に振る。ソニアは今度こそ食い下がり、ほんとに、と顔を覗き込んだ。
「格好いい人、一人いるでしょ」
「いないって……」
「いるいる。寡黙でー、」
ソニアの声に、記憶の中で響くミシンの音が重なる。胸の奥で、小さな火花がぱっと散った。
頻繁に訪れていることを知られるのは、今に始まったことではない。けれど訪ねている理由は、今はまだ。言葉をあてがわれるのは困ると思った。
ああそれでもソニアは、好きな人、ではなく、格好いい人と言った。それならば――それならば? 浮かびかけた何かから目を背ける。
「エプロンが似合って、仕事熱心で」
白いシャツに深緑の帯の交差する背が、不意にまぶたの裏に浮かんだ。
頬がかっと熱くなり、目を伏せる。
「歌が上手くて、短い髪が爽やかで、そしてデートの帰りにはいつもお花をくれるの! キャー!」
「……ルークさんのこと?」
「街一番格好いい人って言ったらそうでしょ」
ソニアは笑って、話は済んだとばかりに別の話題へ会話を転がしていく。
だから、おさまらない鼓動も頬の熱も、ティアだけが置いてけぼりにされていた。
今日はアストラ・ポラリスへ行くのをやめておこうかと、なんとなく思った。
でもそんな日に限って、ちゃんとお使いを任されてしまうものだ。春の気配が満ちてあたたかな夕暮れの中を、いつもより少し時間をかけて、店までたどり着く。扉を開ける前にぐずぐずと店の前を眺めなどして――いつも足元に置かれている黒板が、ふと目に入った。
几帳面に角張った字は大きさが揃って並ぶ。けれど右に行くほど少しずつ上がっているのが、アストンの真面目さと隙を体現しているようで、ふっと口元が弛んでしまった。
カラン、と扉を押し開ける。その鐘は響くミシンの音に掻き消されたようで、いつものように奥で作業をする顔は上がらなかった。
気付かれていないのだと思うと、自然と忍び足になってしまう。そろそろとカウンターへ寄ってみても、アストンの視線はまだ、手元へ注がれたままだった。
革を押さえていた手が不意に、前髪を掻き上げる。夕刻まで続く陽気のせいだろう、髪は微かに汗で濡れて、形のよい額が見える。見慣れない姿に一瞬、足元がふわりと浮いた心地がした。 その遅れを取り戻すように、どっと鼓動が速くなる。
――格好いい人。
職人としてならば、くるくると働くマルタを、朗らかに客とやり取りをするソニアをそう感じるのと同様に、勿論アストンもそうであると思った。
ならばソニアが言うように、ひとりの男の子としてなら?
几帳面さに反して乱雑に捲られた袖からは、前腕が覗く。そこから繋がる、器用な手。汚れていても気にしないというのに、いつも惣菜の袋を受け取るときは、手を拭ってから出してくれることを知っている。
その器の中身が、自分の下手な手伝いだったときは、低い声が少し笑ってやわらかくなるのも。知ってしまっている。
緑の瞳に、ランプの灯が熾火のように映り込む。丸い耳の端が仄かに赤いのが、大人びた眼差しと不釣り合いに感じられて、なんだかかわいらしく見えた。
――赤い?
カタ、と最後の音を立て、ミシンが止まる。
「……そんなに、物珍しい作業だっただろうか」
「えっ?! あっ、やだ、いつから、」
「普通に……入ってきたときから……」
頬に朱が昇る。熱くて、意味もなく指先を組みなおす。そうと知れば店内にあふれる、あの日抱えたアストンのエプロンと同じ匂いの空気まで、気恥ずかしく感じられて仕方がなかった。
互いに言葉を探して泳ぐ視線は、ぶつかりそうでぶつからない。窓から差し込む夕陽が、間に落ちる沈黙を、淡く染めてゆく。革の香りと春の風が混じり合い、胸のざわめきをそっと撫でていった。
窓の外から聞こえた子どもたちの笑い声が遠ざかり、聞こえなくなっても、いまだ視線は宙を彷徨うばかり。今日ばかりは待ち遠しい夕刻の鐘も、まだまだ鳴ってはくれないようだった。
先に、顔の熱がおさまるのはどちらだろうか。
次の言葉が浮かばない二人をよそに、店の外からは、春の足音が静かに聞こえていた。




